リレーエッセイ

第29回 - 2000.03.01

ベローフさんが加藤さんの『馬を洗って…』を翻訳した

安井亮平

 現代ロシアの作家ワシーリイ・ベローフさんについては、このリレーエッセイでも中村喜和さんが「ベローフ賛歌」を書いていますし、成文社からは中村さんの翻訳で好短編集『村の生きものたち』が出ていますので、このホームページの読者にはもうおなじみのことでしょう。

 自身生粋の農民で、60年代以来主にふるさと北ロシアの農民の生活と歴史を描いてきたベローフさんは、ロシアでは広く知られ、愛読されています。が、ペレストロイカ以降ロシアの改革路線に否定的で、その担い手の「民主派」を手厳しく批判するため、時に頑迷な反動とか国粋派とかと非難されることがあるのですが(事実ナショナルなものへの傾斜は著しいのではありますが)、そのベローフさんが最近わが国の短編をロシア語に訳したのです。むろん翻訳はベローフさんにとって初めてのことです。実に愉快ではありませんか。

 3年ほど前のこと、1997年6月に、ベローフさん夫妻と旭川近くの剣淵町を訪問しました。早稲田の露文の同級生で、卒業以来40年故郷で農業にたずさわっている畏友高井孝さんを訪ねてのことです。

 ベローフさんは今も、冬をモスクワの真北500キロのヴォログダ市で過ごす以外は、さらに北西に150キロほど森林帯に入った故郷のチモニハ村で暮らしています。

 早くから私はベローフさんの作品を愛読していましたが、幸い91年11月にモスクワで友人の批評家のコージノフさんに紹介されて知り合いました。しばらくすると、私と家内は、ベローフさんからコージノフさん夫妻ともどもロシア暦の正月をチモニハ村で迎えるよう招待されました。マイナス20度の真白なチモニハ村で迎えた正月は、この上なく楽しく夢のようでした。私にとって初めてのロシアの農村体験でした。

夏のチモニハ村(左端がベローフさんの家。
右端の白く見える家を私たちは借りる。) 
photo1
 それからはロシアに行くたびにチモニハ村を訪ね、もう5度目になりました。いつも、チモニハ村の自然と、ベローフさんや妹のリーダさんたちの暖かな心に包まれ、心も身体も心底休まります。その度に、モスクワやペテルブルグのような大都会とはまったく異質なロシア人の世界を、少しずつ深く知るようになりました。私のロシアとの交わりは、はっきりとチモニハ前とチモニハ後とに分かれます。

 しかし、悲しいことに、400年近くの歴史をもち、かつて24軒あった村が、この冬には2戸3人だけになってしまったのです。過疎化はチモニハ村ばかりではありません。十数年前まで集会所や図書室まであった隣り村も、この冬には無人となってしまいました。革命前まで全ヨーロッパになりひびいたヴォログダ・バターを大量に生産していた、この地方が今や死滅せんとしています(今ヴォログダ・バターという商標でモスクワで売られているバターは、なんとフィンランド産なのです)。

 「チモニハ村はもう死んだ。ロシアはもう滅んだ」としきりに嘆くベローフさんに、同じような気候風土の北海道の農村をお見せすれば何か役立つのではと考えて、剣淵に誘ったのでした。それに、国は違っても根からの農民で農業の将来に心を砕くベローフさんと高井さんをぜひ引き合わせたいとの思いもありました。

 私の望みはいずれも十分にかなえられました。剣淵を訪ねたのは、10日間ほどの日本滞在最大の収穫であったと、ベローフさんから感謝されましたし、初対面の時恥ずかしそうに握手をかわした2人も、3日後には旧友のようにロシア風に強く抱き合って別れを惜しんだのでした。高井さんは、記念につなぎの農作業用作業服をベローフさんに贈り、ベローフさんを感泣させました。

 さらに剣淵では、思いがけない楽しい出会いがありました

 帰途旭川空港への道すがら、ぜひとも紹介したい人があるからと、高井さんに言われ立ち寄ったのは、児童文学者加藤多一さんのお宅でした。

加藤さん宅で(右から反時計回りに、筆者、ベローフ
さん夫妻、藤盛一朗さん、加藤さん、高井さん夫妻)
photo2
 私たちの姿を認めるや家から飛び出してきた、明るく躍る姿から、いかにも加藤さんが開かれた心の持ち主であることが感じられました。あいさつも早々にまず案内されたのは、鳥小屋のヒヨコのところでした。ニワトリは森の中に放し飼いになっているので、よくキツネにとられます。以前には馬も飼っていたのだそうです。森の中の2階建ての家は、モスクワやペテルブルグ近郊の作家の別荘を思わせます。

 時間に追われて1時間たらずしかいられなかったのですが、2人の作家が互いに親近感を覚えたのは、傍にもよくわかりました。 

 次の年の夏チモニハ村を訪ね、私たちは今度も完全な休息を満喫しました。ある日のことベローフさんは、加藤さんから贈られた絵本の『馬を洗って…』(童心社)をもってくると、その内容をたずねました。

 「ふぶきの夜に、小馬は生まれた」で始まるこの作品は、感動的な傑作です。舞台はやはり作者のふるさとの道北。不吉な「三本白」の馬ソンキをめぐって対立する「わたし」の兄と父、兄をかばい父を気遣う母。病弱な兄の出征、やがての兄の自殺とソンキの銃殺。ふたつの生命を不条理に奪う戦争の本質が、細やかで適確なことばと鮮やかで幻想的なイメージで語られます。作品は、「遠いところ。空と地面とがとけあうところ。ひとりの青年が、いつまでも、いつまでも、馬を洗いつづけている。」と、印象的に結ばれます。

 ベローフさんは日本語を一切解しませんが、作者の面影と池田良二さんのすばらしい銅版画と、それにむろんベローフさんの鋭い直感のおかげでしょう、私の拙い話を少し聞くとたちまち内容を完全に理解して、『馬を洗って…』をロシア語に翻訳してみようと言い出しました。

 まず、東京で面識があるロシアからの留学生のルーニンさんと私とで逐語訳をつくり、それにベローフさんが手を加えることになりました。ただ、ベローフさんにとって翻訳は初めての試みで冒険でありますし、ましてや自身日本語を全く知らないのですから、それに昨今のロシアの極めて厳しい出版事情から刊行するのは至難なことですので(ベローフさんさえ自分でスポンサーを見付けてこないと、作品を出版してもらえません)、目処がつくまで加藤さんには黙っているように、強くベローフさんから求められました。

 帰国すると早速私たちは翻訳に着手しました。ルーニンさんの訳文を私が原文と対照してチェックする作業を数回くり返しました。逐語訳をベローフさんに送り、何度か質疑の手紙を往復したあと、やがて完成稿がベローフさんから送られてきました。さすがに見違えるように文章が見事になっていました。ロシアの読者に理解しやすいように、いくつもの工夫がなされています。原文が象徴的短歌的なのに対して、訳文ではより具象的でリアリスチックになりました。「ソンキ」も「シャルイガン(なまくらの意)」と、名が変えられました。いかにもベローフさんらしい「翻訳」といえましょう。

 そこで初めて、加藤さんに承諾を得るため恐る恐る私は連絡をとりました。

 折り返し加藤さんから快諾と喜びの感動的な返事がありました。昨年の2月のことです。

 『馬を洗って…』の翻訳のかたわら、ルーニンさんと私は、ベローフさんが日本の農業の現状を深く知るために、高井さんの40ページあまりの『このままだと「20年後の食糧」はこうなる 農業現場で思うこと』(カタログハウス、1997)をロシア語に翻訳して、ベローフさんをはじめロシアの友人や知人たちに送りました。

 6月にチモニハ村を訪ねると、私を待っていたのは、『馬を洗って…』の掲載された雑誌でした。幅広い読者層をもつ『小説新聞 21世紀』誌(古い歴史をもつ『小説新聞』も編集方針の違いからしばらく前に分裂して、この『21世紀』が新たに生まれたのでした)4月号に見開き2ページにわたって載っていました。池田さんのさし絵がないのは大変残念ですが、ロシアの出版事情ではこれ以上は望めないでしょう。ベローフさんの精一杯の尽力のたまものです。

『馬を洗って…』の掲載ページと掲載号の表紙
photo3

 幸い作品を読んだ人たちの評判も大変によろしい。仲は良いが事毎に意見の衝突する妹の元美術教師アレクサンドラさんは、最初は「日本語が全然わからないくせに、翻訳するなんて、そりゃ無茶よ」とベローフさんに早速かみついたのですが、読み終わるや「これならいいわ。いい作品ね」と、感極まった声で嘆息したのでした。

 ここでベローフさんの名誉のために申し添えますと、なるほどベローフさんは日本語は全く解しませんけれど、その耳は確かです。ベローフさんの家では、こわれかかったオールウェーブの小型ラジオが唯一の情報源なのですが、ある時、「日本語放送を見付けた」と、にこにこしながらベローフさんがラジオをもって私たちの所にきました。確かにNHKの国際放送です。雑音で私さえほとんど聞きとれないのに、よく見つけたものと、その音感の良さに驚嘆しました。日本でわずか10日間ほど聞いた日本語の音声が鮮やかに耳に残っていたのでしょう。翻訳に際しても、この音感が大いに手助けになったことは、訳文のリズムからもわかります。

 この夏には、コージノフさんの70歳を祝って、私たちは、コージノフさん夫妻やベローフさんやベローフさんのヴォログダの若い親友カラチョーフさん夫妻(この2人も、これまでお世話になったお礼に昨年11月に10日あまり日本に招きました)たちと、北ロシアを旅行することにしています。加藤さんもぜひとも参加したいと熱心です。今度は、加藤さんがベローフさんをチモニハ村に訪ねるわけです。

 『馬を洗って…』の翻訳は好評で、ベラルーシの雑誌にも近く転載されると聞きます。この成功に味をしめて、ルーニンさんと私は今加藤さんの最新作『はるふぶき』(童心社)の翻訳に、今度は加藤さんの快諾を得て取りかかっています。それに、高井さんの翻訳も、ベローフさんやコージノフさんの尽力でロシアの雑誌に載る予定です。

 今度の旅と出会いからさらに何が生まれるか、私は今から楽しみにしています。



HOME「バイコフと虎」シリーズ既刊書新刊・近刊書書評・紹介チャペック