リレーエッセイ

第21回 - 1999.04.05
日本語で読むチャペック

石川達夫

 20世紀前半のチェコ文学を代表する作家カレル・チャペック(1890−1938)は、チェコの国民的作家としてチェコの人々に愛されているばかりでなく、世界的に広く読まれており、日本でも昔から人気のある作家です。チャペックの作品の邦訳について言えば、驚いたことに、チャペックの初期作品であり、チャペックの名を世界的に知らしめた『RUR(ロボット)』が1920年にチェコ国内で発表された3年後の1923年に、早くもこの邦訳が出されています。以後、いろいろな作品が邦訳されてきましたが、しかしながら、日本におけるチャペックの翻訳、したがってまたチャペックの受容には、幾つかの問題点がありました。

 第一の問題点は、初めのうちは、チェコ語から翻訳できる人がいなかったために、仏語、英語、そして主に独語から重訳されていたことです。一つの言語からもう一つの言語に訳すだけでも、原文からの様々なズレや誤訳が生じがちなのに、それを更にもう一つの言語に訳す重訳には、どうしても、相当のズレや誤訳が生じ、原文の持つ微妙なニュアンスも失われてしまいます。その後、直接チェコ語から訳されるようになりましたが、しかし現在に至るまで重訳がなくなったわけではありません。なるべく重訳のものは避けて、直接チェコ語から訳されたものを読んでいただきたいと思います。ただし、常に原語からの訳の方が優れているとは限らず、下手な訳者による訳よりも、上手な訳者による重訳の方がまだましという場合もあることを、付け加えておきます。

 第二の問題点は、チャペックの邦訳には、ジャンル的にかなりの偏りがあったことです。チャペックは非常に多才かつ多彩な作家で、様々なジャンルで様々な作品を書きました。人間の苦悩を掘り下げる深刻な哲学的小説を書いたり、人類と文明の行く末に警鐘を鳴らすSF小説を書くかと思うと、人間愛とファンタジーに満ちた心温まる童話や、ウィットとユーモアに溢れた面白いエッセイも書きました。人間の素晴らしさを教えてくれる伝記文学の傑作も書いたし、一風変わった独創的な戯曲も書きました。各国に旅して鋭い観察に富む旅行記も書いたし、美学論文も文芸批評も書きました。新聞社に所属するジャーナリストとして、厖大な量の記事やコラムも書きました。このように、チャペックは百面相とも言える、様々な顔を持つ作家でしたが、日本ではこのうち、主にSFと軽いエッセイを中心に翻訳が行われた結果、チャペックは「軽い」作家だというイメージが、知らず知らずのうちにできてしまったように思われます。つまり、チャペックを片側から見たプロフィールだけが出回ってしまったわけです。

 しかし、「ビロード革命」以降、チェコへの関心が高まってきたこと、チャペックの死後50年を経て版権が消失したこと、日本でチェコ語の翻訳者が増えたこと、日本の出版社がチャペックに積極的な関心を寄せたことなど、様々な事情が重なって、1990年代に入ってから、チャペック作品の邦訳が相次ぎ、今まで手薄だった純文学作品を初めとして、チャペックの主な作品の大部分が日本語で読めるようになり、百面相を持つチャペックの全体像が日本語でも見えるようになってきました。私は、このチャペック「ブーム」の火付け役の一人として、このような事態をとても喜ばしいことだと思っています。そこで、「ブルタバ」編集者の依頼に応えて、日本語で読むチャペックの簡単な案内を書くことにしました。

 まず、以下に、日本語で読めるチャペック作品のジャンル別一覧を挙げます(ただし、ジャンル分けは厳密なものではなく、便宜的なものです)。これらの大部分は、現在でも新刊として入手可能なものですが、図書館・古書店でしか入手できないものには*を付けてあります。また末尾に、チャペックに関する本も挙げておきます。

  1. 純文学

  2. エッセイ

  3. 戯曲

  4. SF

  5. 伝記

  6. 旅行記

  7. 児童文学

  8. 探偵小説

  9. その他

  10. チャペックに関する本

 どうです、ずいぶんたくさんあるでしょう? チャペックの主要な作品のうち、まだ邦訳されていないものは、戯曲の『母』、探偵小説の『もうひとつのポケットから出た話』(ただし一部は既訳)、長編小説の『作曲家フォルティーンの生涯と作品』(未完)くらいになりました。

 でも、これだけたくさんあると、どれから読んだらよいのでしょうか? 先に書いたように、チャペックは様々なジャンルで様々な作品を書きました。ですから、誰でも、どれか自分の好きな作品を見つけることができると思います。しかし、逆に言うと、自分が好きでないジャンルの作品から読むと、「なんだ、チャペックって大して面白くないな」という印象を持つことにもなりかねません。

 どの作品を面白いと思うかは、人それぞれで、大いに主観に左右されるわけですが、私の独断と偏見で言えば、きっと誰が読んでも面白いと思うもの、読んで良かったなあ、と思うものは、『マサリクとの対話』です。まず、これから読んでみてください。それから、純文学が好きな人なら『外典』と『ホルドゥバル』、SFが好きな人なら『山椒魚戦争』と『R.U.R.ロボット』、エッセイが好きな人なら『チャペックの犬と猫のお話』と『園芸家の一年』、児童文学が好きな人なら『長い長いお医者さんの話』と『チャペックの犬と猫のお話』へと、進んでみてください。ちみなに、チャペック作品の邦訳のうち一番売れているのは『チャペックの犬と猫のお話』で、これは圧倒的な人気を誇っています。

 これだけチャペック作品の邦訳が揃い、チャペックの全体像が日本語で見えるようになった今、チャペックを読まない手はありません。是非、チャペックを読んで、自分の好きな作品を見つけてください。そして、チェコ人と会ったときに、チェコの国民的作家カレル・チャペックについて語り合ってください。

*このエッセイは、関西チェコ/スロバキア協会会報「ブルタバ」No.56に掲載されたもので、同協会の好意により転載するものです。成文社


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