前書き
1.この文書が書かれた事情と理由(本書執筆の理由)
2.なぜ古来の言語が変わったか、変わらざるを得なかったかの主な理由は、無分別に多くの外国人と移住者を、祖国に受け入れたことにある。またチェコ人の謙虚さと寛容さについても論じられる(スラヴ語への反感とチェコ人の寛容さ)
3.ある外国人たちは、この上ない忘恩の中でどの様にチェコの地とチェコ語を攻撃しているか(恩知らずのハリネズミの喩)
4.どの様に諸民族が移動したか、他の地の諸言語を変えまたは完全に払拭した、ゲルマン民族の宿命とはどの様なものなのか、またその原因は何なのか(ゲルマン民族大移動とスラヴ諸部族の消滅)
5.ドイツ語がチェコに入るのを可能にした要因は、他にも数多く積み重なっている(30年戦争以前のチェコ語の隆盛とその後の没落)
6.同じ立証をさらに詳述(チェコの衰退を図る為政者たち)
7.祖国を助けず古来の言語と慣習の変更を推し進めることは、いかに大きな誤りであり、いかに有害な犯行であることか(ベルナルト・ズ・マルチニツへの批判)
8.外国人がチェコに大挙して押し寄せているが、その原因は何か、そしてその結果から必然的に生じる、祖国におけるスラヴ語の最大の損失とは何か(30年戦争以降のチェコ)
9.高貴な人々に大いに推奨されるのは、出来るだけ多くの言語を知ることであり、またスラヴ語がヨーロッパの諸言語の習得にいかに役立っているかという点を述べる(スラヴ語の素地は他言語の習得に有利)
10.君主が臣民の言語を知っていて彼らを守るならば、または少なくとも彼らを見下さず、ましては彼らを追放すべき者と宣言することがないならば、そのことは国の統治の称賛と、人々の愛の獲得に、どれほど大きく寄与することであろう(バルビーンの手稿の欠落部分、歴代のチェコ王はチェコ語を知っていた)
11.すべての民族は自身の言語に心を配って守り、それに優先権を与えている(ローマ人はラテン語を広げた)
12.スラヴ語の古さとその広がり(スラヴ語は本源的な言語で、広い地域で使われている)
13.ダルマティア人の教父、聖ヒエロニムスによるスラヴ語の称賛、そして非常に多くの民族がスラヴ語を典礼で使い、また常に使ったことでのスラヴ語の称賛(ヒエロニムスによる聖書のスラヴ語訳とその使用)
14.スラヴ語で育まれ、才能と品行の高潔さで卓越した人々による、スラヴ語全般の称賛(チェコの修道院の隆盛)
15.かつてのスラヴ語の栄光は、由緒ある貴族と有力者の尊敬と軍事的名声に由来するが、これらすべてが手短に綴られる(チェコの諸貴族とその家系)
16.言語の取換えはすべての国で危険に満ちた行為であり、とりわけチェコでは不法なものとして現れる(チェコでのスラヴ語根絶の企ての失敗と、歴代のチェコ王のチェコ語政策)
17.スラヴ語に対するいくつかの非難と中傷はごく簡潔に論破される(ラテン語とドイツ語の対比文、チェコ語の語彙は十分にある)
18.この上なく高名なあの人士に宛てた議論の帰結(抑圧者に対する厳しい叱責)
民族・地方名索引
人名索引・解説
あとがき
付録・ハドリアヌス帝(117-138年)時代のローマ帝国の地図
・チェコ公・王の在位年表
ボフスラフ・バルビーン
1621~1688年。チェコのイエズス会士・学者で、衰退するチェコ語と荒廃した社会を批判した人物である。著書は、長く行方不明だったが、1775年に出版され、チェコ民族覚醒運動のきっかけとなった。また『チェコ王国史雑録』を著し、チェコ文化史に大きな影響を与えた。
浦井康男(うらい・やすお)
1947年に静岡県熱海市に生まれる。京都大学理学部に入学後、文学部言語学科に転部。1976年に同博士課程を単位取得退学。1977年に福井大学教育学部、1997年に北海道大学文学研究科に移籍。2011年3月に北海道大学を停年退職。訳書に、アロイス・イラーセク『チェコの伝説と歴史』(北海道大学出版会、2011年、第48回日本翻訳文化賞受賞)、アロイス・イラーセク『暗黒──18世紀、イエズス会とチェコ・バロックの世界』上下巻(成文社、2016年)、『コスマス年代記──プラハ教会・聖堂参事会長によるチェコ人たちの年代記』(成文社、2023年)、語学書として『露語からチェコ語へ、ロシア語学習者のためのチェコ語入門──文法編、読本編』(電子出版、2018年)などがある。