リレーエッセイ

第22回 - 1999.05.09
利益を計算するようになったロシア人

齊藤久美子

 1991年ソ連邦は崩壊した。それより以前、1985年にゴルバチョフが政権について以来、旧ソ連では市場経済化促進のために会計の役割が重視されてきた。その傾向は1991年ソ連邦崩壊後、加速した。

 崩壊後の1992年秋から1993年夏まで、私は日本学術振興会特定国派遣研究者としてロシアのモスクワに滞在した。社会主義の価値観が崩れると同時に人々は人間としての倫理観まで喪失したかのようであった。

 ある者は今までマルクス・レーニン主義の価値観の崩壊で発狂した。地下鉄構内のエスカレーターに乗りながら、発狂した老婆がマルクス・レーニン主義をとなえて演説していた姿も目撃した。

 また、ある者は今までのマルクス・レーニン主義の教義が否定されたため、宗教に信条を求めた。その中でも、ロシア正教を求めた者はある意味で救われた。しかし、ロシアの経済困難とともに、諸外国からも金で物をいわせて様々な宗教が流入した。日本の某宗教もそんな宗教の代表であり、後に日ロ両国に大きな問題を引き起こすことになる。

 さらにある者は、社会主義が崩れ、資本主義を誤解した。端的に言えば、資本主義を「悪いことをしてもいい社会」と勘違いしたのである。拝金主義が横行し、治安が極端に悪化し、なかでも、外国人をねらった犯罪が激増した。私自身、殺人事件のニュースを聞いても平気になるほど感性が麻痺した。

 ロシアの経済は極端に悪化した。と同時に、市場経済化がスローガンになった。それは教育の場でも同じであった。たとえば、大学では授業料無料の従来の枠を狭め、成績が足りなくてもお金を払えば入学できる有料の枠が設けられた。もちろん、外国人は外貨をもたらしてくれるので、外国人枠も別に設けられた。しかし、ある日ラジオ放送で「わが国においては市場経済化が進んでいる。教育についても市場経済の原理で動くのが当然である」と教育者が語っているのを聞いた私はかなり複雑だった。

 当時、ロシアでは誰もが市場経済を知らず、資本主義を知らなかった。それは、今でも、大なり小なり、そうである。人々は社会主義とともに、道徳観を喪失した。そして人々は、生きていかなければならなかった。もちろん犯罪に走る者ばかりではなかった。ビジネスを起こし、生きる道を探る者も多くいた。

 ビジネスをはじめると自分の事業が儲かっているのか、どうかがわからなければならない。そのため、旧ソ連時代は軽視されていた会計が一躍、注目されだした。それはまず、自分の利益を測るためであった。その次の段階として税務当局の徴税の手段、さらに外資の投入の手段として会計は注目されていった。

 旧ソ連時代はそうではなかった。計画経済によって中央統計局(後の国家統計委員会)がすべての数字を把握するため、極端に企業の会計を単純化した。バランスシートに乗せるそれぞれの数字の計算法は国家が定めていた。すなわち、画一化された数字を集計し、次の計画を作成するのが中央統計局の役割であった。従って、各企業における会計の作業は非常に単純化され、会計職というのは全く人気がなかった。ある調査によると97の職業のうち、96番目の人気、すなわち、下から2番目という有様であった。

 1985年のゴルバチョフによるペレストロイカ、1991年末のソ連邦崩壊を経て、ロシアは市場経済化の道を探らざるをえなかった。国営企業は民営化し、株式会社をはじめとする様々な企業ができていった。それとともに、西側の大手監査法人はモスクワをはじめとする諸都市に事務所を構え、監査だけでなくコンサルタント業務等に従事し利益を上げていった。ロシアではまだ、そのような業務に携わることのできる人材はほとんど育っていなかった。言い換えれば、若い有能な人材は職をそこに求め、自らの能力をアップさせていった。筆者がいたモスクワ大学経済学部会計学科でも若手の教官たちは高給と将来性を求めて、外資系の監査法人へと移っていった。

 以来、ロシアでは、旧ソ連時代とは反対に会計専門家職は非常に人気が高まった。モスクワ大学の中でも経済学部は非常に難関となり、その中でも、会計学科進学を希望する学生が増えた。

 しかしそうはいっても、ロシアの会計制度自体が急に欧米基準、国際会計基準に変わるわけではなかった。そこでは多くの段階が必要となる。たとえば、当然のことながら、新しい会計人を教育し、従来の会計人を再教育しなければならない。また、「公認会計士」の国家制度化も必要である。さらに資格取得には、講習会を開かねばならない。というわけで会計関連ビジネスは儲かることになる。さらに諸外国も会計技術支援に乗り出した。

 ただ、ロシアの会計基準がいきなり、国際会計基準に変わったわけではない。そこには紆余曲折があった。昨年、国際会計基準委員会はロシアの財務省等の協力を得て、ロシア語版の国際会計基準を発行した。しかしながら、やはり旧ソ連の会計実務にずっと携わってきた会計人たちはいきなりそれに習熟することはできない。また、税制と会計制度の齟齬があり、制度も実務もまだ、軌道に乗っているとは、言い難い。

日本の会計技術支援の記事
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 筆者はこの過渡期のロシアをたびたび訪れ、いろんな形で勉強させてもらっている。筆者の周りにいるロシア人たちは会計人が多いので、いわば非常に恵まれた人々と主におつきあいしているのかもしれない。

 1994年の正月、CIS(旧ソ連諸国)の会計士・監査士協会のスタッフらとモスクワ郊外の「休息の家」で休暇を楽しんだ。水着を着てみんなでサウナに入り、マイナス25度の雪の中を水着姿で駆け回り、その中で雪の中に倒れ込んだことが忘れられない。


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