外典


チャペック小説選集第6巻

K・チャペック著/石川達夫訳
四六判上製/240頁/定価(本体2400円+税)

聖書、神話、古典文学、史実などに題材をとり、見逃されていた現実を明るみに出そうとするアイロニーとウィットに満ちた29編の短編集。絶対的な真実の強制と現実の一面的な理解に対して、各人の真実の相対性と現実の多面性を示す。(1997.6)


訳者解説

 チャペックの作品には、作品の時代設定を同時代に置いたものと、近未来に置いたもののほかに、時代設定を過去に置いて、聖書・神話・古典文学・史実などに題材を採った一連の作品がある。後に『外典』としてまとめられることになる、これらの作品は、歴史小説的な長編ではなくて、どちらかと言えば新聞の文芸欄の世相戯評的小品に近い短編であり、その多くは、過去の時代と人物を用いながらも、同時代のアクチュアルな問題に対する反応として書かれ、同時にそこに、昔も今も変わらない、歴史非関与的・超時代的な元型とでもいうべきものを描き出し、人間と社会の普遍的な問題を探ったものである(例えば、「アレクサンドロス大王」や「アルキメデスの死」は、時代設定を遙か過去のギリシャ・ローマ時代に置きながら、同時代のナチズムに対する反応として書かれ、同時にまた、超時代的・普遍的な、権力と帝国主義の問題を探ったものである)。このような性格は、これらの作品のほとんどが、チャペックが編集部に勤務していた『人民新聞』という新聞のために――同時代のアクチュアルな問題を、過去の時代と人物を借りて描き出す、一種のアレゴリー・風刺として――書かれたこととも関係している(「アガトン、あるいは賢明さについて」と「ピラトの信条」と「偽ロト、あるいは愛国心について」の三編以外のすべての作品が『人民新聞』のために書かれた)。更にまた、これらの作品の多くは、題材を採った聖書・神話・古典文学・史実などの「正典」に異議を唱え、それらの「権威」によって一般に広められている見方とは異なる見方を示し、いわば「隠れた真実」を暴き出そうとしたものという性格を持つ。(細かいことになるが、チャペックは、例えば「聖夜」において「イエス様」「マリヤ様」という、現代のチェコ人にとってはありふれたものだが、イエスの誕生前には用いられていたはずのない呼び掛けを用いているが、このように、彼は時として意図的に時代錯誤的な細部を書き込むことによって、作品に描かれる出来事を過去への限定から解き放って現代の読者の日常に近づけ、その歴史非関与的・超時代的性格と、「正典」ではない「外典」としての性格を示している。)

 この種の作品を、チャペックは作家活動の初期(一九二〇年)から最晩年(一九三八年)に至るまで書いており、このことからも窺えるように、このジャンルはチャペックが好んだジャンルであり、またチャペックにとって重要なジャンルであった。

 このジャンルの作品のうち、聖書から題材を採った五編(「十人の義人の話」「聖夜」「マルタとマリヤ」「ラザロ」「ピラトの夜」)を集めて、チャペックはそれを 『外典』という書名の単行本として一九三二年に出版した。チャペックは、後に、これ以外の短編も集めて、もっと大きな単行本として出版しようと思い、その具体的なプランも立てたが、この意図は作者の死によって実現しなかった。しかし、チャペック死後の一九四五年に、チャペック研究者のミロスラフ・ハリークが、作者の意図とプランに沿う形で、このジャンルの二九編の短編を集めた『外典の書』)を出版した(作品の配列は、ほぼ題材の時代順になっている)。ここに訳出した『外典』は、この、チャペック死後に出版された『外典の書』に基づく。

 「外典」とは、周知の通り、キリスト教で、聖書の正典には含められなかったが、正典に近くて重要な文書を指す。ギリシャ語の本来の意味は、「隠された(もの)」という意味だが、ここから、「一般の人に読ませられない書物」、更には「異端的な書」という意味も持つようになった。チャペックにおいて、「外典」とは、権威によって、あるいは世間の人々によって、真実・真正なものとして認められず、人々の目につかないところに追いやられ、隠された、異端的な、別の「真実」というような意味で用いられていると言えよう。

 本書に収められた諸短編は、その執筆時期も内容も様々である。しかしながら、ジャンル的には、『外典』という一つの表題のもとにまとめられる程度の共通性はあると、ひとまずは見ておいてよいだろう。そして、この短編集をかなりの程度貫いているモチーフは、絶対的・独善的・一面的な真実に対する、チャペックの執拗なまでの闘いと言えるのではなかろうか。

 ちょっと突飛な言い方に聞こえるかも知れないが、チャペックは、我々が三次元的な世界に生きていること、現実に存在する物は三次元的な物であることを、絶えず意識していたように思われる(これは、チャペックのキュービズム的傾向とも関連する)。つまり、現実世界の三次元的な事物を、通常、我々は一つの視点からしか見ることができず、そのときに見えるものは現実の限られた一面、ないしせいぜい数面に過ぎず、その他の面は隠れている。したがって、その限られた面だけを取ってあたかもそれが絶対的な真実であるかのように主張し、他の面を認めないこと、更には他の面を意識的にも無意識的にも、他者にも自分自身にも、隠してしまうことは、三次元的世界における原理的な誤りなのだ。チャペックによれば、現実の事物は奥行きのある多面体であり、我々は、いわば、事物を少し離れた所から、ゆっくりとその周りを回って視点を変えながら、様々な角度からそれを眺め、その様々な面を認識していくことによってのみ、次第により十全な認識と真実に近づいていくことができる。そして、このように視点を変えたときに見えてくるものが、隠れたもの・隠されたもの、即ち「外典」なのだと言えよう。

 チャペックは一九二六年に、「相対主義について」という興味深い一文を書いており、この文章は『外典』の理解にも役立つと思われるので、ここで見ておきたい。この文章の初めに、チャペックはまず、相対主義について書くときには、一般にまずアインシュタインの相対性理論について述べるのが通例になっているとした上で、次のように言う。「アインシュタインの相対主義に関しては、正直言って、私にはそれが分からない」。「私は、それを勉強しようと試みたことがある。もしも私が光の速さで運動したなら、ある数式上の理由からウエファースみたいに平べったくなってしまうだろう、という所まで行った。そこで私は、自分は光の速度では運動しないということにあっさりと甘んじて、その先の証明を読むのをやめてしまった。私はゆっくりと慎重に動いているから、むしろ丸っこくなっているし、また私は、願わくばぺちゃんこにはなりたくない。ものすごいスピードで前へ突進し、時代を追い越していると言われる人たちは、実際に恐ろしく平べったい。つまり、私はこの相対性の原理とは何の共通性もないことが分かるのである」(ここにもチャペックの三次元的意識が現れている)。

 このような枕の後、チャペックは、自分の「相対主義」について述べる。彼が言う「相対主義」とは、「新しいものは時々良いが、古いものも時々良い」、物事には表と裏がある、という見解のことであるが、これはそもそも「相対主義」などではなくて、「全くありふれた、卑俗で、反駁し難い経験」である。革命家のレーニンに一片の真実があることは確かだが、実業家のフォードにも一片の真実があることを見て取るためには、何も「相対主義者」になる必要はない。このような「常識の自明の前提が、なぜ『相対主義』ないし『懐疑』と言われるのか、私には理解できない」。

 そしてチャペックは、絶対的な真実は「凶暴な無関心」の上にしか成り立たないことを指摘しながら言う。「何かのラディカルな理由から、多くの人々は、完全な真実が宣言されることを求め、その一定の主張だけが唯一絶対の真実であり、他のすべては虚偽で欺瞞で戯言だと叫ばれることを求める」。それぞれの物事に一片の真実を認める相対主義は、「無関心」ではなく、「存在するものすべてへの、不安に満ちた配慮」である。それとは逆に、「絶対的な判定と矛盾するような生の声に耳を貸さないことの方が、狂暴な無関心を必要とするのだ」。

 ただしチャペックは、現実が強いる闘いの遂行に当たっては、このような「相対主義」をもってすることはできないことを認める。しかしながら、「相対主義」は闘いの方法ではなくて、認識の方法である。闘うにしても、できるだけ広い認識が先行することが必要である。「この時代の最悪の混乱の一つは、理念的な闘争と認識行為を混同していることである」。

 そして最後にチャペックは、後に『外典』の「マルタとマリヤ」において作品化したモチーフを用いながら、次のように結んでいる。「相対主義者にならない唯一の道は、モノマニアック(偏執狂者、一事凝り固まり人間)になることだ。次のうち、良い方を選ばれたい。――ただ一つの真実に耳を凝らすマリヤの方か、それとも、『いろいろなことを心配して思いわずらっている』マルタの方か。もちろん、『いろいろなこと』の方には、些細で妙なこと、人に知られず顧みられないことも、たくさんある。つまり、こちらの方に、現実の全体があるというわけだ」。

 この「相対主義について」という一文からも分かるように、繰り返しになるが、チャペックは、絶対的・独善的・一面的な真実に対する、即ち、チャペックのいう「凶暴な無関心」(マルタの様々な配慮を見ず、認めず、却ける教祖の志向性)や「モノマニアック」(他のすべてを忘れて教祖の言葉しか耳に入れないマリヤの志向性)に対する、執拗なまでの闘争を展開しているのであり、チャペックにおいて「外典」というジャンルは、多くの場合、直接にこの闘争と結びついているのである。真実の相対性・多面性を認める「相対主義者」であったチャペックにとって、「正典」による事実の一面的な理解に異議を唱え、異なる視点から別の「真実」を描き出し、真実の相対性・多面性をウィットやユーモアに富んだ文体で示すことのできる、この「外典」というジャンルが、いかに好適なジャンルであったかは、想像に難くない。

 ところで、文学史的には、「外典」のようなジャンルは、チャペックをもって嚆矢とするわけではなく、ドイツの啓蒙主義作家J・G・ゾイメ(一七六三〜一八一〇)の同名の作品集のように、似たようなジャンルの先行する作品もある。特に、フランスの作家・批評家ジュール・ルメートル(一八五三〜一九一四)が一九〇五年と一九〇七年に出版した二巻の『いにしえの書物の欄外に』は、チャペックの『外典』に直接的な影響を与えたと言われている。しかし、チャペックの『外典』は、単に「正典」に異議を唱えるアイロニーや珍奇さにとどまらず、それを越えて、先にも指摘したように、同時代の現実との密接な関係を持っていること、同時に、人間と社会の超時代的・普遍的な問題を描き出していること――これらの点で社会批評的な鋭さと哲学的な深さを備えている。ここに、チャペックの『外典』の独自性と文学的な高さがあると言えよう。ゾイメやルメートルの前述の作品集が今日では全く忘れ去られているのに対して、チャペックのこの作品集が時代を超えて読み継がれ、今日の我々でも――チャペックが同時代のどのような問題に対する反応として個々の作品を書いたのかは、我々にはほとんどの場合分からないとはいえ――非常に面白く読めるのは、このためであろう。今日の読者も、例えば、『アルキメデスの死』の中の、「境界線は決してなくなりはしないよ、ルキウス。君は、大きな円が小さな円よりも完全だとでも思うのかね?」という言葉など、小気味よい警句として定着しても不思議がないような名文句を、存分に楽しむことができるだろう。

 本書に収められた個々の作品は、先にも述べたように、聖書・神話・古典文学・史実などに題材を採ったものであり、ヨーロッパ文化についてのある程度の教養があれば理解できるであろうが、「クフシュタインのヒネク・ラープ氏」だけはチェコ中世の宗教改革の時代を作品の背景としており、チェコ史の知識のない読者のために、作品のコンテキストを若干説明しておく必要があるだろう。チェコ人は、宗教改革者ヤン・フス(一三七二頃〜一四一五)などを指導者として、ヨーロッパで最初に宗教改革を国民的規模で推進した民族であり、ローマ教皇がチェコの「異端」撲滅のために差し向けて来た十字軍とカトリック軍に対して、ヤン・ジシュカ将軍(一三六〇頃〜一四二四)などを中心とした強力なフス派の軍隊を組織して戦った。「クフシュタインのヒネク・ラープ氏」が背景としているのは、チェコの宗教改革のうち、ポヂェブラディのイジー(一四二〇〜七一)がチェコ国王となった時代だが、このイジーは、宗教戦争の戦乱の時代の後で、軍事的衝突よりも外交交渉と平和的妥協を優先し、当時ヨーロッパで唯一のプロテスタント国として孤立していたチェコ王国の安全とヨーロッパ全体の平和の確保のために、広範な国際平和連合と国際法廷の計画を立案し、その計画を盛んな外交活動によって実現しようとした(この間の事情について、より詳しくは拙著『マサリクとチェコの精神』成文社刊を参照されたい)。ヒネク・ラープ氏は、むしろチェコの宗教改革に敵対したドイツ人との混血でありながら、過激で排外主義的なチェコ民族主義の立場に立って、このイジーの政治的な「弱腰」を罵倒しているわけである。

 なお、翻訳にあたっては、個々のテキストについては、原則として、一九九二年に出版された、チェコスロヴァキア作家同盟版の『カレル・チャペック作品集』第一〇巻を底本としながら、本書全体の構成については、一九六四年に出版されたチェコスロヴァキア作家同盟版の『外典の書』(一九四五年版に準じた版)に従った。前者の版では、「外典」以外のジャンルも含めた小品が執筆年順に並べられているのに対して、後者の版では、先にも述べたように、執筆年を無視して、ほぼ題材の時代順に作品が並べられている。後者の配列の仕方は強制的な感がなきにしもあらずだが、作者自身がこのような配列を計画していたということであるし、例えばチェコ出身のアメリカの文芸学者ピーター・スタイナーは、ここに積極的な意味を見いだしている。スタイナーによれば、「チャペックがこの短編集を非伝記的な形で編集しようとしたことは、一般に人間存在の一つの結晶としての自分自身の過去に関する、彼の理解に対応するような方法で自分を提示しようとする、作者の意図的な試みと見なされなければならない」。「途中から始めて、振り子のように前へ後ろへと行きつ戻りつしながら、チャペックは自分自身の芸術の道の非直線性と非一貫性を強調した。万華鏡的な出来事の孤立的な局面として、外典の個々の作品は読者に、それぞれ別のカレル・チャペックを見せる。――その全体的な集成から、彼のいくつかの自我だけを挙げるならば、愛国者、劇作家と詩人、政治的人物、哲学者などである。これらの部分的な輪郭の矢継ぎ早の連鎖、近い典型と遠い典型の収束と拡散、過去と未来の絶えざる混合、このすべてが、読者を、チャペック個人の物語の冒険性、その内面的偶然性、どの瞬間にも全く別の方向へ進むことができたということの、目撃者にする。こうして、見かけのパラドックスの中で、チャペックは『外典の書』において自分の伝記を脱構築することによって、実際には、彼の個性の多様さを明らかにし、それを発生の過程において動態的に示すような、自分の作家としての経歴の自伝的なイメージを作ったのである」。


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