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プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 01 . 29 up
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5月21日――トロイツァ〔聖神降臨祭〕。

  新しい土地

 往年のリベラル新聞(「ロシア通報」)は、その最良の能力をすべて私的財産として今だに生き永らえているが、あまりな略奪風景に激昂する小所有者のような心境にある。古くからの土壌に根を張っておのれの才能を発揮してきたほどの人間なら、むろん誰でも腹を立てている。ミーチングには日夜、都市周辺の土地を奪おうと画策している演説家たちが、決まって顔を揃える。こうした状況から脱するには、新しい土地で新たに自分の才能を組織化する必要がある。いや、それしか道はない。

ロシア人はやたらと外来語の〈組織化(オーガナイズ)する(された)〉という言葉を使う。要するに「整然と秩序立てる、まとまりをつける」の意である。

  ドイツの計画

 都市と農村を問わず成功を収めるには、国内の土地は略奪の対象にしても他国の土地には手を出さない――どうもそういうやり方がいいようだ。前者では民衆(ナロード)への土地貸与、後者では和平と労働者〔敵に連行されたロシア人〕の帰還だ。これは非常にわかりやすい。戦争初期、人びとは敵を国家の外に思い描いていた(当然だ)が、あちこちで敗北を喫してからは、自分たちの敵が内なるドイツ人だと気づいた。そのうちいちばんの敵はツァーリだが、それは引きずり降ろされた。ツァーリの次に引きずり降ろされたのが旧くからの支配層で、現在ではすべての土地所有者が打ち倒されようとしている。だが土地は資本(カピタル)とは不可分のもの。それで資本家たち――内なるドイツ人たちが打ち倒されようとしているのである。彼らとともに一掃されかけているのは〈組織化された〉才能の私的〔部分〕、すなわちブルジョア・インテリゲント(知識人)だ。所有物の全面的破壊のあとに新しい時代がやって来るだろう。破壊者たちは、内なるドイツ人がわれわれ一人ひとりのうちにも個人的に(リーチナ)存在することを理解し、その事実をしかと見届けるはずである。そのとき、悲劇の最後の幕があくのだ。そして悪賢い奴隷が主家に入り込んで主を殺し、主のもの喰らい、主の寝床に〔主人づらして〕横になるのだが、しかし主の料理ではもはや満腹感を得られない。休息すら取れない。聖書には痩せ牛が肥えた牛をがつがつ喰らう話が出てくるが、痩せ牛は食っても食っても痩せたままだ

創世記第41章「ヨセフの支配」。紀元前17〜16世紀、ヤコブの第11子のヨセフは兄たちに憎まれ商人に売り飛ばされ(あるいは誘拐され)て奴隷としてエジプトのファラオに仕えるが、夢占いに長じていたところから、王の夢――よく肥えたつややかな七頭の雌牛がナイルの岸で草を食っている。そこへ醜く痩せた七頭の雌牛がやって来て、美しく立派に肥えた牛たちを食ってしまう――を占って将来の大飢饉(7年間の大豊作と7年間の大飢饉)を予言、その対策に大手柄を立てる。

  結び目

 いま社会の先頭を切っているのは破壊者で、せっせと私有財産の略奪を説いている。破壊者は裸虫だから、何も恐れない。彼を駆って先頭を走らせようとしているのは、実質的にマテリアルな財産を有する者たちではなく、組織化された才能を持つ者たちだ。それに続いて、自分がこれまで理性と良心に従って生きてきたと自負する小所有者たち、続いて大所有者たち。目下拘置中の、他人(ひと)の不幸を喜ぶ底意地の悪い連中は、ドイツ人に期待する目をその追尾劇から離すことなく見守っている。それ以外は青い目で空を眺め、新しい世界の到来を心待ちにしているのだ――いったいこのうちの誰が人びとの心を〔権力を〕掴むのだろう、誰が結び目をほどくのか、と。
 閣僚たちは首都のソヴェートや大会に、大会ソヴェートに、県の郡の郷の村のそれぞれの委員会に向けて演説をぶっている。一方、そうした大会、ソヴェート、委員会では、さまざまな自称大臣たちも演説しまくりって、ロシア全体がぶってぶってぶちまくるが、誰も何も実行しない。ただただ反対意見を述べる人間たちの連続集会と化している、それも大臣室から農民代表村ソヴェートまで。
 なかでも驚くべきは女のバザール、自由市場の女たちである。

  権力と静寂あるいは従順

 オオタカが入江のカプレアヤナギの枝にとまっている。なんという水の青だろう、雲と小魚たちを映して、なんという水の静まりようだ! しかし水深はせいぜい2ヴェルショーク〔9センチほど〕で、水車はイカレてしまった。もはや流れるものもない泥の上をカエルたちがぴょんぴょん跳ねている。そんな静寂と従順の鏡にわが身を映しながら、権力は、おのれを限りなく強大なもの、その静寂と従順とを限りなく奥深いものと見なしていた。水車を回す水などとうに無くなっているのに、どのカエルも自分を大臣だと思い込み、ぴょんぴょん跳んでは、ひっきりなしに、それもえらく得意げに、外国語の単語を差し挟むのだ。

  聖神祭*1

 きょう、教会のそばでミーチングがあった。そこで〈灰色大臣たち〉はおそらく雇われ労働者を地主から解き放つ(その地主の中にわたしも入れられているのだが)ことを決議するのだ。それが、レーニン*2、ラズームニクその他のマクシマリストたち*3の唱道宣伝の成果なのである。

*1父と子と聖霊の三位一体のうち聖霊を正教では聖神と称している。聖神祭は聖神(聖霊)降臨祭(トロイツァ)の翌日。

*2ウラヂーミル・イリイーチ・ウリヤーノフ(筆名レーニン)(1870-1924)の名が初めて日記に出てきた。レーニンが亡命先のスイスから封印列車でペトログラードへ帰還したのは4月16日、翌17日に「四月テーゼ」を発表。「四月テーゼ」とは、ボリシェヴィキの指導者レーニンが革命の戦略・戦術を述べたテーゼ。1)二月革命で成立した臨時政府は資本家の政府であり、これを支持しない。2」帝国主義戦争である第一次世界大戦には絶対反対、「革命的祖国防衛主義」にも反対。3)ソヴェート権力の樹立をめざす。詳しくは後出の参考資料を。

*3最大限綱領要求主義者とは1906年に社会革命党(エスエル)から独立した一派。半無政府主義的極左社会主義者のこと。

 略奪の結構な面は、〔空を飛んでいるツルを約束するのではなく〕ジュウカラを手に取らせること〔先の雁より手前の雀〕であり、まずい面は、都市へのパンの供給を阻害し耕地面積を減ずる結果になることである。いずれにせよ、農民同士の殺戮と現に存在する〈プロレタリア〉独裁の強化増大(当然そうなる)にしかつながらない。戦々恐々、物持ちたちは少しもじっとしていられない。
 もしきょうパーヴェルがやられなくても、あした自分は村の安全委員会にこう申請するつもりだ――『うちのフートルから雇い人のパーヴェルを解放するという噂を耳にしましたが、わたしは現在、国会が定めた職務に就いており、近々に首都へ戻らなければなりませんが、しかし家族とフートルを放って置くことができないので、家族の社会的安全を保障しかつまた雇い人を取り上げない旨を認めた証明書の発行をお願いしたい。もし委員会がそれを容認されないときは、自分はただちに公務を停止したうえ雇い人を解雇して、わたし自らがフートルで働く所存です』。
 事態はいっそう緊迫してきた。正直いって、雇い人はどうぞ勝手に処分してくれという心境になった。そういうことになれば、自分が旦那ではないこと、自力でやっていけることが誰の目にも明らかになり、とどのつまりは自分への信頼と敬意を勝ち取ることになるだろう。(仕事は深夜まで続く苦役になるが)存外、自分はうまくいくと確信している。

 トルストイの説く〈農作業による魂の救済〉は自分にはわからない。非精進食を塩漬け胡瓜に改めても正教徒にはなれないように、キャベツづくりで魂を救済することはできない。だが、こうした過渡期には、原始人にとっていちばんわかり易い農作業を闘争の手段にするのはいいことだ。
 自分にはどうも、年に1デシャチーナを耕す農業従事者の誰もが現在の農業労働についてしっかりした考えを持っているとは、とうてい思えない。彼らの土地への渇望は自由とゴキブリ状態からの脱出への渇望だということ。赤い大臣たちは気づいていない――あまり社会主義の風が吹いていないこと、現在どれだけの圧力が〈インターナショナル〉からかかってきているかということに。まるで認識がないようだ。今にインターナショナルの偶像はひとつにまとまって巨大なものに変身する。それでもわが同胞は(呑気なものだ)外国の社会主義者たちに向かってこう言い出すだろう――『おまいさんたちはただ頭ン中で考えているだけだが、なにロシアじゃもう成し遂げられてしまったよ。わが偉大なロシアはおまいさんたちの理想(イデア)のためにえらい犠牲を払ったのさ。だからな、これからはわれわれのやり方に倣ってやったらいいんだよ』。外国人は言い返す――『なんて馬鹿な奴らだ! 愚か者には神を拝ませよ、額を床に打ち付けて、勝手に血だらけになっとれ!』。

インターナショナル――政党その他の団体の国際的な連合組織。国際労働者同盟。第一インターナショナル(1864-76)はマルクスらによりロンドンで創設、第二インターナショナル(1889-1914)はパリで創設、第三インターナショナル〔共産主義インターナショナル=コミンテルン〕(1919-43)はレーニンらによりモスクワで創設されたが、1943年に解散。

 闘争、この冷ややかなる女房。怜悧なる打算もて戦の場に出でし未来の勝利者、亭主よ。未来の勝利者は激せよ熱く熱くなれ。女房は氷のごと冷ややかなるゆえ。

  暴力

 現在、無政府状態(アナールヒヤ)と呼ばれているのは、見たところ、その言葉の真の意味とは正反対のものであるようだ。アナーキストは、外的〔外国の〕権力や巡査のみならず、その大本の、すなわち他者の人格を管理する権利、強制、暴力をすらも憎しみの対象にしている。ところが、今すでにわが国に根付いた感のあるアナールヒヤに特異なものは、誰もが巡査の役割を担いたがっている点である。これはかなり強い欲求だ。彼らの演説を、オウムのように繰り返す外国語の単語、あの衣装、あの略奪への呼びかけを聞いていると、すべてが自らの人格の拒否、強制・暴力へのアピールなのである。

 ちょうど今、わが家の窓の前を、赤旗を掲げた村人たちが通っていった。〈ミーチング〉が始まるのだ。どっかの町で略奪してきた服を着ている者、そこらにあったのを適当にはしょってきた者、農民用の長靴からフロックコートまで、いやシルクハットを頭にのっけたり、鍔広の帽子(シリャーパ)をかぶった若い娘たちさえいる。娘たちの中には新品の上スカートが雨に濡れないよう裾を浮輪のように太腿までたくし上げたのも何人かいる。あれでもし天気が崩れれば、日に3度も化粧直しをしなければならないだろう。たぶんそんな習慣は主家の乳母(ニャーニャ)たちによって村に持ち込まれたものにちがいない。
 演説家がどんなに口角泡を飛ばそうが、どんなに巧みに外国の言葉で地主や〈ブルジュイ〉への憎悪を掻き立てようが、それはどれも彼ら自身のものではない。猿真似根性と強制・暴力の気風としか思えない。

ブルジョア階級を蔑んだ言い方。

 今は過渡期なのだと言われるだろうが、いついかなる時も過渡期なのである。サルからヒトへの過渡期だと言ったほうがより正確かもしれない。われわれはもうはっきりと自分の目で、人間の起源がサルであることを知っている。

5月23日

 自由はじつにさまざまに理解されている。それについて考えるには実験が必要だ。リトマス試験紙を使って、その自由の試験紙がどれだけ赤くなったか見なければならない。それは理由のわからない精神状態を示すもの――ヒトは歌をうたうが、なぜ歌うかのかはわからない。今は誰も愚痴をこぼさない。多くはただびっくり仰天しているだけで、愚痴おをこぼす人はいない。人生は面白い。

 いま多いのは自由の蝶を追いかける男の子たちだが、新たに自由を喪失した大人たちの数も同じくらいいる。

 フェドートがリーヂヤ〔長姉〕を〈からかっている〉――『耕すだって! 嫌ですね、耕しませんよ。もう耕すだけ耕しましたからね。そりゃあなたのとこで暮らしていきますが、耕すのはもういいんです。ぜんぶ耕しちゃったし……』それに対して〔リーヂヤ〕が言う――『だったら、これからは誰かが耕すのね?』―『自分のためならいいですが、でもね、わしら、もう他人のためには耕しませんよ』。

 ルィソフカ村の住人はまだ生きている――これまでと何ひとつ変わらずに。ここには外から何も入ってこない。ドゥーニチカ〔従姉〕がアルセーニイ〔未詳〕を連れて、わが造反中の郷にやって来たが、さすがにその無法ぶりには怖気(おぞけ)を奮っている。すぐに事態を呑み込んだアルセーニイのひと言――『いやはや、この村はまだ闇の底に沈んだままなんですね!』。

 草刈りのときだったか穀物の収穫時だったか、地主が雇い人たちとうまくやれずに彼らに頭を下げなくてはならなくなった。それをきっかけに地主は権力を失い、いっとき百姓たちのほうが旦那になったのだが、そのときの状況が今の政府のそれとよく似ている。労働者、兵士、作男〔日雇い農夫〕たちのさまざまなソヴェート権力において、彼らは一丁前に気取ったりもったいぶったり人をからかったりしている。『おれたちは他人(ひと)をあまり信用しねえよ。せめてヴォトカでもありゃあなぁ。でもヴォトカはねえ。そんで権力のほうも弱(よえ)えってわけさ』。
 「変性アルコールでいいんだ。くれねえか。そしたら働くよ」そんなことを言う。しかし、地主の家には変性アルコールもない。変性アルコールはいわば権力だが、残念ながら、その権力は政府にもないのだ。

糖類の醗酵または合成によって作られるエタノールにアセトンやメタノールを加えて飲用不可にした消毒用ないし工業用のアルコール。メチルアルコールは毒性が強く飲用量によっては失明したり死亡したりする。ヴォトカが払底すればオーデコロンもメチルアルコールも一気呑みする。

 演説する兵士は外国の政治について百姓たちに――今はよその国の土地を奪うことなく行動する必要がある、とそうと語ったすぐあとで、国内政治においては他人〔地主〕の土地を略す必要ありとの国政の綱領を読み上げて、『この綱領の条目は合法だ』と言い募るだろう。そこでコミサールも負けずに言う――
 「そんな法律がどこにある! もしそれを合法だと言うなら、きみらは政府を信じていないのだ!」
 「どうしてそれが信じないことになるのか!」兵士が叫ぶ。「われわれは政府を信じてる。政府がわれわれを信じるかぎりは、われわれだって完全にあっちを信じてるぞ!」
 すると、ミーチング参加者も声を揃えて――
 「あっちがこっちを信じるかぎりは、こっちだってあっちを信じるのだ!」
 そうして、いつもの猫っかぶりのお戯(ど)けを始めるのである。で、もしコミサールが彼らの味方なら洗い流してもらえるが、のちのち洗い流してもらったこのコミサールがもし、官吏としてではなく市民として発言しようものなら、その肉体的な存在は明らかに危険に晒されるはずである。
 そんなとき、水に流され、打ちひしがれ、じゅうぶん辱められた彼のところへそっと近づくのは、思慮深く分別臭いどっかの百姓で、それがこんなことを言うのだ――『同志コミサールよ、わしにゃこうするしかないんだよ、あんたはなんか法と権力への服従が必要だみてえなことを言っとったが……』―『どうしておたくらは、わたしではなく兵士の肩を持ったんだね?』―『まさか――と百姓は答える――それじゃあんたに教えてやる。いいかね、ぜひとも政府にカザーク兵の派遣を要請するんだよ。そうすりゃ、支持者がいっぱい見つかって、部隊を、いやひょっとしたら部隊を2つも送ってくれるもしれん……』。

  領地の終焉

 ミーチング。雇い人の解除。長持の検査! スタホーヴィチ〔隣りの地主、前出〕の領地の危機的瞬間。司祭の娘が演説ぶった。眠れぬ夜――手仕事(畑の)への移行。

長持(スンドゥーク)は貴重品などを入れる、鍵のかかる櫃ないし衣装箱。プリーシヴィン自身の長持が日記(一)の書斎の写真で見ることができる。

5月24日

 自分をアメリカ大草原の農夫のように感じている。こちらの黒人(シバイとキバイ)は、このカオスに法〔と秩序〕を持ち込むと言ってわたしに対して悪感情を抱いている。
 内なるドイツ人。彼らは地主(翻ってわたし)のうちにそれを見ているのだが、こちらとしては彼らのうちに、キバイとシバイの間に不和反目の種を蒔いたあの兵士=レーニン主義者のうちにそれを見ているのだ。それで自分をその内なるドイツ人の軍事捕虜みたいに感じているのである。

レーニン主義者という言葉が初めて使われたのは、ロシア社会民主労働党がボリシェヴィキとメンシェヴィキに分裂した時期(二十世紀初頭)。これは『何をなすべきか?』(1902)や『一歩前進、二歩後退』(1904)に表われたレーニンの党組織論を特殊なイデオロギーとして拒否しようとする文脈の中でメンシェヴィキの論客がよく使った。

  代表者

 百姓たちが道に迷って支離滅裂。彼らを混乱の只中へ追い込んだのは兵士である。ミーチングを終えたその足で、彼ら(総勢300人余)は、地主のスタホーヴィチの雇い人たちの解放へと向かったのだが、変なことになってしまった。労働者の解放が目的だったはずなのに、勝手に温室や庭や屋敷の中にまで入り込んでしまったのだ。スタホーヴィチのお嬢さんが出てきて群衆に話しかけたので、なんとか足が止まった。彼らは混乱し、何がなんだかわからなくなり、しまいには、やっぱり土地問題の解決のためにペトログラードへ代表を送るろうということになったのである。

 それでその代表に何が起こったかと言えば――
 ペトログラードから戻ったので、ミーチングで彼の話を聞くことになった。代表は話そうとするのだが、しどろもどろでさっぱり要領を得ない。いったいどこへ行って、何を見てきたのか、何を聞いてきたのかと詰め寄られて、代表は――『行ってきたよ、いろんなところへね。何もかも見て何もかも聞いてきたが、何も話せないんだ。すっかり忘れちまった』。代表はずいぶんとっちめられたが、何も出てこない。翌日まで持ち越しということになり、またミーチングだ。しかしどうにもならない。代表の男は頭の中はぐちゃぐちゃになり、ただもう〈忘却とは忘れ去ることなり〉。本当に何がなんだかわからないのである。でも、持たされた旅費は40ルーブリ! こいつをどうしよう? 村人たちは大いに頭を悩ませた。その挙句が「逮捕しろ!」に衆議一決。まあそれにしても凄い代表がいたものだ!

5月28日

 どうするのが一番か? 家も土地も捨てて、町に小さな家を買うのがいいのか? 町の食糧事情はここより良くないが、しかし家族が一緒である。ここではなんだかエスキモー人たちと暮らしているようで、あちらとこちらの間には目に見えない不可侵の境界線が引かれている。

6月3日

 村の女たちはいよいよ厚かましくなってきた。傍若無人を絵に描いたよう。まず森に積んであった薪と草の山をばらばらに切り崩すと、今度は庭のほうに廻ってきた。嫌な予感。薪を狙って(それを密造酒(サマゴン)造りに使おうという魂胆だ)中庭へ侵入。そしてあっと言う間に家の中へ。図々しいにもほどがある。で、こんなことを宣う――『おたくの菜園に種を蒔きたいんだけど……おたくの鶏に卵を抱かせもらっていいかい?』。

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