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プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 11 . 20 up
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 仲買人〔ブローカー〕が難民たちを動かしてきたのだ。難民が多ければ商品は少なくなるし、その逆もまた然り。仲買人たちのあいだで議論が始まった。商品がストップするのは難民のせいだが、ではなぜ難民そのものがストップするのか? 難民を乗せた貨車がトゥーラ〔モスクワの南へ193キロ〕に10日余りも停車したままだった。貨車にはチョークで目的地はトゥーラと書かれていたのだが、その後、何者かが貨車に近づき、チョークのトゥーラを袖で擦ってペーンザ〔モスクワの南東709キロ〕と書き直した。それでそのペーンザ行きがさらに10日も停まったままになっていたらしい。それを聞いたある株式仲買人は、世間に対して商品の遅滞と高騰の概括的な理由を説明するという自分の目的をすっかり忘れてしまった。その仲買人は、ニコラーエフスク駅でチェレーシチェンコの砂糖20輌の荷下ろしをすでに2週間も待っているとか、しかもそのことを受託人であるチェレーシチェンコの口から直に聞いたなどと言っている。

ミハイル・イワーノヴィチ・チェレーシチェンコ(1886-1956)はロシアの資本家、大製糖工場主で、プログレシスト派に近く、1917年に臨時政府の財務相と内務相を歴任し、その後亡命した。

 そんな話を聞かされれば、3分で1歩進む行列(砂糖待ちの)に急になぜ尻尾〔長蛇の列の最後尾〕ができたか、容易に想像できるだろう! 信頼と希望と愛から発して状況全体を分析解明しようという者はおろか、昨年はこうだったと言い出す者すらいない――まったく一人も……

 一千年の拍子木。

 話相手は市議会の議事日程表をわたしに手渡すとさっさと行ってしまう。「われらの不幸」に具体的な内容を盛り込むようにとの課題(アンケート)をひとつ残して――

ロシアの旧い俚諺――「われらの不幸(наше горе)は斧でも断ち切ることができない」の「われらの不幸」とは「出口なしの状況」あるいは「困窮の極み」を意味する。ロシアの現状に関するアンケート。

 故郷のしんと静まり返った自分の部屋で、わたしは、先祖の商人(あきんど)たちの暮らしについてあれこれ思いをめぐらしていた。思い出に耽っていると、突然、窓の下で拍子木の音。それで、つい最近、ペトログラードのレストランである有名な俳優から聞いた話を思い出した。彼は世界中を旅して回っている男だ。へとへとになって故国に戻ったある日、彼はある音を耳にした。それを聞いてなんとも言いようのない悦びを感じたのという。それは拍子木の音だった! さっき窓の下で鳴ったと同じ拍子木の……それは遠いとおい昔のもの、もう二度と聞くことはあるまいと思っていたあの響き……何千年も前に鳴ったあの音であった。満天の星空の下、通りのどこか暗がりを歩いている見知らぬ夜警の姿を想像してしまう。なんと懐かしいこと! そんな子供時代が何千年も前のことのように思えたのである。思わずふらっと外へ出た――酔っ払いみたいな足どりで――でも転ばずに。通りは月の光でいっぱいで、びっくりするほど明るかった。こんなに明るいのに、誰が石などに蹴つまずくだろう。ああでも、自分が躓くのはそれ、まさにその石――真実という名の石なのだ。思い出すのは、その昔、わが先祖の商人たちの誰かがその石について語り遺した言葉だった――『いいかな、ただの路上の石のことじゃないぞ。躓くのは真実の石だ。そいつには誰もが蹴つまづく……』  農業に関する一斉調査が行なわれるという。調査を徹底するために特別地区調査委員会によって郡がいくつかの地区に分けられた。委員会の構成は、地区長(スタルシナー)、協同組合(コオペラチーフ)の代表、それと議長によって推薦された人びとである。委員会は仕事の流れを監視し、交付金(前払いの)は議長が管理すること。調査自体は指導員が特別召集した人びとによって実施される云々。
 書類の最後にこう書いてあった――『参事会は貴下に地区委員会議長の職を要請しその受諾を乞うの光栄を有するものであります。付きましては調査の国家的意義をご千慮のうえ貴下の速やかなる応諾を熱望するものであります』。
 この調査については国会で農業大臣が演説していたらしいのだが、わたしはその新聞を読んでおらず、その後も調査関係の記事や送られてきた書類にも目を通していなかったために、自分勝手に、この調査の目的は調査そのものにではなく、社会的勢力の下準備(小地方自治体の組織化のための)、要するに機構の整備に取りかかったのだろうぐらいに考えていたのであった。

 生活の資を得るに忙しい日々〔とはいえ〕、このような〔公的〕活動を拒否することはできなかった。予定していた休耕地の掘り起こしを諦めて、すぐに応諾と光栄への謝意とを書き送った。
 個人的な問題で脳天から爪先まで圧し潰されているのに、なぜそんな社会の問題をわが身に負うのかと思う人もいるだろう。こういう時代でなければ、自分は決してこんな仕事は引き受けない、そうとも、『自分の経営もいやわが身ひとつをすら確立できずにいるくせにこんな天から降ってきたような社会事業に飛びつくなんて馬鹿のやることだ』――きっとそんなふうに自分を非難したにちがいない。でも今はそこまではっきりとは言い切れない。ともあれ、この不安定な暗いロシアで生きていくのは苦しいし、本当に恐ろしい。すべてを国家に捧げている者たちに混じって――しかも同時に世界は改造されようとしているのだ(どのように? その意味を探し求める者たちも当然のようにいて)、かと思うと、戦争だのその犠牲の意味だのについて、どうにも愚かしいことを回らぬ舌でぺちゃくちゃやっている者たちに混じって生きていくのは苦しいし、本当に恐ろしい。
 自分は前線から後方へ移ってもう1年になる。そしてますます深く後方へ沈みつつある。前線から第一の後方、第二の後方、そして第三の後方へ。いちだんいちだん戦争の背後の、なにやら完全に特別な世界のようなところへ降りてきている。たまに自分を原則的に〈兵役忌避者〉だと思ったりすることもある。また、破壊と同時に何かが創造されているような国(クライ)を後方のどこかに探し求めている――そんな気持ちになることもある。人間はもちろん、何らかの共同事業のために生きているわけだが、でもそれが〔共同事業であるとは〕まったくわかっていない。むろん至るところ国家なのではある。しかし、ライ麦畑を全体として見渡せる場所に立てば――そこは間違いなく広いひろいライ麦畑なのだが、そしてそこから畑の中に足を踏み入れれば、いかにもひ弱なひょろひょろした穂たちも背の高いよく肥えた立派な仲間たちのあいだに自分の道を切りひらいていくさまが目に飛び込んでくるはずである。たしかにここでの暮らしは共同作業とは正反対のもののように思われる。だがどうだろう、丘の上からライ麦畑を一望すれば、われわれの事業だってどれもみなこんなに素晴らしいではないか! 調査についての書類を受け取ったとき、わたしが思い浮かべたのは、まさにそんな光景だった。この〈地方における新しいロシア〉で自分が議長を務めるって? まるで兵役忌避者が出獄したような気分だった。獄舎の外は光が溢れ返っていて、そのとき自分は別人になったのである。

ここで使っている国(край クライ)は、端、はずれ、周辺部、地域、地方(行政単位)等々の意。プリーシヴィンの事実上の処女作といわれる『ヒト怖じしない鳥たちの国』(邦題は『森と水と日の照る夜』)の国がそうである。また1933年に発表された『チョウセンニンジン(生命の根)』は、日露戦争のさなかにロシアの若い兵士が戦場からひとり離脱(単独講和)して沿海州の深い森へ逃亡する物語だが、これも自由のクライ=国である。きわめて暗示的なプリーシヴィンの見果てぬ夢の国。

 2、3週間経っても、何の通知もなかった。会議への要請も指導も説明もまるで〔なかった〕。ただときどき雇い人たちがこんなふうにわたしに言うだけだった――どっかの何とかいう郷〔郡の下、村の上の行政区画、1930年まで〕では、もうわたしの言う事業みたいなものは始まっているらしい、そこでは財産目録が作られて、家畜は選別され、最後の牝牛まで持って行かれているそうだよ、と。わたしは、それはわたしの言う調査ではないと思った。議長のわたしに何の連絡もなく始まるはずがないではないか。深刻なパニックに陥っていたのは牛を2頭所有している者たちだった。耕作用の馬を飼っていた者たちも急いで(それも何日ではなく何時間かの間に)馬を手放し始めた。
 森の仕事から解放される! そう思ったわたしは、面倒な商品(オークの樹皮)とできるだけ早くおさらばしようと、闇雲に働いた。乾いた日が続いていた。樹皮というのは干草より雨に弱い。オークの皮の小さな束が広い休耕地の木挽き台の上に並べられた。やっと乾燥させるところまでこぎつける。あとは雇い人たち一人ひとりに気を遣って(虎の子を守るように)仕事を進めるだけである……

 ……流れる時間の速度。しかし、肉が5コペイカ値上がったことが時間の速度を意味しているなどと誰が考えつくだろう。人はみなそれが得か損か有益か無益か、それも自分にとってどうなのか――それしか考えない。
 人間世界の生活地図は、ひょっとしたら、こうした銃後の個人事業と前線での共同事業との比較対照のようには、これまで一度もはっきりと示されたことがなかったのかも。
 〔ライ麦が〕壁のように立ち塞がって、自分たちが今どこにいるかわからなくなる。立派なものだ。じつに美しい! 中にいると、あまり育ちの良くない弱々しい穂に目がいってしまう。でもそんなひ弱な連中が、背の高い、いっぱい脂肪をため込んだ、堂々とした仲間たちに立ち混じって、健気にも自分の生きる道を切りひらこうと頑張っているのがよくわかる。穂たちの間ではどんな儲け話が、どんなゴシップが囁かれているのだろう? 互いにいがみ合っているとしたら、それはどんな喧嘩になるのだろう? だが、わたしは穀草を出て丘に登って畑全体を見渡した――おおこれはまたなんという風景だ! ぼおっと見惚れていると、急にあの書類のことが思い出された。あれが〈新しい地方のロシア〉の建設への参加を要請するものだとわかったときに感じた気持ちと、(そうだそうだ)広いライ麦の海を一望したこの瞬間とがぴったり重なった――そう思ったからこそ、すぐ馬をまぐわからはずして、要請受諾と感謝の気持ちを伝える返事をしたためたのだ。

12月1日

 勇敢な野ウサギ。野ウサギたちにも愛がある。冬、森の番小屋の小窓から見ていたら、白い野ウサギがぴょんぴょん草地に跳び出してきて、ひょいと後ろ足で立った。するともう一匹も最初の野ウサギと向き合う恰好でやはり後ろ足で立った。さらにもう一匹。そっちは早足で駈けてきて、ちょっと立って、すぐまた森に引っ込んだ。春近くには、子づれの雌のウサギまで姿を現わした(司祭のとこの子どもたちがそのうちの一匹を捕まえて中庭で放し飼いにしていた)。雌のウサギは飼われているウサギに逢いにきたのだ。森からはそんなふうにたびたび勇敢なやつがやって来る。  

11月4日

 戦争の原因は権力発生の原因だ。したがって戦争は決して終わらない。工業がそれと共同歩調を取り始めるから。たとえ戦争が終わっても、人びとの顔には、次なる〔戦争〕準備にかかっていると、はっきり書かれている。戦争の歴史的理解が今ではもう心理的理解に移ってしまったのだ。歴史的理解には〔これが〕最後の戦争という認識が生まれ、心理的理解からは〔戦争には〕もう終わりがないという認識が生ずる。

12月5日

 イォアン・クロンシターツキイ*1の聖骸*2の事前公開。高まる期待と緊張。

*1クロンシタットのイォアン神父――本名はイワン・セールギエフ(1829-1908)。ロシア正教会神父、慈善家。神学校を卒えると、そのまま軍港クロンシタットの聖アンドレイ大聖堂付司祭となる。生前すでに〈民衆の聖者〉の声望が高かった。レフ・トルストイの「倨傲」を戒めた人としても知られる。日本正教会のニコライ大司教とも深い交わりがあった。『キリストにおけるわが生涯』(1894)

*2ロシアでモーシチ(мощи)と呼ばれる聖者のミイラ(また身体の一部)。聖遺物とも不朽体とも訳されている。根強い信仰がある。

 記録課に行けば、グリゴーリイのことがよくわかるので、居心地の良いポストを求めて上も下もお百度参りのありさまだ。〔グリゴーリイ・〕ラスプーチンの噂ばかり。あの厚かましくも破廉恥な眼。手を撫でられただけで女は感応するらしい。そんな環境に身を置けば、頭の中はそればっかりになるだろう。いやはや。それにしても、現代がセックスの大なる影響下にあるというのは本当だろうか? そこにローザノフの過ちがある。だからこそ社会活動家たちは彼を憎悪しているのだ。じゃあセックス以外のものはどうなんだ、どう評価するのか? 今はとにかく食料、名誉心その他もろもろを手にしようと誰もが必死、悪戦苦闘の真っ最中だ。

 『聖ゲオールギイの看護婦』〔前出、11月5日〕のせいで、どうも落ち着かない。彼女は、わが省の、静まり返ったまどろみの中へ、軽いざわめきを起こしつつ、その姿を現わした。 その体の動きや声の中に、われわれは、輜重の馬車の軋みを、馬を追い立てる兵士たちの叫び声を、銃声を、それから負傷者たちの周囲で起こっている気ぜわしい動きを、聞き取っていた。こうしたカオスの中で、彼女はどきどきしながら(少しひびの入った心臓とともに)何ひとつわからぬまま、ただただ夢中で(病的なほど)先を目ざしている。

12月6日

 短編。わが年代記。1、イギリスが宣戦を布告した。われわれは汽車を待ちながら眠りこけていた。駅で待つことすでに2昼夜である。新聞は手に入らなかった。今はイギリスの出方ひとつにかかっている。イギリスが布告すれば、世界はこっちのもの。肝腎なのは、力ではなく真実(プラウダ)だ。それが論理の帰結――もしイギリスが宣戦布告するなら、世界は、そして世界がわれらとともにあるなら、それはわれらのプラウダである。その根拠を自分は知らないのだが、宣戦布告の瞬間から、自分はまったく異なる二つの存在に分裂してしまった。一つは〈Я(わたし)〉、以前からの存在だが、もうかなり遠くなってしまった(かなりロマンチックな感じ)。癒えたとはいえ、それでも雨のときなどまだ疼いたりする傷のような〈Я〉。もう一つは〈МЫ(われわれ)〉としての〈Я〉で、こっちには悪党どもが攻撃を仕掛けたので、話し合うことで〔平和裏に〕守っていかなくてはならない。この二番目の新しい存在がイギリスに回答を要求した。その理屈はこうだ――もしイギリスが布告すれば世界がそれを支持する、世界が支持すれば、それがプラウダ……

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