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プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 10 . 02 up
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6月9日

 後方で。  まず前線(フロント)があり最初の後方(トゥイル)〔銃後〕がある。そこから第2、第3の後方が、そうして最後の後方の後方から、すべての軍(いくさ)と完全対立する平和が始まるのだ。むこうにも国家があれば、こちらにも国家があるわけだが、しかしはるか彼方には野原が、畑が――海にも紛うライ麦畑が延々と続いており、畑へ分け入ってじっと穂の先に目をやれば、まだ目隠し鬼のように目(芽)を閉じている、痩せたひ弱な穂さえもが、むっちり太った仲間たちに追いつこうとどんなに頑張っているかがわかるだろう。そして前線の国家も後方の国家もどんなに必死に頑張っているかもわかるはず。
 銃後の世界に住んではや半年。生活の資を得るために痩せた穂や肥えた穂の仲間に立ち交じって、わたし自分がそんなライ麦の穂なのである。
 きょうは暑いが、みんな重ね着して畑に出た。男たちは上着を二つ半コートを二つ重ね、女たちはルバシカとスカートを二つも三つも身につけている。そういうわけで、ここの草木の生い茂る旧公園は、衣類を包んだ風呂敷やら袋がやたらとぶら下がっている。若い娘たちは、火事場みたいに、自分の包みをしっかり自分で守ろうとする。朝から包みを抱えてやって来るのは女だけでないし、〈カザーク兵〉に自分の衣類が見つからないよう頼みに来るのも女だけではない。
 「おまえさんたちには――」と、わたしは女のひとりに言う。「手を出さないよ、連中〔カザーク兵〕だって全員から巻き上げやしないさ」
 どうやらきょうは朝から、カザーク兵が戦争のために衣類を奪って回っているという噂が立ったらしい。

6月17日

 全ルーシが今や、物不足と物価の高騰に呻き声を発している。とはいえ、それでもその呻き声は心臓を鷲掴みするほどのものではない。そうならないのは、ドイツの呻きのほうがずっと大きいし、こちらは国民挙げてのそれではないからだ。おかげで、そのことを本気で語ろうとしない。『ドイツの阿呆め、おめえら、いくら稼いだんだよ!』――そんなことを誰かが言えば、誰かがまたそれを言い直して『奴らはてめえで稼いだのさ。うちらにゃ砂糖はねえが、でもいいか、1フント半ルーブリ〔50コペイカ〕と〔お上が〕決めたら、なあに、そんなもの、すぐにも出てくんだよ!』
 雨のせいでライ麦の収穫が1週間以上遅れてしまった。ここ1週間で茎が倒れてぐちゃぐちゃになってしまったので、刈ったり縛ったりするだけで1デシャチーナ当たり25ルーブリの出費だ。脱穀代など考えるのも恐ろしい。1コプナで50コペイカ。そのうえ脱穀できる者には、馬2頭、最低でも男2人、それと手伝いの女たちもいっぱいつけてやらなくてはならない。しかし日当5ルーブリでは集まらないし、女だって1ルーブリはするのだ。5ルーブリだろうと1ルーブリだろうと払ってやりたいのは山々だが、それだけの売り上げがあるかと言えば、たとえ豊作でもライ麦の価格はいつもと変わらないのである。自ら汗水垂らして働いたのに、労賃がすべてを――貸借料も貸付も??ひと呑みだ。よくわからないのは「不幸の原因は物価の高騰ではない、高騰は生産者にとって不幸ではない」などと言われていることだ。賃金を多く払えばそれだけ多く戻ってくる。そうだろうか? いいや、不幸は日々どころか時間単位でころころ変わって、そのため契約があっさり踏みつけにされてしまうことにあるのだ……

コプナとは干草や穀物の円錐状の堆(やま)。1コプナは収穫量にして60~100束。

 ヂェヂーンツェフ一家の賃借料。賃借には作業が義務づけられているが、今年(おそらくはこの1年)、うちで働いているのはその義務労働者たちだ。義務労働者とはいったい何者か? 捕虜なのだろうか? そうではない! 全員ロシア人で、しかも土地の農民だ。地主の土地の一部を使わせてもらう代わりに残りの土地の収穫を義務づけられた者たちである。こうした例は1905年のストライキ後、この地方の農民中間層によく見られるようになった。領地のはずれの土地(作付面積1デシャチーナにつき25~30ルーブリ)を借り、代わりに中心に近い土地(地主の土地)を耕作し、貸借料から耕作費(刈り取り、束ね、運び出し、ときには干草作りも)を差し引く。

日露戦争での敗北(1905)が決定的になったこの年の夏、あちこちで農民運動が起こっている。都市部ではゼネストが武装蜂起に発展し、戦艦ポチョムキンの水兵の反乱に続いて、全ロシア農民同盟の第1回大会(7月31日から8月1日まで)、ブルイギン国会、ポーツマス条約の調印(8月23日)へ。このころ雇われ農業技師だったプリーシヴィンは農業雑誌の編集者から新聞記者へ転進し、「十月宣言」や農村についてのルポを盛んに書いている。

6月18日

 ……こっちが? 悪いのはどっちだ? ドイツ人か? いや、われわれだ、悪いのはわたし自身だ。いい給料を取っている秩序あるロシアと、無秩序なロシア――剣闘士(グラヂアートル)的ロシア。地方自治会連盟や都市の諸団体、それに対する農村ロシア。わが国の経済と銃後の暮らしがいかに苦しいものであっても、重さも意味も????そこにあるのではない。われわれは苦しい、でもドイツ人ははるかにもっと苦しいのだ。こうした暮らしの意義は、不平も言わずに人びと(剣闘士たち)を供出し続けるその能力にある。そこから意味が形づくられ、敵へ打ち返す言葉が生まれるのだ。そうした人間(ロシア人)はまだまだ非常に多いし、われわれ全員、最後まで頑張る覚悟があるし耐えられる!

гладиатор(gradiatorのgladiusは剣の意)は古代ローマの剣闘士。公衆の観覧のために武器を取って戦いまた獣類と格闘した者たち、ふつうは奴隷か捕虜。ここでは隷従的境涯にあるロシアの民衆(とくに農民)を指す。プリーシヴィンはたびたびこの言葉を使う。

6月22日

 母の名の日の祝い。
 ドア、敷居、門、くぐり戸、木戸、狭い通路、裏口、正面玄関――これらは人間飛躍の障害であり試練である。ドアの向こうはどこも同じ。人間はみなそれぞれ自分のためにドアを開けることを学習している。描くとすれば、その人間が、閉ざされた自分のドアの前に姿を現わし、そのあと突然、それを押し開ける――ドアのこちらとあちら。前線からいきなり後方へ。

 〔古代ローマの〕剣闘士たち。ライ麦の取り入れ。天候次第であり労働者次第である――この二つ。麦の大束(バープカ)とコプナの山。農業にはまったく不向きな連中、乞食も同然の。黒雲がしきりに動く。だが、刈り取らなければ〔穀物の〕堆(やま)はできない。彼らを押しとどめようとしても無理――すでに誰かの畑へ移ってしまった者もいる。捷報(しょうほう)あり! 2人の将軍。農業に不向きな人たち――彼らといかに付き合うか。農業労働者などと一括するが、大鎌の刃ひとつ取り付けられないし、犬小屋〔ここではふつうの犬小屋(конура)ではなく狩猟者が作る猟犬の仮小屋(шалаш)〕ひとつ満足につくれないのだ。打つべきは刺激策。その気にさせること――馬鹿でなくきれいな賢い若者(ガールヌィ)がいれば、女たちだってその気になるだろう。この仕事の神経(原動力)はヴォトカにあるが、今はやっぱり鼻薬よりガールヌィのようだ。

 剣闘士たち。彼らが働くのは、むこうに刈り取られるのを待っているライ麦であって、それを断われば〔金が〕貰えないからである。鴉のように黒い雨雲が頭の上を流れていく。お天道様が昇ったら、黒雲はちりじりだ。黒い鳥たちは端から端へ飛んでいく。剣闘士たちは働く――そうするするのでもなく自分のためにでもなく、剣闘士たちのように(前線の)。

 国会の派遣委員団によってもたらされたヨーロッパの印象は、われわれがこれまで抱いていたものとはまるで正反対。ぜんぜん折り合わない。われわれの戦争とは〔違って〕ヨーロッパのそれには、個々人のそれ〔戦争〕への必然性の意識が――独立した人(インヂヴィードゥム)というものが感じられるが、われわれにはそれが感じられない。われわれあは戦争を集団(マス)で、集団の従順さで、したがって、それが当然の〈義務〔兵役〕〉として、グラヂアートルの精神で闘っている……

7月14日〔この日付のメモは最近になって見つかった。長いこと見つからなかった事実 と愛国精神の勝った感のある内容とには何か関係があるようだ。訳者注)〕

 戦争が始まる前は、誰もがその意味を見出だし自分の気持ちを正当化しようと努めたものだが、今では〔あれだけ意気込んでいたのに〕意味などどうでもよくなり、1日も早く戦争が終わること祈っている。
 何もかもが、不平ひとつ言わない国民をどんどん投げ込む脱穀機に似てきた。そしてその脱穀の意味を知っているのは、われわれの知らない主(あるじ)だけなのである。
 〔死ぬまで〕休まず奮闘すること。最後まで頑張り抜くには現地の事情を知らなくてはならない。「オーストリア兵を捕らえよ!」と命令するのは結構だが、これはそう簡単なことではない。それだけの頑張りが必要である。「成果はどうか?」そう問うのは事情がわかっている人間だ。「自分は自分の国をよく知っております。ですからオーストリア兵を捕虜にするだけでなく、あらゆるモノを手に入れてみせましょう」そんな人間が出てくる。何者にも替え難い人物が。
 要するに、自分は今、自分の地所内(フートル)である事業(プロジェクト)を推し進めているのだ。
 戦時下にある現在、地所とその財産をすべて〔国家が〕一時的に収受し、働き手(当然、自身をも含めて)を兵役義務者として戦時法規に従わせるよう提案する。われわれはみなすでに銃後の機関においてしか奉仕できない年齢に達している。
 社会と軍に穀物を供給するフートルが重要な機関たり得ないはずはない。 そこからの収益は国家にとって大きなものと考えられる。自分は、自分の領地が自分名義の所有物として将来返却されること、現状回復できるものと信じている。自分の仕事の質(良否)はむろん別問題ではあるが。

 国家総動員法の公布もそう遠くはないかもしれない。

 旧いものと永遠に新しいもの。生存の遮蔽物、永遠の奴隷制度、やりきれなさ。古びた菩提樹の並木道を歩いている。枯葉の鳴る音、黄葉の香りを嗅ぎ、悩み呆(ほう)けてふらふらと、年寄りの自分を客人とでも思っているのだろうか、ただぶらぶらしている年寄りの怠け者の方へ歩いていく。ああ、母は上から〔あの世から〕息子のこんな体たらくを見下ろしながら言うことだろう――ほらあの子が行く、本当に馬鹿な子だこと。いったい何をしているのかしら……母には何もかもお見通しなのだ。わたしがぜったいそこへ行かなくてはならないことを。母は知っている――あした自分がどこへ出かけるかも。自分には自由が、母には必要が。あっちには何の驚きもない、彼ら(雇われ人)にとって子の世に新しいものなど何もない……

 森から爺さんがやって来た。ニコライ・アキームィチ・ロシーンスキイ。彼は番頭。どんな暮らしをしているか話してくれた。土小屋に住んでいる。ペチカのことなど誰も忘れている。だから暖房のない土小屋に住んでいる。それから鼠がのさばっているという話をした。今年はえらく繁殖したので長持をまるごと齧られたが、水はまだなんとか手に入る、どこからかちょろちょろ流れて来るから毎晩、汲み出している。「あんなとこにいつまでも居たくねえよ」とアキームィチは言う。無理もない――もう75歳なのだ。「講和の話は聞いてないかい?」―「いいや聞いてない」とこちらは答える。「でも、噂じゃイギリス女がトルコ女と平和条約を結んだらしい」―「そんな馬鹿々々しい!」―「わしだってくだらねえとは思っとるんだが……こないだ、薪を買いに来た男が、うちの女房は町で軍のズボンを縫ってるんだと言うから、どんなズボンだと訊いたら、〈綿入れのズボン〉だと。綿入れってことは、平和条約なんかまだ先の話だ、冬を越すってこったからな」

 「百姓たちを怒鳴っているとき、わしはほとんど最高の気分である。真実のために怒鳴っているからだ。それで自分は癒されて、いよいよ声を荒げる。ただそのあと我に返ると、どこか穴の中にでも落ち込んで、さっきまで自分が怒鳴っていた場所を改めてしみじみ眺めたりする。そして傷口が塞がるように徐々にその嫌な気持ちが鎮まると、またぞろ自分の民衆(ナロード)や百姓(ムジーク)についての蜘蛛の巣を織り始めるのだ」(アレクス・ミフ・ロストーフツェフ

前掲。アレクサンドルかアレクセイか? エレーツ市の地主で園芸家。変人。プリーシヴィン家の隣人であるリュボフィ・ロストーフツェワの夫。

 商店主のフェドート・ヂェニーソフは小店を閉じて就職した――信用組合の穀物集積所の仕事だ。そうすることで兵役義務を逃れようとしたのだ。しかし仕事を始めたとたん、軍役所から呼び出しを喰った。たいていはそんなふうにして軍隊にとられるのである。戦争では、家に帰りたければ帰っていい、帰りたくない奴は兵隊になれと言われるのだ――そう思っていた者もいたらしい。

 民俗誌学的のそれでしかないが、大いなる意味を有する事実がある。それはわれわれの暮らしに何十万の外国人労働者を扶植するということ。彼らの大半はもちろん、自分の苦しい不自由な体験を余すところなく伝えるだろう――体験記などの本によってではなく十字架の道によって。すれば、磔(はりつけ)にされたその肉体を通して、今やヨーロッパがロシアを知ることになる。以前は占い鏡で知ったものをこれからは直にその目で。

7月31日

 街道。わたしたちは自転車を走らせていた。その昔、トゥルゲーネフが愛のオーチェルクのための材料を探して歩いたあたりだ*1。一緒に自転車を走らせていたのは高等中学の8年生*2――教授となるべく勉学に励んでいる若者のひとり。しかし祖国愛〔戦争〕のために天職への足がかりが見つからずにいる。トゥルゲーネフは言わばロシアにおける外国人――ロシアを嘆賞するにはもうちょっと外国人である必要がある。そうでなければ、欺瞞がロシアを苛むことだろう。だが今はもう、ほんとうの本物の外国人はそうは信じていない……

*1『猟人日記』(1852)の主な舞台は中部ロシア――オリョール、カルーガ、トゥーラなど諸県にまたがる広大な地域。森、野、川、畑、水車小屋……そこに暮らす人びとの息遣いが生き生きと伝わってくる。「ホーリとカリーヌィチ」「ベージンの草原」「ビリューク」その他。トゥルゲーネフ家の領地スパースコエはむろんのこと、プリーシヴィンの故郷フルシチョーヴォもまたオリョールである。

*2名門エレーツ高等中学(ギムナージヤ)。プリーシヴィンは15の春に退学を喰らったが、この学校の卒業者には中央で官僚になった者(親友のアレクサンドル・コンプリャーンツェフ)、有名な革命家(親友のニコライ・セマーシコ)、詩人のイワン・ブーニン(中途退学)その他がいる。

 ときどき思うのだが――こうした外国人に対するロシア人の情熱的な憧憬(チャーガ)や、ロシアに愛の眼差しを向ける、いわゆる〈輝ける異邦人〉〔メレシコーフスキイを見よ!(三)の注〕に対するこのロシア人の飽くなき夢想というのは、どうも、ロシア人自身がおのれのすべてを謗(そし)り非難する精神的必要性から生じているのではないのだろうか、と。かくも厳格な検察官の義務こそが弁護士の雄弁に場所を明けるのである。
 ただ、今はコーリャ・В(ヴェー)も検察官どころではない。まもなく准尉になるのだ。そう決心したので結び目が解けかかっている。それでこうしてトゥルゲーネフゆかりの地を自由に堪能することも祖国の弁護士たることもできるのである。われわれ2人は良心に疚(やま)しさを覚えることなく、軽快に自転車を走らせていた。時は秋、最良の季節。家屋敷(ウサーヂバ)は花咲く秋の佇まい。光る轍(わだち)。路肩を這う蔓。何もかもが愛しい。ああほら、ハタリスが後ろ足で立っている。キビは刈られたが、ジャガイモ畑はまだそのままだ。雨が多くて、アカシヤの莢はまだ割れていないが、取り立ててどうというのでもないそんなものが、今ではいっそう嬉しく心地よい。ペダルを踏みつつあたりの景色を心ゆくまで楽しんでいた。
 こっちに向かって荷馬車が一台。土地の者が何人かと捕虜がひとり乗っている。外国人は特別目につく存在だ。街道で見かけることはほとんどない。着ている服、物腰。だが肝腎なのは、その目、こちらとは大違いである。どこだったか、それと同じ服を着た製粉所の男が袋を肩に歩いていたことがあった。彼も外国の捕虜だったのかも。飼料用の豆を植えた畑でも、街道や大村(スロボダ)の交差点でも、見かけたような気がする。それとそっくりの男が、鍛冶屋に馬を引いていくとき、われわれの方にちらっと視線を走らせたこともあった……
 わたしもコーリャも同じことを考えていた――わが国には今、至るところにこんな人間がいて、われわれを見ている。その多くがわれわれについてそれぞれ意見を言うだろう。そうした意見にはたしかに新鮮な響きがある、なぜなら外国人は今や、徴収された軍人(いくさびと)のヴァリャーグ人としてではなく、わがナロードと同じ奴隷として十字軍に加わったのだから。
 すれ違う四輪馬車。捕虜はお百姓たちとまったく同じ恰好で――脚をぶらぶらさせて、ごく自然に彼らと何か話をしていた。見たところ、仕事が彼らをひとつに結びつけていて、言葉の違いは問題でないようだ。
 外国人は、自転車を漕いでいるわれわれに気がついて、訊いてきた。「ここにはあなたちのような人は多いのか?」。そう言われて、すぐに思ったのはこんなことだった――『あなたたちのような』とはどういう人のことだろう? 若い人という意味か? でも自分は若くないし、コーリャはまだ少年だ。金持ちということか? 外国人にとって自転車は富裕のしるしではない。では、どういう人だろう? その外国人の目に街道のわれわれはどんなふうに映っているのか? なぜ『ここにはあなたたちのような人が多いのか』などと問うたのだろう?
 質問の意味はわからなかったが、荷馬車に乗っている人たちはすぐに察したようだ。すれ違ってすぐに、背後で――「あんな奴ばっかだ、騙(かた)りだよ」。彼らはこちらをそんな特別な人種――自転車に乗って景色に見惚れている碌でなしの特権階級として切って捨てたのだ。

 中学生と自転車で町へ出かけたのは、郵便で小さな記事を送るためだったのだが。

8月1日

 人間が抱く最も大きなイリュージョンのひとつは土地所有の感情である。個々の土地所有者が単に一時的な借地人にすぎないこと、晩かれ早かれ、その土地が他人の所有に帰するのは疑いの余地がない。だが、それら所有者はいずれも、土地をわがものとしながら、その所有時間が限定的なものだと感じている。土地というのは脆い人体を支える土台、固い鉱物の混合物から成る土台のごときもの――たえず生の脆弱さを思い知らせるよすがともなるものであるらしい。にもかかわらず、自分の台脚を所有するというのは……

 固定価格。「ライ麦はルーブリ札から出てくる(芽を出す)わけじゃない」。なのに、動かない定価1ルーブリ50コペイカ。

8月3日

 農婦(バーバ)と淑女(ダーマ)。我儘し放題のバーバたち。家庭訓が破綻して、手前勝手のバーバたちはやりたい放題。

家庭訓(ドモストロイ)は、16世紀のロシアの司祭(シリヴェーストル)が集大成したとされる道徳書。家父長制的な家庭生活での決まり・掟・道徳を説いた。

 こんなタイプ。豚を買った独占資本家は独身である。これで戦争の3年は脂身(サーロ)で生き延びられると計算している。

8月5日

 エレーツにコーリャ・ヴォルーイスキイと行く〔これは7月31日のことか? 人物の数と内容、会話の中身が少し異なっている(訳者注)〕。
 自転車で街道を行く。町へヒキワリとホップの実を買いに。コーリャは8年生。途中で一台の荷馬車とすれ違った。男が10人ほど乗っている(オーストリア人とロシア人)。脚を投げ出し、マホルカ〔安い刻みタバコ〕を吸いながら話をしている。畑の取り入れに行くのだ。コーリャは文学者(リテラートル)になるつもりなので、あらゆるものに観察の目を向ける。
 「ほら、敵の一団だ」と、コーリャ。
 われわれとすれ違うとき、オーストリア人たちがロシア人たちに向かって、こっちを指さしながら、聞こえよがしに訊いている――「この国にはああいう連中は多いのか?」
 「ああいう連中だって?」コーリャとわたしはしばし考えた。「ああいう、健康で戦争の役に立つ人間ということか、それとも私的な用事で自転車でどっかへお出かけの自由人間? いや、ちゃんとした服を着てお金を持ってる人という意味かもしれない。いやいや、顔からして知的な職業人ということかも。『ああいう』とは何を指して言ったのか? 自分たちはあのオーストリア人たちの目にはどんな人間に映っているのだろう?」
 ロシア人たち(いずれも初めて見る顔だった)がそれに答えた。それがこちらの耳へ届いた。
 「あんなのがいっぱいいるんだ! 近ごろ出てきた〈騙り〉って奴さ」
 そんな答えからオーストリア人たちが何を理解したか知らないが、しかしわれわれにはよくわかった。畑に向かう者たちの頭に浮かんだわれわれのイメージ――それは役人でも商人でもインテリでもない、その中間の、ライ麦を刈るような階層の人間とはおよそ別の、敵側の人間だった――『見ろ、自転車になんか乗ってやがる!』。
 「ありゃあ騙りだ、いかさま野郎さ!」そう男たちは言った。
 ロシア人であるわれわれにはわかったが、外国人にはどうだったのだろう? 荷馬車でなく自転車に乗ってる人間をみな騙り呼ばわりするのだから。

 タバコ屋で片目の――耳も聞こえないらしい傷痍軍人が釣針を買おうとしていた。店の番頭が指を使って値段を教えようと試みる。そしてみなに向かって――
 「可哀そうなのは犠牲者だ、まったくなあ!」
 退役の陸軍中佐が誰かに説明している――「紙が値上がったからパイプにしたんだ……だから妻には内緒でマホルカを吸ってるんだよ……」
 職業革命家のВ.Т.В.(変人!)が嬉しそうに両手を揉みながら、言う。「さぁてと、仕事に取りかかるかな!」  目を覆っていた包帯を戦争が剥ぎ取ろうとしている。いろんなものが見えてきた。神秘と聖性の威光(オレオール)に包まれた平凡人の内なる権力欲。わかってきたのは、見事なそのオレオールの陰に隠れた地主の力。

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