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プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 08 . 07 up
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 英国びいきであるП(ペー)と、〈男爵〉クロポートキン〔アームプリイ・セルゲーエヴィチ・クロポートキンは公爵。ロシア赤十字社の活動家、前出〕――こちらはドイツびいき。男爵の口から出てくるのは、秩序の思想、モノの配列について。移動病院の経理課長(〈ツシマ〉の元掌帆長)と看護婦。彼は、他人の余計な言葉には沈黙で応えることにしているようだ。移動式テーブルに向かって、いつも何か考えている。そばに看護婦がひとり……ふたりが囁き合ったりしているところへ、『滅菌器(ステリリザートル)を!』などと叫ぶ声が飛んでくる。ふたりが話に夢中だと、まわりの者はみな聞き惚れてしまう――そんな噂〔互いに愛し合っている〕があるほどだが、わたしには何も聞こえてこなかった。彼も彼女もわたしにはどこか厳しく対しているように思われた。その後しばらく彼らとは会わなかった。間を置いてまた顔を合わせたとき、彼らはわたしに、親しい人にしか見せないような、愛想のいい微笑を浮かべた。それで、彼の方から(……自分の方からもだが)少し打ち解けて、四方山話ができる雰囲気になったとき、〔直接彼に〕訊いてみた。
 「それでもやはりドイツ人は粉砕する必要があるわけですか?」
 彼はしばらく考えていたが、急に思い立ったように――
 「でも、なぜまた、彼らを粉砕する必要があるのでしょう?」

 看護婦のマーラのこと。

 「閣下、わたしは見つけましたよ、自分の寝袋を!」

これは2月22日の夜、前線に近いグロドノに着いたときのプリーシヴィン自身の言葉。なかなか自分の寝場所が確保できなかった。相手〔閣下〕はロシア赤十字社の公爵。

 彼女〔マーラ〕は森の中で凍死寸前の状態で発見された。半壊した自動車の中。看護婦を公爵は自分の車に乗せなかった――あまりに人が多すぎて。

 徒歩と車で全員通過……
 雪を軋ませて巨大な車輪が回転していく。続いてもう1台、さらにもう1台。その奇妙な響きが何かを連想させた。そう、それは戦闘でも攻撃や撤退の音でもない――さまざまな色の音調(トーン)を空に打ち上げる狼たちの遠吠えのようだった。そのとき森に入っていったのは通信兵たちである。枝々に電話線を架け柱を立て……各自ばらばらに突き進む。警備のために後方に留まる者、火を焚く者……ひょっとすると、彼らが通過したあとで、電話線は待ち伏せしていた敵に切断されるかもしれない。(数語判読不能)。人気のない森を貫く細い電話線。スピリドーノフは藁にも縋る思いでそんな1本の電話線に目を凝らしていたのだ。

 白き狼(クロポートキン公爵)〔白き狼はあだ名か〕がわたしに、英国製のタバコをいただけないかと言う。わたしの小さなパイプですぱすぱやりながら車に乗り込むと、いかにも名残惜しそうにパイプを返してよこした。どうしようか? 簡単なことさ。『わたしも乗せていただけませんか?』――『どうぞどうぞ!』。それで決まった。
 こうしてわれわれは出発した。

 グロドノ。テーヂク。ポーランド女。主計官〔じつは野戦病院の経理課長だが〕の恋。幸せはあるか? 幸福を測る尺度は横〔幅員〕だが、不幸の尺度は縦〔奥行きないし深さ〕であるとか。
 捕縛の恐怖。イワン王子、県知事。戦争で生き残るのは獰猛な連中(ヒーシチニキ)と聖人たち(スヴャトゥイエ)である。

〔1915年の日記はここまで〕


参考資料(3)戦況一覧

 当初、帝国ロシアの参戦は国民に支持(挙国一致)され、内政への不満も暫時鎮まったほどだったが、14年8月に東プロシアのタンネンベルクの戦いでドイツに大敗を喫し(被害甚大)、攻勢に転じたドイツ軍に帝国領ポーランドを侵されたあたり(10月、ワルシャワ占拠)から、前線にも銃後にも重苦しい空気が漂い始めた。そうして開戦2年目の1915年を通じて、ロシア軍は、長期化への暗い予感に苦しみながら、1300キロのフロントに沿って徐々に領土を手放していく。2月半ば、作家は再度、新聞社の特派記者(兼看護兵)として戦地へ。現場は激戦地の一つとなったアウグストフの近郊(白ロシアに近いポーランドの大森林地帯)。帰還後、不安定な生活に見切りをつけ、遺産によって得た故郷フルシチョーヴォの小さな土地を耕すことを真剣に考える。

      *   *   *

○ 1915年1月、アメリカ合衆国の連合国への武器の輸出にドイツが抗議。ドイツ、潜水艦攻撃を宣言。

○ 1月13日、イギリス、ロシアの要請でダーダネルスへの海上作戦決定(作戦開始2月19日)

○ 2月3日、トルコがスエズ運河を攻撃。翌日、押し戻される。

○ ドイツ、イギリスの北海封鎖に対して無差別無警告で船舶を撃沈すると宣言。

○ 2月18日、対英封鎖開始、潜水艦による海戦始まる。

○ 3月4日、ロシアがダーダネルス・ボスフォラス海峡とコンスタンチノープル(現イスタンブール)の領有を公式に要求。

○ 英仏が講和に際して、ロシアのコンスタンチノープル・海峡地帯の領有を保証。

○ 3月20日、ミャソエードフ大佐、スパイ罪で処刑。

○ 3月21日、ドイツの飛行船がパリを急襲。

○ 4月22日、独軍、ベルギーのイープル(第2次イプールの戦い)で塩素系毒ガスを大量投入、化学兵器が初めて使われる。

○ トルコがアルメニア人約175万人の追放を開始、うち60万人がメソポタミア砂漠で餓死(アルメニア人がロシアの味方であるとして)。

○ 4月25日、英軍、ダーダネルスのガルポリに再上陸。墺軍も参加。仏・豪軍、アジア・トルコに上陸。ケマル・パシャ率いるトルコ軍の猛反撃。

○ 4月26日、イタリアと協商国、ロンドン秘密条約に調印、イタリア1ヵ月以内に参戦すると。リーユの戦い、アラースの戦い(~5月)。

○ 5月、ロイド・ジョージが軍需大臣に。ルシタニア号の撃沈事件。

○ 5月2日、独軍とオーストリア=ハンガリー軍、ゴルリースを攻撃。露軍に勝利しガリツィアを奪回。

○ 5月7日、イギリスの豪華客船ルシタニア号、アイルランド沖でドイツの潜水艦Uボートに撃沈される。

○ 5月23日、イタリア、かつての同盟国オーストリアに宣戦布告。

○ 5月24日、ドイツ、対伊国交断絶。

○ 5月24日、イタリアがオーストリア=ハンガリーに宣戦布告。

○ 5月27日、第9回全ロシア商工業代表大会(~28日)、戦時工業委員会設置を決定。

○ 6月9日、独墺軍、リヴォーフを占領。

○ 6月18日、ロシアの陸相にポリヴァーノフ就任。

○ 6月末、伊軍のイソンツォ河への攻撃始まる。

○ 7月5日、英・仏大臣(ジョフルとキッチナー)の戦略会議。連合国の経済協力会議。

○ 7月9日、英軍、独領南西アフリカを占領。

○ 7月14日、アラブ民主主義勢力が対英交渉(16年1月10日まで)

○ 7月23日、露軍、ワルシャワ放棄。ワルシャワが中央列強の手に落ちる。

○ 7月25日、第1回全ロシア戦時工業委員会大会(~27日)。

○ 8月、ロシア国内に敗戦への不満高まる。

○ 8月5日、独軍、ポーランドに侵入しワルシャワを占領。ワルシャワからロシアへ。

○ 8月6日、伊軍のイソンツォ河への再攻撃。ミハルトン将軍、ダーダネルスを再々攻撃(失敗)。

○ 8月7日、墺軍、ベオグラード攻撃。

○ 8月18日、モスクワ市会、〈信任内閣〉を要求。

○ 8月19日、アメリカ客船アラビック号が無警告でドイツの潜水艦に撃沈される(10月9日、ドイツが謝罪)。

○ 8月21日、イタリアがトルコに宣戦布告。

○ 8月22日、ロシアのブルジョア=地主政党諸党、進歩ブロックを形成。

○ 8月23日、皇帝ニコライ二世が露軍最高司令官ニコライ・ニコラーエヴィチ公を罷免、自ら最高司令官に。

○ 8月24日、進歩ブロック、綱領を発表。

○ 8月25日、独軍、ブレスト・リトフスクを占領。ポーランドが同盟国側に落ちる。

○ 9月5日、スイスのツィンメルワルトで国際社会主義者会議(レーニンら左派が右派と決別し、帝国主義戦争の内乱への転化を主張)(~8日)。

○ 9月6日、ブルガリア、秘密裏にドイツ側につく。

○ 9月25日、フランスのシャンパーニュで連合軍攻勢(~10月)。

○ 9月28日、英軍、トルコ軍を撃破し、イラクのクト・エル・アマーラを占領。

○ 10月5日、英仏軍、ギリシアのテッサロニキ(現サロニカ)に上陸。

○ 10月6日、独墺軍、ドナウ川を越えてセルビアへ進撃(9日、ベオグラード占領)。

○ 10月11日、ブルガリア、中央列強側について参戦。マケドニアに侵入。

○ 10月14日、ブルガリアがセルビアに宣戦。独墺軍とブルガリア軍、セルビアを占領(~12月)。

○ 10月15日、イギリスとモンテネグロがブルガリアに宣戦布告。

○ 10月16日、フランスがブルガリアに宣戦布告。

○ 10月19日、イタリアとロシアがブルガリアに宣戦布告。

○ 10月24日、イギリスは、メッカの知事フセインに対して、トルコ戦参加の代償として〈アラブ王国の独立〉を約束(マクマホン書簡)。

○ 11月、セルビア軍がギリシアへ逃避。露軍がペルシアに進攻しウルミアを占領。

○ 11月14日、マサリクが独立チェコ実現のため革命委員会を設置。

○ 11月29日、ペトログラードで戦時工業委員会労働者グループ選出やり直し集会。

○ 11月30日、ドイツで青年と婦人が平和とパンを求めて国会前でデモ(参加者1万5000~2万人)。

○ 12月6日、パリのシャンティーイで全連合国の軍事会議。英軍のダーダネルスからの撤退を決定。ソンム河攻撃(予定)。

○ 12月12日、ゴーリキイが総合雑誌「年代記(レートピシ)」を創刊。

○ 12月14日、独・墺・ハンガリー間の露領ポーランドの分割に関する協定が成立。

○ 12月19日、イギリスのダグラス・ヘイグ、仏遠征軍司令官に就任。

○ 12月21日、ドイツでリープクネヒトらが戦時公債に反対投票。

○12月末、ガリポリ撤退始まる。

  ◎参考資料―A.J.P.テイラー「第一次世界大戦」倉田稔訳・新評論。岩間徹編「ロシア史」山川出版社。シリーズ20世紀の記憶「第1次世界大戦・1914-1919年―総力戦とロシア革命」毎日新聞社刊。

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