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プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 07 . 10 up
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 ある住人(ヂェーエフ、未詳)の精神状態。彼は国会(ドゥーマ)解散前の熱の入り方を新しい革命の始まりととらえている。百姓についても、大衆(マス)としての百姓は革命には向いていない、常任の〔交替なしの〕総代(スターロスタ)で十分間に合う――『それに相応しい人物が見つかった!』から、もう革命に走らなくていいと。そういうわけで彼は総代に勝利を託し、勝利の暁には新しい生活が、かくのごとき生活が始まると思っている。すなわち、株式仲買人〔ヂェーエフ氏はブローカーか?〕などは見違えるような存在になり、夢はふくらみ舞い上がる。すると彼のうちに戦地の兵士たちを鼓舞する精神がスピリットが息づき始めて、前線と後方とがひとつになったと感ずるにちがいない。だが、醒めた目で見れば、戦地は泥の中、支離滅裂で、不公平で、怪物じみた人権蹂躙ばかりである。にもかかわらず、兵士はいまだ夢の中――手柄立て偉業を為さんとする自分の夢もいつか大輪の花を咲かすはずだ、と。
 いつだったか、戦争の始めのころ、わたしには、わが軍の勝利は敵への勝利であると同時に自分への勝利でもあり、自分らはしっかりと団結している――とそう思っていた。が、あれから15ヵ月が過ぎても、ロシアはロシアのまま、夢見心地で、ずうっと泥にはまったままである。

 この戦争はそうすぐには決着がつかないかも、戦争慣れしてズルズルいくかも――そんなことが脳裡をよぎる。いま15ヵ月を経て、戦争への慣れが誰のうちにも見て取れる。何かが鈍磨して、とうとう盗みまで働くようになった。心理的には少しも新しいものはなく、人びとはいつでも蚊帳の外に置かれている。

 戦争についてのさまざまな説明を集めたら、面白いかも。そもそも戦争の原因は何であるか? 帝国のため? 工業のためか? その他いろいろ考えられるが、戦争原因を知るところからは遠く離れている(社会的状況・立場の)せいで、われわれには、戦争が善と悪の闘争であるように思われている。そういうわけで、俗人たちは概して自分のほうから戦争の心理的原因みたようなものを引っぱり出してきて、永遠の(とはいえ人間によって失われた)基盤(ナチャーロ)が、世界的規模の大釜の中で今まさに煮え返っている――そんな光景をわれわれに思い描かせようと躍起になるのである。

11月10日

 あれかこれか――二者択一の生活。なぜ第三の生活がないのだろう? 第三の生活などあったら、もうそれでお仕舞い――そんな気がするから。そんなことなら、ひと思いにズドンとやったほうがいいのだ。なぜまた自殺なんか? もっとうまく生きられないのかね? Aから逃げたら、Bも無くなるだろう。あれとこれとが互いに絡み合って、まるでそれがひとつの存在〔ひとりの人間〕であるかのよう。自分があっちでなくこっちを選び、結果において、奇妙な森の暮らしを、漂泊の人生を、農耕生活を送っているのは、やはり彼女〔フローシャ〕がそこにいるから、なのだ。

妻のエフロシーニヤ(フローシャ)・パーヴロヴナとワルワーラ(ワーリャ)・イズマルコーワについての話。日記に出てくるワルワーラは、いまだに彼の《許婚(ニェヴェースタ)》であり、《あこがれ(メチター)》であり《詩の女神(ムーザ)》であり続けている。

12月8日

 戦争が終わって、もの凄い数の悪が解き放たれ、新しい幸福な生活などあり得ないのではないか? どうもわからない。悪――それは、創造の、ひっちぎられて飛散した鎖の環。戦争をしているあいだに、どれだけの創造的人生が飛び散ったことか?

 祖国(ローヂナ)。祖国について祖国の子は何を語るか何を発見するか――異人も通りすがりの者も発見することはないし、また異人が目にしたものを祖国の子は知ることがない。

          アウグストフの森で
     ――戦地報道・1915年2月15日~3月5日――

 アウグストフの森は旧ポーランドの流刑地である。将軍が茸狩りをしていた。迷信深い住人たち。金髪のベロルース人〔ベラルース〕。ペテルブルグの森がただの藪にしか見えない

グロドノ市の東方に位置するアウグストフの町〔ポーランド語でアウグストゥフ〕とその有名な大森林地帯(アウグストフの森)は、第一次大戦での東プロシアにおける露対独の激戦地のひとつ。ロシア軍には開戦後50日にして早くも兵員の輸送難と砲弾物資の補給難が生じていて、14年末にはそれがまったく危険な状態に立ち至った。プリーシヴィンが特派記者の任務を終えて帰国した1カ月後の15年4月、ドイツ軍はガリツィアでロシア軍の第一線を突破し、7月初めまでにロシア軍を完全にガリツィアから退却させると、引き続きポーランドからも敗走させた。この「戦地報道」は、記者の直接体験というより、攻勢と退却を繰り返す自軍の兵士たちからの聞き書きのようなもの。時間が前後する未整理の箇所がかなりある。

 狼たちはシベリアからやって来た――渡り鳥みたいに。ロシアに狼はいない。どういうふうに嗅ぎつけるのか――そう、〈オオカミの流儀で〉互いにすり寄って相手を知るのだ。
 狼と飢えた人間たち。狼たちは後れた人間のあとをつける。そして捕まった者たちは、〔ロシア兵が〕何か食わせてくれるだろうと期待し、歩いている――主人を取り替えた犬たちみたいに。
 度重なる攻撃と退却が国土を荒廃させると、飢餓が祖国愛に取って代わって人びとを支配し始めた。

 活人画〔台詞も動きもない舞台〕。深夜に森の街道を行く部隊。戦闘後に同じ街道を走る連隊。〈敗残連隊〉の司祭が歩いている――走るのをやめて、いきなりとぼとぼと。ドイツ人がいる! どんなドイツ人だよ? 捕虜か? いんや、でもそっくりだぜ! この阿呆、脅かすんじゃねえよ、すっとこどっこいめ!
 〔われわれは〕窓に腰かけていて、たえず目のふちで様子を窺っている――街道を走ってるんだ、軍隊が。それがずうっと。〔軍隊は〕飛行機を見ようとあちこち歩き回って、戻ってきた。走って走って、輸送隊を送り出し、また戻ってきた――そのあいだ走りっぱなしである。誰も足を止めない、止まれと命ずる者もいない。

 敗残連隊が寄り合う。「だいじょうぶ、集まるさ」大尉はそう言ったが、しかしわれわれは、〔彼らは〕全滅したと思っていた。
 第七師団の砲兵。ラッパ手が走ってくる。
 「二等大尉殿、馬からお降りください、やられてしまいますよ! 森の中からいきなり襲ってきますから、あいつら!」
 「革鞘の剣(シャーシカ)はどうされました?」
 「剣はどっか手の届かんところ〔ケツの穴の奥〕に置いてきた」
 「さあ、では拳銃を」
 「やくざな、できそこない〔拳銃〕は、腹の上でぶぅらぶらだ。どうもならんよ……一斉射撃が始まって、馬が烈しく嘶いたから、わしは全力で馬を駆った。駆ったはいいが、そのまま湿地に突っ込んだよ。わしは馬を引っぱり出そうと必死だった。ようやく引っぱり上げたところで、どっかで犬が吠えている。声のする方に行ってみると、なんと村があるじゃないか!」
 「〔そこに〕ドイツ兵がいるとは考えませんでしたか?」
 「考えるもなにも。へとへとだったから、もうどうなったっていい。構わず戸を叩く。老婆が出てきた。『ドイツ兵はいるか?』と訊くと、婆さんは『眠っとりますよ』――そう言ったきりだが、そのあとひょいと出てきたのはわが軍の竜騎兵だ。どうも婆さん、自分の家で寝てたのがドイツ人なんだかロシア人なんだか、ちっとも区別がつかんようだったな」

 木炭片、それと焚火。火のそばに男がひとり横になっている。足で蹴ってみた。『なにを寝てる、おい、起きろ!』――よく見ると、男の鼻が喰いちぎられている。

 これまで身内の誰かを戦場に送り出してきた女たちだが、今回はちょっと様子が変である。泣き喚きが尋常一様でない。当然だ。以前なら若い衆が何台もの馬車に木材を山と積んで出たものだが、今はそれが爺さん婆さんばっかりなのだから。

 兵士はなんとかズルを決め込む。ドイツの一負傷兵のためにわざわざ荷橇が出され、セイヌィ〔アウグストフの森の北、ポーランドはスヴァルキ県下セイナ湖畔の町〕まで運んだのだという。青い目のドイツ人。
 故郷はどこだと訊いたら、ライン川だと。自分の許婚(いいなずけ)の話か何かをしたらしい。
 負傷者――中にぶるぶる震えている兵士がいて、それも一緒に運ばれていった。そのときついでにドイツ兵(一名)も連れていこうとしたが、結局ひとり残されて可哀そうなくらいだった、一緒に連れてったらよかったのに(これは看護婦のマーラの気持ち)。
 負傷兵が5名、徒歩で送られてきた。2匹の犬も一緒。どこまでも中隊についてきた2匹の子犬は、負傷したひとりの下士官のあとを追ってきたのだという。それまで子犬たちはずっとアウグストフの森の中にいたのである。

 サポーツキノ〔グロドノ近郊〕の上空。飛行機が数機、輪を描いていて、突然の発射音。どっから飛んできたのか。地上では人間たちがのたうちまわっている――雨に打たれたか、旋風に巻き込まれたか。
 移送〔誤記か誤植か? ここは移送(перевозка)ではなく包帯(перевязка)かも〕。血の気のない看護婦の顔。腕を挙げるように言いながら、『さあ、よく見せて!』。公爵の体ががくがくしだした。
 将校専用の部屋では、軽騎兵がドイツ人の話をしている。スラヴ人は柔らかで激しいところがないが、あっちの連中〔ドイツ人〕はシステムで〔組織立って〕やってくる云々。
 軽騎兵がカザークたちと向き合っている。そこに工兵がひとり。兵隊外套から弾の破片がぽろぽろと、まるで兵隊たちが払い落とす蚤のようである。
 一方、窓の向こうを兵隊たちがどんどん駆けてゆく――切れ目のない雪崩といったところか。榴散弾が飛んでくる。轟音炸裂。それがどこから飛んでくるのか、飛行機を狙っているのか。敵の榴散弾か味方の榴散弾か、わからない。そこへ第七三師団の大尉がやってきて、自分が敵に捕縛されたときの状況やら何やらを語り始めた。
 望楼のある小丘、あるいは監視塔の山(プン・ゴラー)――そちらは埃と煙、〈スーツケース〔大型砲弾のこと〕〉と榴散弾。
 捕らえられた小僧っこたちは腹をすかせているから、そこらにあるものは何でも搔っさらう。今も『Brot、Brot〔パンをくれ!(ドイツ語)〕』と叫んでいる。

 師団本部の置かれたギーブィ村〔セイヌィの行政区、郷〕の農家。ソファーに藁が敷かれ、そこに師団長が腰かけて、藁しべでお茶をかき混ぜている。
 望楼のある小丘。よくもまあ! 全部で6門の砲が陽光を浴びてきらきら輝いている。双眼鏡を手に将校が歩きながら手を振っている。1弾目は不着、2弾目は遠着、3弾目は命中したが、そのあと、あっちからもこっちからも火砲が飛び交い始める――ほんとにこっちからもあっちからも。
 〔榴散弾の〕話の中に出てきた話。
 「松という松のてっぺんが吹き飛ばされたが、場所が場所、ラッパ手が駆けてきて、『二等大尉殿、やられてしまいます!』とご注進だ。だがここは荒涼たる原生林の中。〈まともに一戦交えるほうが〉嬉しいのだろうが、もとよりそんなことを考えてる余裕はなかった。
 「われわれは最後の歩兵、とぼとぼ歩くしかない。
 「自軍の飛行機も猛射を浴びせる。パニック。みなして連射、狂暴化し、20歩先の小川に突っ込んでいく。仆れてもまだ連射を続けた。
 「ネマンの対岸では、渡河のための防備にあたって……おれは挙手の礼をして氷の上に乗った。氷に乗って向こうに渡るんだ。すると自分の周囲にピシッピシッと弾が飛んでくる。それだけかと思っていると、またしてもピシッピシッピシッ。
 「捕虜になる恐怖。捕虜に食わせるものなんかありゃしない。奴らは斬って捨てるんだ……。
 「投降は可能なりや? とんでもない。自分が自分の体の主人というわけじゃない……虜囚の恐怖、拷問を受けた者たちの噂、その惨めな光景。そうしたものが、降伏は死よりも恐ろしく、ちょうど心臓がぎゅっと締めつけられるようなものだという、銃後とはおよそ正反対の考え〔理解〕を生むのだ。敵が近づいていると聞いただけで、恐怖はいや増す」

 2匹の犬を連れた電信手たちは、当然といった顔で――使命感に燃え、威厳に満ちている――真っ先に森へ潜入する。まず巻枠を運び込み、枝や杭に電話線を架け渡していく。それは、あらゆる音という音(雑音だろうが何だろうが)を後方に送るためだ……上級通信手が戻ってきた。任務を終えて、今はちょっと虚脱状態。焚火が幾つか。火のそばには見張り〔の通信手たち〕がばらばらに立っている。ひょっとして、それは、わざと騒音(シュム・ガーム)を起こそうとしているのかも――森に潜む敵〔の待ち伏せ〕を攪乱するために。

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