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プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 06 . 19 up
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 カフカースやクリミヤの村を思わせる町方のみすぼらしい家々の続く通りは、いつでも、ほんわかした糞肥のにおいがしていて、路上の馬糞(暖房用)を拾い集めている人たちがいるかと思えば、白い立派な樺の薪を満載した荷馬車も行き交っているのだが、よく見ると、馬車の荷は薪ではなく、美味しそうなチョウザメの肉のようである。
 チョウザメの肉をどこへ運んで行くのか? それを見ている羨望、溜息、呪詛の幾十許(いくそばく)! この町の貧しさに一瞬でも哀れを誘われれば、チョウザメの持ち主こそは悪党だろう。その肉はどこから運んできたのか? ついこのあいだのこと。さほどでない地主の家の客になったとき、主はわたしを庭に案内すると、そこに生えている、びっくりするほど大きな樹木の話をしだした。それらを近々切り倒すのだと言う。樹齢数百年の巨木群が、広さにして1.5デシャチーナの土地いっぱいに生い茂っているのだ。なんという贅沢のきわみであろう! 地主はそれをみな伐採して高値で売ることにしたのだ。楡(ニレ)は高価な細工物の用材になるし、楓(カエデ)も同じだ。そのほかにもそこにはたくさん見事な美しいトネリコが生えていた。トネリコは何に使うのがいいのかと訊かれて、トネリコでもとても高価なものが作れますよとだけ答えた〔プリーシヴィンは一応これでも農学士だ〕。その高価なものが何だったかは、どうしても思い出せなかった。そこへ植物学を修めた人がやって来て、われわれの話に加わった。そしてにこにこ顔で、いきなり――
 「木工だの芸術だの、今はそんな話をしてる時じゃありませんな!」
 こっちが驚き呆れていると、またもやにっこり笑って――
 「今は誰もが薪だ焚付けだと騒いでいます。薪より貴重なものはない、なんてね。1プード20コペイカですよ。生木はともかく、乾燥したやつは40コペイカもします。これじゃどんな芸術もかないませんよ」
 実際そうだった。工芸の素晴らしい素材が薪にされてしまった。これ以上デモクラチックな使われ方もないようである。それで今は、中産階級(プチブル)の多く住む通りをその手の薪が運ばれていくのを、とても手の出ないチョウザメの肉でも見るような目つきで、誰もが眺めている始末である。
 ちょっとした財産家なら誰でも一つや二つ隠し場所を持っているだろう――そういうところを覗けば、碾割(ひきわ)り麦だの雑穀だのが山と積んであるはずだ。きょう誰かが『酢酸エキスを買っておいたらいいよ』と言えば、翌日には誰もが濃厚な酢酸エキスを買うし、明日またワセリンが話題になれば、何フントも買占めに出るだろう。そしてそれが、すべて自然でデモクラチックでさえあるのだ。価格が恐ろしい速さで高騰している。たっぷり儲けている労働者でも、余ったルーブリはすべて食料品に当てなくてはならない。『おれは買い溜めしないでいられるほどの金持ちじゃないんだよ……』――どんな貧乏人でもそう言うはず。堂々たる先導馬と水運び用の痩せ馬が先を競っている感じである。

トネリコ(ясень)――〈生命の木〉とされる樹木。ヨーロッパ人のみならずアメリカ・インディアンの間にもトネリコにまつわる多くの神話、伝説、物語がある。なかでも多いのがトネリコを恐れる蛇の話。スラヴ人にもトネリコが蛇を麻痺させるという言い伝えがある。樹皮、葉、それを焼いた灰、その煎汁に浸した衣服やプラトークにも、あらゆる蛇を静めてしまう力がある。麻痺した蛇は相手を咬めなくなって、まじない治療師(ズナーハリ)の言うことを聞くようになる。蛇の毒はトネリコを煎じた薬で中和されるという。

編訳者によるエッセイ(五)

呪樹譚

 トネリコの名が出たついでに、樹木にまつわるロシア人の話をしよう。
 スラヴの神話やフォークロアでは、宇宙の中心に聳える大樹(宇宙樹)が知られている。「大海原のクルガン島には、巨大なドゥープが一本そそり立っている。その根元に寝台が置かれてあって、若い娘が身を横たえているが、じつはそれが蛇の姉妹。わたしはその彼女に歩み寄ると、マムシやヤマカガシのことで苦情を述べる……」
 この一本のドゥープは三つの世界――地下と地上と天上の世界にかかわっている。それらをひとつに結び付けているという構図である。根元には蛇と穢れた霊が棲み、梢は神、天(または空)太陽、鳥たちの領域だ。よく知られているのは、その木を伝って人間が天上界へのぼっていく話である。東スラヴ地方のフォークロアのテーマは、ドゥープを伝って天に至り、そこで目にした不思議の数々――たとえば、そこでは牝牛が安く、蚊(の価値・位・値段)が高いなど――に驚く〈愚か者〉の奇譚というかたちをとる。俗信によれば、樹木は、秋になって蛇たちが神話の国を去る道筋(ルート)なのだ。地上と地下の世界をつなぐ木は、「悪魔どもによってすり替えられた子どもたち」という、西スラヴ地方に伝わる物語の中にもかたちをとどめている。自分の息子を取り戻すために、女は代わりのものをある木の下に置き、あとでそこから本当のわが子を連れ戻すという。人びとは、生前故人が手に触れたもの――古い婚礼衣装など――をその木に投げかけるか根元に置くかする。むろん、燃やしたり穴に埋めたり川に流したりもする。
 あの世に通ずる〈道〉のメタファーとしての樹木は、死と結びついたスラヴ人の迷信や儀式に共通したモチーフである。「ココーリエ(倒木)へ去る」、「ドゥープを見つめる」、「ドゥープになる(冷たくなる、凍える)」などの儀礼的な言い回しも、たいていは「逝く、死ぬ」の意味である。また、追善供養で行なわれていた幹を攀じる遊びのようなもの、聖三位一体祭(トロイツァ週)のころに木から降りてきて、祭りが終わるとまたその木を伝って〈あの世〉へ戻っていくルサールカ(死んだ未婚の娘あるいは子ども)の言い伝えなどからも、それは容易に想像がつく。
 死後にヒトの魂が木に移るというのも特徴的なものである。
 白ロシア(ベラルーシ)人は、きいきい音を立てる木にはそばを通る人に自分のために祈ってほしいと願う死者の魂が宿っている、と考えた。祈ったあとで、その人間が木の下で寝込むと、必ずや〈木の魂〉が夢に出てきて、かつて自分が犯した罪過のためにその木に閉じ込められた経緯(いきさつ)を語るはずである。セルビア人は、ヒトの魂は自分の墓の上に生えている木の中に安らぎを見出す、と考えていた。墓地の木を切り、枝を折り、実をもいだりすると、魂は苦しんで、夜な夜なその人間を追い詰め、不眠症やら何やらで悩まそうとする。スラヴの譚詩には、これと似たのがほかにもある。たとえば、呪われて木に変えられてしまった者たち、故なく追いやられた恋人たちの墓の上で風にそよぐ木々、殺された人の墓に生えた木でこしらえた不思議な笛など――こうしたフォークロアのテーマは、やはり、死んだ人、若くして世を去った者たちと密接にかかわっている。無念にも途中で断たれてしまった彼らの生が、この世とは別のかたちでその続きを全うしようとしているようにも感じられる。  多くの迷信や儀礼の根底にあるのは、人間と樹木との緊密な結びつき、両者の運命と生命段階の相関性、の観念である。ことに、ある特定の木を(畢竟、木もヒトのように死ぬということから)伐ることの禁止――「自ら枯死するまで、ナナカマドは手斧で伐ってはならぬ」云々。
 樹木は――植物は概してそうだが、外見上ヒトに似ている。樹幹は胴体、枝は手(腕)もしくは子ども、樹液は血という具合に。また、男と女といった区別があるもの――たとえば、白樺はべリョーザといって女性名詞だが、ベレズン(男性名詞)というのもあり、ドゥープ(男)にはドゥビーツァ(女)がある。形態から言うと、べリョーザは枝が横へ、ベレズンは上に向かって広がっているものを指すようだ。子どもが生まれたとき、その子がすくすく育つようにと木を植える。枯れたり根こぎにされた木は、したがってヒトの死の予兆でもある。
 木の生長がヒトの衰弱を惹起し死に至らしめるという迷信も、一部にはある。
 東スラヴ人の間では、家のそばに大きな木――ドゥープ、カシタン、エゾマツ、トウヒ――を植えることをしなかった。その木がもしそれを植えた人の背丈を超えれば本人が死に、家より大きくなればその家の主もしくは一家全員が死に絶えると考えられていたからだ。
 南スラヴ人たちの間では、ハシバミを植えることが禁じられていた。それは、ハシバミの幹がそれを植えた人の首の太さになるか、最初の実をつけたとき必ず植えた当人が死ぬと信じられていたからである。
 樹木はデモノロジー(悪魔学)の領域と深くかかわっている。木は、神話のさまざまな登場人物が居住する空間である。ルサールカは白樺の木の上だし、悪魔(チョールト)はニワトコの根や洞(うろ)の多いネコヤナギなどに棲みついている。ヴィールィ(これはセルビア人やスロヴィンツ人〔ポーランドのポモージェ地方に住む西スラヴ人〕のあいだで信じられている化けもので、ルサールカによく似ている)の栖もやはり、大きく枝を広げた木の上だし、デーモンは刺のある茂みの中である。サンザシ〔セイヨウサンザシ〕は〈ヴィールィの木〉、ヤマナラシはユダが首をくくったとされる〈呪われた木〉だ。ヤマナラシにはチョールトがひそんでいる。イワン・クパーラの夜に催される魔女(ヴェーヂマ)たちの乱痴気騒ぎの舞台はふつう、山の上か木の上である。その木の下では、居眠りをしても枝を折っても、いけない。そんなことをすると、デーモンたちがヒトを懲らしめるために病気や不幸を見舞うからだ。リップ・ヴァン・ウィンクル〔ワシントン・アーヴィングの『スケッチブック』中の一篇〕などは、きっとその種の木の下で居眠りをしたにちがいない。誰でも知っている禁忌は、雷雨を避けようとして木の下に逃げ込むことだ。雷神(ペルーン、ボーフ〔神〕、イリヤー)としてはただ、木の下に隠れようとするズメイ(蛇)やチョールトその他の悪鬼どもを追い回しているにすぎないのだが、たまたま雨宿りをしている人間たちまで打ち倒してしまう虞れがあるからである。
 スラヴ人の暦上の、また家庭内での慣習やしきたり、宗教儀礼、民間療法といったものの中でも、樹木には特別な地位が与えられている。緑を身にまとう〈リャージェニエ・仮装・ряженье〉――レーシィ(森の魔)かグリーンマンか――トロイツァ週の白樺、婚礼の若木など、いくらでも数え上げられるが、ニワトコやヤマナラシ、ナナカマドにいろんな病気を「移してしまう」療法も、そのうちのひとつである。

日本でよく「樫」と訳されるが、これはカシワ、カシ、ナラ、コナラ、クヌギなどのブナ科の落葉樹および常緑樹の総称。英名はoak(オーク)。

   参考文献 イワン・パンケーエフ『ロシア人の迷信の秘密』、
        タチヤーナ・アガープキナ『スラヴ人の神話学百科』その他。

 クセーニヤ・ニコラーエヴナ〔母方の遠い親戚にあたる女性〕――
 「ねえサーシャ〔これはミーシャ、つまりプリーシヴィン自身のこと。日記では自分のことを他人の名で書くことがよくある〕、どうしてあなた、奥さんをわたしたちの誰にも見せようとしないの?」
 サーシャが答える――
 「女房を見せてどうするんです? 家が小さすぎて、とても展示なんかできませんよ」
 あんまりどぎつい言い方に、自分でもきまり悪くなった。相手は老齢の婦人、しかも亡き母の親友であった人だ。それで、できるだけ誠意を込めて――『クセーニヤ・ニコラーエヴナ、ごめんなさい、ひどいことを言いました……じっさい僕のところは偶然に出来ちゃった家族で、ずっとうまくいってなかったのです。動物(ジヴォート)的なものと霊(ドゥーフ)的なものとの、とにかく大変な葛藤で、自分としては唯ひとりの女性との神聖な結婚、永遠の結婚、俗界に身を沈めたいと思う気持ちと同時に自分には、一本の道――修道者になろうとする気持ちもあったのです。なぜなら、自分が思い描いていたような女性はこの世には存在しないことがわかったから。この女性(ひと)かなと思った相手は、あまりに高い僕の理想に恐れをなして結婚を拒否したからです。自分はどこか人間のいない世界へ去ろうとしました。花や鳥の歌声でいっぱいの別乾坤へ。でも、どうしていいかわかりません。森や野を歩きまわり、驚くような、見たこともない花々に出会いました。素晴らしい鳥たちの歌も聞きました。びっくりするばかりでしたが、そういうものとどうしたら永遠の契りを結べるのか、見当もつきませんでした。そんな鬱々した気持ちで暮らしていたとき、美しい、でもどっか悲しげな目をした若い女性に出逢ったのです。話をしているうちに、彼女が夫を捨ててきたこと――亭主は乱暴者のろくでなしで、赤ん坊を実母に預けてきたことを知りました。出逢った当時、彼女は洗濯女をしたり草刈りの手伝いなどをして暮らしを立てていたのです。僕は彼女が気に入りました。数日後にはずっと親しくなっていました。そして思わず自問したものです。いったいこれはどうしたことか? あの比類なき天上の結婚とは似ても似つかぬこんな暮らしは醜悪でとても許し難い――そんな意見が、いったいぜんたい、この頭のどこから出てきたものか、と。

エフロシーニヤ・パーヴロヴナとの出逢いは1903年。彼女は20歳、プリーシヴィンは30歳。

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