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プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 04 . 24 up
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 それでもまだ自分には最後まで〈藁しべ(小島)〉出現の正体(本性)が掴めない。それは取るものではなく与えられるもの、本源は自分にではなく他にある――これが基本原則。他のものとは旧套墨守(ルーティン)であり、かつてみなが生きたような過去であって、肝腎なのは、おのれのまったき喪失(完全自己滅却)だ――原罪。
 マテリア(実体)の本性とはかくの如し。縋(すが)りつくことのできる何か他のもの(司祭の娘)が現われ、そのモメントは死のモメント、つまり死の腐敗の始まりである。たとえば、息子への遺産相続がずっと旧い時代になされていたのなら、問題は財産そのものにではなく、父親が息子にどうかかわったか(その関係〉に、そのかかわり方にあるのだ。そのかかわり方は宗教的あり腐朽しない。だから宗教が駄目になったあとも、財産自体は遺産というかたちで継承され続けたのである。この譲渡は家族の堕落の手段となった。現在、賢い人間は家族の暮らしを守るために自分の財産を子どもたちの教育に投じている。これはより確かな方法だ。確かだというのは、教育そのものが価値あることだからではない、父親が教育なるものを信じているがゆえに確かなのである。父親の教育観は宗教的なものであり、それは時とともに質を変ずる。そこでその恐ろしい破滅的な痕跡(悪変)の正体を暴くというのも一興ではないだろうか? 宗教が消滅しその精神が消えたというのに、なぜ退化物だけが残って、肝を冷やした人たちを惹きつける力を持ち、彼らに藁(過去の藁しべ)を供するのか? (ところで、母親の意思に反して子どもたちが自分の分を裁判によって受け取る――これは恐ろしい話ではないだろうか)。もしそういうことがあるとすれば、それはつまり、モノへのわれわれ人間のかかわり方のほかに、さらに独自のモノの作用(感化)、たとえば自分の意志は文書のかたちで表明されているけれど、たとえそれを破棄したとしても、モノ自体は文書なしでもその意義を失わず、何らかの力が――モノに金銭を封じ込めるという力が生じてくるので、それの運用によって母親の意思に逆らうこともできるのである。では、このモノの力はどこから出てくるのか? 力学上から言えば、まずモノはヒトの意思によって動かされ、意思が消えれば、モノはそのまま分解してしまう。ではそのときどんな力がモノを動かすのか? いかなる力がモノをあるべき場所へ引っぱっていくのか? 惰力? 分解の、死の力か? それとも罪の力だろうか? 今や明らかなのは――もし相続者があらかじめ意思を受け入れなければ、モノは意思を引き戻して自分の意思を押し付けようとする、それでその場合の最良の方法が〈遺産相続の拒否〉だということである。わたしは遺産を受けいれない、わたしはインテリゲントだ。すべてを新たに始めようとしている。
 あらゆるモノを活用すること(ローザノフが「ノーヴォエ・ヴレーミャ」を利用した*1ように)、モノの力、財力の裏をかくことも可能である。モノがヒトを占有するとき、特有の現象が見られる。それは魅せる力だ(ドイツ人がカイゼルに魅せられ、カイゼルはゲルマニアに、アレクサンドル・ミハーイロヴィチ〔コノプリャーンツェフ〕は司祭の娘*2と家具調度に、イヴは林檎に、アダムはイヴにというふうに)。魔力の発生――意思は狭量、灰色、ぱさぱさで、休息は甘く、無精は詩的で、華麗で、軽く、ほんの一分意思をゆるめただけで、心地よい暖気がやってくる。そして花いっぱいのマテリアが出現する。

*1ワシーリイ・ローザノフはあらゆる傾向〔右から左まで〕の出版物にかかわったが、とりわけ保守的傾向の強かった「新時代」紙に手を貸し、利用した。

*2たびたび言及される女性である。親友コノプリャンツエフの妻。

 誇りは利息なしの資本、あるいはもぎられた利札の地代(レンタ)。

 わたしの根本的なしくじりは、敵対するいくつかの存在(もの)を自らのうちに混在させてしまったこと。そして各自勝手に欲するものを欲し、各々充足しまた自由になって、勝手に生き始めた。愛して何も得られないということもある。なぜなら、愛には相対する二つの面があるから。一つは同族的血肉的な面、すなわち関係・社交、セックスであり、こちらはもう一方との戦いを始める。それでどちらも価値を下げてしまう――これは墓穴を掘った例。何がしたいかわからないのだ。解釈は結婚にあるらしいが、彼女はそれ〔結婚〕を信じないし、わたしも〔信じていない〕(結婚に縛られているのは、親であり過去であって、自分たちは放り出されたのだ)。結婚――それは正実なるもの*1(コーリャ〔次兄ニコライ〕の突然の宣言*2。(交際嫌いの)彼が親戚を残らず招んで大宴会をやる、と。

*1ロシア語の〈верное〉は、裏切らず忠実で誠実であること、確かでしっかりしていて正しいこと、の意。プリーシヴィンとエフロシーニヤ・パーヴロヴナの正式な結婚は1917年のロシア革命の後のこと。

*2「兄のニコライはわたしとよく似た心情の持ち主だったが、ただついてなかった。彼は友人(男女の別なく)との神聖な出会いを期待していた。しかし驚くことに、自分のハートを射止めた淑女から承諾のことばをもらったとき、この病的に内気な人間は、「結婚式は大宴会だ」と宣言したものである……その神聖なる宴会場へ向かう途中……どっかの駅での乗換えのさい、わざわざ大宴会のために新調したフロックコートを車内に置き忘れてしまい、それがもとで突然、結婚そのものを解消してしまった……」(ワレーリヤ・プリーシヴィナ『ことばへの道』16-23ページ)

6月4日

 わたしの病める胃腸を二人のじゃじゃ馬女――リーヂヤ〔姉〕とソフィヤ・ヤーコヴレヴナが悩まし、そのあとそれにイギリスが合流した。それは――全面的に戦争反対を唱えているかのごとき国が今もし兵役義務の制度を導入するというのであれば、それはもう軟弱さの露呈以外の何ものでもない。ドイツとロシア、富農と貴族の庭。だが、いつでもどんな時代でも、最悪のものが勝利するのかも……人生においてはそうだ……善(ドブロー)の勝利も悪(ズロー)の勝利。ロシアの勝利(善)もおそらく悪の勝利であることだろう……そのほかの夢もみな。

母方の従兄で社会・政治評論家のイリヤー・イグナートフの妻(1860-?)ゲルツェンシテイン家の出。

 社会は私的生活の出納簿、社会道徳は個人道徳の出納簿である。

6月6日

 近々の計画(仕事の)、生活の資を汲むべき井戸、家政その他(亡き母への手紙に)。

 悔悟せるインテリゲンツィヤの時代から中篇(テーマは〈誘惑〉)を。著作集出版の準備――わが部屋の壁を埋め尽くすような。

温めていた中篇の構想。『世紀の初め』というタイトルまで決めていたようだが、完成には至らなかった。初期の日記には『求神主義者』のタイトルも。

 8月半ばまでの生活費はなんとかなる――ピーチェルへ家族を移す日、自分がフルシチーョヴォへ発つ日。

6月9日

 6月6日に立てた計画はすでに変更。わざわざフルシチョーヴォへ出かける理由がないし、こんな時期に家のことでエネルギーを浪費することはない。冬はまたペソチキ村。リョーヴァの勉強は自分がみることにしよう。

 なんだかまだ春夏が冬との戦いを続けているような天候である。空焼けの寒さと雨とが、正午の陽だまりに思いがけない日照に、取って代わる。たまに、白夜に立ちこめる赤い霧。

 戦争が新しい局面に。ドイツ軍がわが軍を叩き、何か宣戦布告時の最初の高揚のようなものが起きつつある。ただしあの時は軍隊を鼓舞して送り出す必要があったが、今は社会全体が立ち上がることを要求し始めている。さらに感じられるのは、つまるところ、ドイツ野郎は精根尽きて最終的にへたばるという大変な自信と鼻息、しかしすでに、富農(クラーク)たちがサクラの園を切り倒しにやってくるかのような不安に駆られているのも、また事実である。富農の何が悪いのか? 農民大衆の、あらゆる技術(テクニック)で武装した都市住民との戦争…

チェーホフの四幕喜劇『桜の園』。そのサクランボの果樹園を買い取った商人(新興階級)エルモライ・ロパーヒンが念頭にあるだろう。

 どこへ行ってもどっちを見ても、ほんとにびっくりして自問してしまうのだが――こんなどこにでもいるような平凡な人間ばっかりで、なんだなんだ、こんな連中ばっかりで官僚主義はできているのか、と。

 母が夢に出てきた。わたしは母に自分の遺言をちゃんと実行してくれるよう頼んだ。夢はキリストの出現といった感じで、まことに夢らしくはあったけれど、下世話な土地問題まで引きずっている。

6月13日

 鳥――あらゆる鳥が子を産んだ。ひと組がうちのバルコンの下に巣をつくり、しばらく卵を抱いていた。お茶のときも食事のときも、いくつも小さな嘴が見えていた。親鳥も今では庭の柵の柱にとまってハエを狙っている。別の杭には雄が――そちらは少々体が重そうである。餌を巣に運び、大きくあけた口の中へ代わるがわる突っ込んでいる。雛たちはびっくりすほど醜い。小鳥は美しいものだが、一生ずっと綺麗なわけではないのだ。
 宗教――それは義しき生(праведная жизнь)の自然なひかり。
 空の鳥を見よ。気楽に生きているとお思いか? 翼の下の球果を啄(ついば)み、春一日を陽気にはしゃぎ、巣に戻れば、じっとして、もう身じろぎひとつしない。子が産まれれば、ひがな一日せっせと虫を運んでくる。餌をあげ、巣を飛び出し、翼の下の松毬をつついている。飲ませたり食べさせたり――べつに喜んでやっているのではない。なにせまわりは敵だらけ。啄んではあたりを見まわし、きょろきょろしてはまた啄む。しかし、そんな鳥たちをあらためて観ていると、地上に鳥ほど美しいものはない、こんなに自由な生きものはどこにもいないことがわかってくる。「鳥のように自由」とはよく言ったもの!

 ライ麦の花が咲き、草の花が咲き、いまヤグルマギクは真っ盛り。森の中でお百姓たちが干草を分配したり籤を引き合ったりしている。朝、大気は澄みわたり、露が降り、空は空焼け――雲ひとつない空、秋にはこんな日がよくある。夜がいつまでも明るい。夜の9時過ぎだ。松の森、樹幹が落日に燃えている。夕べのミサの最中か。日が落ちて、森の中は静まり返っているが、まだまだ明るい。どこもかしこも明るい。一晩中こんなふうである。星が見えない。月は昇るが、照らない。濡れた草はらでは朝までクイナが鳴いている。
 こうしたすべてのものに、これまでずっと、わたしは頭を垂れてきた。こうしたものをみなわたしは愛したのだが、今はたまにあたりを見まわして〈神の世界〉に目をやるだけである。なんだかとても多くの近しい人たちが死んでしまったような――自分には墓の数さえかぞえられず、やがて時至れば自分独りが地上に取り残される――そんな思いがしきりにする。

 リヴォーフがドイツ軍の手に落ちたことを、きのう知った。

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