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プリーシヴィンの日記        太田正一

2011 . 01 . 23 up
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 兵站(へいたん)部の少尉補が、笑いながら、避難民の馬が官の干草を食っているのを眺めている。兵站部については彼に訊くべきだろう。エタップの任務は戦闘とは直接かかわらないのだが、そんな馬たちを眺めながら彼が話してくれたのは、人間の目をした、灰色の雌馬のことだった。総撤退が始まり、ある部隊を除いて順調に進んだ。第二〇軍団の不幸さえ起こらなかったら、《輝かしいもの》でさえあったはず。それでも、退却は緊急を要したから、馬のことなどかまっていられない。灰色の雌馬がいた。素晴らしい馬だ。脚が血にまみれていた。どうにもならない。脚に藁を巻いてやったが、動けない。曲がらないのだ。ただ突っ張って立っている。鞭を食らわせても、動かない。さて、どうしよう? 少尉補は拳銃を取り出し、馬の耳に押し付ける。すると、馬が彼の方を、人間のような目でじっと見た。だめだ、とても殺せない。〔大きな〕荷車があった。ぐいぐい脇腹を押し、強引に荷台に押し倒して、兵站本部の中庭まで運んだ。そこには敵から捕獲した軍馬が20頭ほどいた。どれも15ルーブリはするようなやつばかりだ。本部長は、そんな馬すぐに殺しちまえと怒鳴る。そうしますと言いつつ、少尉補は雌馬を厩舎の仕切に押し込んだ。傷さえ治れば大した駿馬になる――そう思って。毎日こっそり厩舎に忍んでいった。馬は夜も昼も立ったままだった。せめて横になってくれたらなあ。脚は鉄のように硬くなって、まったく曲がらなかった。3日くらいして、ついに倒れてしまった。

作戦軍の後方で車輌・軍需品の輸送・補給・後方連絡線の確保を任務とする機関。エタップ。

 わたしは退却のことや彼のエタップでの仕事のことを訊き出そうとしたが、不満を述べたり誰かのことをぼやいたりするばかりで……結局、真情を吐露したのは、その灰色の雌馬のことだけだった。
 心的体験による茫然自失。それは人間にだって〔起こること〕。話しながら、少尉補は涙があふれて止まらなかった。
 「きみは平時には何をしてたの?」
 「会計士でした」少尉補が答えた。

 「何も知らない、何も知りたくない。とうにこんなつまらん仕事に興味がなくなりました。今はただ命令されたことだけ聞いてるんです。こんなむなしい仕事はやめたほうがいいです……。誰も何も知っちゃいないんだ!」
 そう言ったのは、初老の、体格のいい、でっかい赤紫の鼻をした――平時には大酒呑みだったのだろう――シベリア出身の大尉である。
 「呆れるね、どうも――」と、彼。かなり興奮している。「50年も生きてるんだ。軍務に就いてからでも30年、大尉にまでなったが、わしの精神教育なんか誰もどうとも思ってないんだ。ミチューヒなんぞクソ食らえ、ミチューヒはミチューヒさ、こちとらは大尉なんだ」
 相当腹を立てている。
 「ほらな、ドイツの奴ら、まる見えの塹壕ん中で呑んだり声を張り上げたりしてる。まったくとんでもない豚野郎だ! 棒の先に壜をひっかけて塹壕から――『こっちへ来いよ、ビールを飲もうぜ!』ときたもんだ。下司野郎だ! 酔っ払ったのがひとりわが軍の塹壕に落っこちてきた。正気づいて、あたりを見まわす。ロシアの〔兵〕だらけ。逃げようとして――『ロシア人、立派(ハラショー)! ロシア人、立派(ハラショー)!』などと自信たっぷりに胸を叩く。こっちも負けずに――『ドイツ人、とても立派(ゼール・グート)!』」
 あるとき、丘の向こうで敵情視察をした。見ると、5人のドイツ兵が〔電話線の〕巻枠を転がしている。その前を丸々と太ったドイツ兵が。まるでビア樽だ。奴らが来るまで待って一斉射撃を食らわした。3人が倒れ、2人が姿をくらました。近寄ってみたが、太っちょがいない。壕を見ると、そこに仰向けになっていた。壜を口に突っ込んだまま。ごぼごぼごぼ。まったくの無傷。馬が一頭死んだだけ。ミチューハたちは奴が何か飲んでいるのに気づいて、すっ飛んでいく。口から壜を引き抜く。中身は何だったと思う? そいつがなくっちゃ、このさき話も進まんやつさ」
 「アルコール……」 
「シュストフのコニャックだよ。みんな一口ずつお相伴にあずかった。太っちょは捕虜にした」

二十世紀初頭、商人シュストフ一族のコニャック(商標は鐘)は宮廷御用達、国内外で広く知られたブランドだった。

   

2月21日

 夜。ホテルの部屋、がさごそいう音。多くの住人の臭い。自分のものでない何か苛々させるもの、赤ん坊の泣き声のする部屋、ベッドの軋みが聞こえてくる部屋。きのう、その部屋には大佐がいて、家族の生活があった。奥さんらしき人がいて、ひょっとしたら彼の女房だったかも。それと従卒。従卒は一晩中、新聞を読んでいたものだが、きょうは誰か、牡馬のような声の持ち主がでっかい声で笑っていて、その奥さんも同様だ。彼らは今は何も読まず、奥さんがワルツを口ずさむと、亭主がそれに合わせて口笛を吹く。

 

 深夜、子どものころのように目を覚ました。耳元で誰かが童謡を歌ってくれていたようだった。いやそうでない。通りを軍隊が行進していたのだ。歌っていたのは彼らだった。そうだっけ、今は戦争の最中なんだ――やっと我に返る。それで、この戦争のいかにも威嚇的かつ仮借のなさが、今やわが人生の時の時、今日あるわが成長の年の年であるように思われた。それにしても、こんな厳しい戦のさなかに、なぜ童謡なんかが飛び込んできたのか? わたしは窓から通りを眺めた。一つしかない街灯が、行進する軍隊を照らしていた。兵士の姿こそ見えないが、暗いその影は、向かいの家の壁をどんどん移動してゆくのがわかった。白い壁を過ぎる黒い死の影たち。腕を振り、口が開いたり閉じたりしている。まる見えだ! 死体の群れがわたしの幼いころの懐かしい歌をうたっていたのである。
 朝、まだ行進は続いていた。2つの中隊の間に、なぜだか葬列が入り込んだ。短い葬列で、簡素な棺、カトリックの司祭〔ポーランドの〕、半ダースほどの親戚。病院の上の窓から行進する兵と葬列を眺めているのは、白衣の医師と看護婦たち。

 駅に行く。壮麗なヴィリノの包帯・補給所を見てまわった。将官服をまとった重要人物らしき代表者は、いろんなものをわたしに示しながら、こう言った――わたしは清潔の徹底をはかりました。炊事場などは素晴らしいものです。設備も万全です。独立義勇部隊も組織しました。わたしはあらゆる方面に過酸化マンガン〔過酸化水素か? 消毒殺菌剤〕を送付する責任者でして、軍の機関と赤十字社の友好関係の維持に日々心を砕いています。現在そういったこと編集してまして、いずれ出版するつもりです。
 「ヴェチェールニャヤ・ガゼータ(夕刊)」紙の編集部でのドイツ人論。わたしの持論が裏付けられた感じ。ベロルーシ人〔白ロシア人、現ベラルーシ人〕は物静かだ。はにかむような微笑。薄青の目をした森の人(女性の手にキスをする習慣がある)。ベロルーシ人は心理的にはウクライナ人よりロシア人に近いと言われている。キーエフ(キーエフはステップ)よりモスクワに近い。彼らの文化に対する迫害と強制的なロシア化政策が、植民地化を促進している。ベロルーシ人たちは個人主義者であるかのようだ。

 飛行士は爆弾投下ゆえに良心の呵責に苦しんでいるが、英雄だったのだ。もし捕虜にならなければ、勲章を授けられていただろう。正しい行為ゆえに滅びようとしているが、同時に彼は正しくない……彼が罪ありとされるのは、自らの意志で飛ばずに、盲目的におのれの感情に身をゆだねたためである。

 揺籃期よりわれわれに秩序と法と、概して物事の〔配列法〕を教えてきたドイツ人、そのドイツ人が、おのれの原則を曲げること、無秩序な散開隊形(縦隊の破滅)を組むことを潔しとせずに今、全縦隊が滅びようとしている。

text - 太田正一  //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk


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