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プリーシヴィンの日記        太田正一

2013 . 08 . 13 up
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1920年1月1日

 新年……これはしかし、光明の祭日でもあるのだ。
 自分は今や呉服屋そのもの――父の懐に舞い戻った感じ。布地を裁断したり伸ばしたり。びりびり裂ける更紗の音。その音を聞いていると、商品がいっぱい積まれた、遠い昔の呉服店街の光景が目に浮かんでくる。大量の品を陳列台に並べ終わると、番頭がうちの母に鉄製の物差し(アルシン尺)で更紗の長さを測ったり、ピリッと裂いてみせたりしている。

プリーシヴィンの実家は手広く卸商を営んでいた。

 自分は今、肉親の遺品の毛皮外套(シューバ)や更紗の服に囲まれて、伝統的習慣である商いで暮らしを立てている。

1月2日

 リョーヴァの目を通して〔書いてみる〕――『スィチン一家との共同生活〔コムーナ〕は破綻した*1。きのう僕らは塩と灯油(ケロシン)と脱穀キビを等分し、きょうからパパと二人暮らしになった。明かりは〈山羊カヌン〔?〕〉で取ることにした。灯油ランプと変わらない。まだ日も差さないうちから起きているパパの姿が、その明かりの中にぼんやり見える。鉈で木を細かく割っている音も聞こえる。スト-ヴに火を入れる。ジャガイモは夜のうちに僕が洗っていたから、あとはスト-ヴにかけるだけだ。夜が明けたので、僕も起きる。ジャガイモは茹で上がって、〈ポンチク〉――うちの小さなサモワール――のお湯が沸騰していた。大失敗! 暗くてパパはわからなかったのか、〈ポンチク〉のお湯はほとんど床に吹きこぼれてしまった。ハンダが溶けなかったのは不幸中の幸いだ。湯気の立つ、白い、ほくほくのジャガイモにクリーム・バターを塗って食べた。腹いっぱい食べたら、また横になりたくなった。それにしても、二人だけの生活はいいなあ! もう二度とコムーナのごちゃごちゃした面倒な暮らしには戻りたくない。食後、僕とパパは、毛布とシーツをぱたぱた叩き、部屋を掃除。僕は皿を洗い、パパは薪の用意だ。何もかもきれいにしてから、パパはミルクを買いにバザールに行った。僕はオリガ・ニコラーエヴナ〔先生〕の授業のおさらいをし、また台所仕事――生肉の薄粥(クレーシ〉作りに取りかかる。パパが言った――いいかな、これは自分たちの本当の〈勤労学校〉だよ』と。それからこんなことも言った――『パパはね、一年か二年したら、おまえが学業のほうでも一人前の料理人みたいに自立した人間になって欲しいと思ってるんだ――パパが子どものころに為し遂げようとしたことをね』―『パパは何を為し遂げようとしたの?』と僕は訊いた。それでパパはいろんな話をしてくれた。シベリアでどのように勉強したか〔管理されずに自由に学んだ〕*2、いっぱい失敗したが、そのかわり、あとあと自分だけの好きな仕事をする〔道を歩く〕ことができたなどなど。

*1革命政権が理想とした共同生活(コムーナ)の破綻。ここではスィチン一家のというよりコノプリャーンツェフ一家との破綻である。

*2エレーツ中学から追い出されたミハイル・ミハーイロヴィチを引き取ったのは、母方の伯父のイワン・イワーノヴィチ・イグナートフ。彼は西シベリアのチュメニで船舶会社を興し成功した。お金持ちの〈シベリアの伯父さん〉については(五)の年譜その他を。

1月3日

 ツェィトリン〔人民教育エレーツ支部の職員〕が嫌味を言う。
 「文化人たる者は、せめて週一回は人民大学の教壇に立つべきです」
 「旦那さん(バーリン)よ」とわたしは言ってやった。「いったいどこでそのための時間を見つけるのかね? 誰が食事の支度をしてくれるのかね?」
 「わたしは授業の見返りに食事をさせてもらっている」
 「でも、わたしはできない。自分で食事を作り、薪を割り、水を運び、部屋の掃除をし、ぼろを売らなくてはならないのでね」
 「それは良くない」
 「良くないとは思わない。二つのことを混同したら、そりゃ良くないだろうさ。隠遁生活者みたいに、つまり必要を後回しにし、自分のイニシャチヴを優先させて自由人(ヴォーリヌィ)として生きられれば、言うことないがね」

 飢餓と精進。不足しているのは、食べもの一般というより、脂肪そのものと言っていい。肉体的精神的本質=存在が今や、脂肪そのものに懸かっている――そういうところまで来ているのだ。バターかミルクを摂ったら働けるが、摂らなければ、風に揺れる草の茎みたいに身体がふらついてくる。足下がおぼつかなくなってくる。〈人はパンのみにて…*1〉などとわかった口を利く奴の横っ面を、自分は少しも迷わず張るにちがいない。確かに、その飢餓の精神的企図が自らのイニシャチヴによるものであれば、つまり、自ら望んで飢え、食べたくなればいくらでもというのなら、精神(ドゥーフ)のみにても生きることができるだろう。だが、飢餓は魂からではなく外部からやって来るので、寒さが惑星空間へ放射される地面の熱と異なるように、飢餓と精進はぜんぜん一緒にならない。そしてその放射熱こそがあの強盗を――『もしおまえが神の子なら、自分をもおれたちをも救ってみろ』とキリストをからかった、あの左側の強盗*2を生み出すのである。

*1マタイによる福音書4章4節―「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」

*2ルカによる福音書23章39節―「十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。『おまえはメシアなら、自分自身と我々を救ってみろ』」

 自分は山に向かって『ここよりかしこへ移れ』と言うことができない。山が移動するとは信じられない。わたしはキリストの左側にいた強盗と変わらない。うちの子〔リョーヴァ〕もそうである。彼にはキリストが聖霊から生まれたことが受け容れられないし、自分のまわりの人間も誰ひとりそれを信じていない。『そんなのおとぎ話だよ!』――生まれて13年しか経っていない男の子がそう言うのだ。左側の強盗のそんな勝ち誇った顔なら、どこででもお目にかかれる。

マタイによる福音書17章20節―「イエスは言われた。『信仰が薄いからだ。はっきり言っておく。もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、〈ここから、あそこへ移れ〉と命じても、そのとおりになる。あなたがたにできないことは何もない』」

 自らの労働で生きるとはどういうことか? それは自らの創意で生きるということ。しかし自らの労働で生きる社会主義的な意味において、それは経済的必要性を何かしら神への生贄のように自分の中から支出することなのだ。自らの労働で生きるわれわれが、労働において克服し、それをわがものとすること――たとえば、創意工夫をもって薪を割り、退屈を巧みに乗る切ること(一般的労働ではそれを〈狡知〉と称するが)を、わたし自身は、自らの労働としてではなく社会的な(他人の)労働としてやっている。自らの労働となるのは、社会が自分自身の社会となるときだけである。そういうわけで、強いられた労働からではなく、社会を自分自身の社会にすることから始めなくてはならない。社会が自分のものとなるとき、労働は明るく軽快なものになるだろう。

 自分を愛するように隣人を愛することができない。となれば、社会的事業の始まりは個人的利益。となれば、個人的利益(創意)こそが地上に社会主義体制を確立するはずでる。

マタイによる福音書19章19節――イエスとお金持ちの青年との会話。イエスは言われた。「……また、隣人を自分のように愛しなさい」。そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているのでしょうか」―「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい……」青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである」

 神秘説(ミースチカ)――それは予感であり理性論であり、……の実現。

 自分は腹を空かせて通りを歩いていた。短めの裸皮の農民ふうの半外套にフェルトの長靴を履いていた。どう見てもそれは、近ごろの乞食たちの平均的な恰好だった。しかし、そんな自分がいきなり、『旦那(バーリン)!』と声をかけられた。振り返ると、それはわが町では知らぬ者のない乞食、瘤持ちのチーシカだった。チーシカは手を差し出して――
 『旦那ぁ、恵んでくだせえ』。
 わたしは訊いた――
 『おまえは目が見えないのか?』
 彼は答えた――
 『いんや、盲じゃねえです。おれには、あんたが旦那で、ほかの奴らとは歩き方が違うし、頭ん中にも何かある〔頭でものを考えてる〕ってことぐらい、わかりますよ』
 彼の頭陀袋(ずだぶくろ)に手を触れてみた。パンが入っている――それもかなりの量の。(ああ、おまえのほうこそ旦那(バーリン)だよ。通りを行くからっけつの乞食の頭の中はからっぽで、見ればすぐにわかるが、こっちの旦那(自分)は服を着てても、少しも乞食と変わらない。

 飢餓者と精進者。生きる場として乞食暮らしを選択する者もいるし、奴隷のように乞食の境涯にある者もいる。これら二つは外見からは似た者同士だが、中身はキリストとキリストの左側で磔にされた強盗ほどの違いがある。

1月4日

 〈しばしばおのれ自身の辻褄を合わせ、あらゆる対立を融和すべく、子どもじみた夢を夢見ていた人〉(ドストエーフスキイ『白痴』)。

1月5日

 冬も半ばを過ぎる。市場(ルィノク)では、誰も冬服を買わなくなった。
 ここ3、4日、+3度(列氏)。屋根から雫がぽたぽた、洪水、泥濘(プロソーワ)――まさに暖冬。

列氏温度=水の氷点を0度、沸点を80度とした温度目盛。現在は使われていない。

 深夜、月は見えないが、明るかった。古い建物(われわれの家)の庭の先に石の柱(門の跡)が2本、立っている。その柱に赤茶けた去年の草がまだかたまって残っている。見えない天体〔月〕の強い雪明りのせいで、門の脇を通り抜けようとした若い娘の睫毛がはっきりと見えた。見渡すかぎり雪の原。荒野。
 歓喜するわが心臓はいきなり憂愁(トスカ)のどん底に突き落とされて呻いているが、この白がいがいたる雪の荒野はどうだ――強い光を浴びても身じろぎひとつせず、白いスキーフィヤの墓地の静寂にチリンチリンと小鈴を鳴らしている。

1月6日

 ソチェーリニク

降誕祭(クリスマス)および洗礼祭の前日。ソチェーリニクのソーチェニ(сочень)とは、精進用の大麻油(ソーチヴォ)で揚げたクリスマス用のフラットケーキ(カッテージチーズ、カーシャ、苺類を入れて食す)のこと。

 暖雨。寒さとの戦いの只中だ。まだまだ1月、2月と続くが、早すぎた寒気で十分鍛えられているので、何も恐れていない。チフスに罹らなければ、生き延びるだろう。きのうは朝からリョーヴァとバザールで更紗を商った。「生肉」だの「下腹肉(ポチェリョーヴォク)〔подчерёвокは土地の言葉、廃語〕」などといった言葉が飛び交う。脂肪分の多い下腹肉(10フントほど)を物々交換。スィチン一家は脂身のない肉を少し買っていた……。スィチンは巾着(煙草入れ)を売ろうとバザールにやって来たのだが、誰もそんなものは買わない。

 まるごとわたしの魂は包囲されている。いのちが独り歩きするのに驚いて、たえず自問する――どうしたんだ? こんなことがあるのか――魂のないいのちが自動運動する!? 自問しながら、ときどきドアを叩いてみるが、応答はない。封印だ、包囲されているのだ!

 神殿は破壊された。自分たちは、腹を空かした犬のように神殿のまわりをうろつき、残ったわずかばかりの着物を商っている。

 戦争の地平線にポーランド人の姿。彼らの出現とともに〈反革命〉への期待が甦ってくる。わが貧しき住民は、いずれ生活のすべての矛盾が解消され、解消されれば必ず以前の(もっとも、それほど昔にではないが)暮らしが戻ってくる――そんな子どもじみた夢に耽って、いつまでもそれが捨てきれない。

 吹雪(クラー)〔кураは土地の言葉、前出〕。
 前後左右に吹き荒れて、自分がどっちへ向かっているのか、馬もわからなくなる。どこも同じ景色。

 コジュホーフの蔵書の徴発に非常委員会(チレズヴイチコム)から司書がやって来た。『労働者のための外国語ポケット辞典』を見つけると、ああこれだこれだ、これを探してたんだなどと言いながら、それを自分のポケットにそっと押し込んむ――目録には入れずに。レスコーフのことを訊いてくる――この作家はいい作家かね、と。立派な作家だと知ると、著作集から3冊抜いて、こう言い放った――まだかなり残ってるから、3冊ぐらい〔失敬したって〕いいだろう……。

エレーツ市の商人(?-1921)。接収されたコジュホーフ所有の家にプリーシヴィンたち(コムーナ)が住んでいた。

1月7日

 リーダ〔リーヂヤ〕に対して為すべきことを立派にやったとみなが自分を褒めてくれた。それで改めて来し方を振り返った。確かに自分は為すべきことをしたのだが、でも、本当にあれで良かったのだろうか、そうでもなかったのでは……と〔思ったりする〕。
 まったくのところ、われわれは誰か他人に褒めてもらう必要があるのだ。なぜなら、われわれは自分のどこが良くなくどこが良いのか知らずに生きているからである。
 コノプリャーンツェフのところで食事。小さなヨールカ〔樅の木〕に明かりを点じて、夜はシュービン家。クリスマスにふさわしい時を過ごした。

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