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プリーシヴィンの日記        太田正一

2013 . 06 . 23 up
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10月28日

 『あたし、本当に軽はずみな女なの? そんなことないわ! あたしは真面目過ぎるのよ。頑張り過ぎて、せっかくの喜びもふいにしてしまいそう。あたし、あなたを裏切るようなことは何もしていない。あたしはいつもあなたのそばにいるし、これからだってそう。でも、今回〔旅〕は許してとあなたにお願いしてるのよ』

 砲台を据えると、どこに向かってか(?)霧の中へ撃ち始めた。一時は逃げ出した住民も、そのうち慣れてしまい、娘っ子も小僧っ子も『ねえ撃たせて!』などと。それが許されると、もう朝から晩までドカスカ撃ちまくった。一方、町では誰もが耳を澄まし、互いに囁き合っている――『今はどこで撃ち合ってるのかな?』。地図を広げて、駅や村の研究・里程の計算に余念がない。日は過ぎ、百姓たちは町へ足を向けなくなった。寒気が到来し、凄まじい飢餓がみなを脅かし始めた。砲弾の飛び交う中で、こんなことを言う者たちも――『すべて同じ場所(ところ)で起こってる』、また別の誰かは――『どうやら少しずつ動いているようだ。だんだん音が近くなる』。そんなふうにして一日一日が過ぎていった。

 脱走兵の一人(マクシーム)が巧いこと姿を消した。もう一人は成功しなかった。きのう、その男を見た。びくびくしながら女と歩いていた。悪魔の臼みたいな顔の女だ。えらく汚いプラトークで頬を縛っている。呼び止めると、男は低い声で――『駄目です、今は駄目です。連隊長の奥さんを市場(ルィノク)へお連れするとこですから』。
 個人的な危機をかい潜って、ひょっこり水面に顔を出したりすれば、僭称者たち、そう――連隊長、司令官、大臣(言うところのお偉いさんたち(エナラールィ))にもずいぶんと滑稽で無邪気で馬鹿みたいなところが見えてくるはず。あるいは、たとえば、電話を押収しに来たあの男だ。あたりを見回し、電線を捜すのだが、メチルアルコールの壜に目がいくと――『あれはアルコールか?』―『同志よ、あなたは電話の件でやって来たんだろう? あれは電話じゃない……』。何を言われたか理解はしたようだが、どうにも抑えられずに、アルコールの匂いに小鼻をひくひくさせている……
 こうした人間的特徴(個性)に焦点を集めなくては――嘘の王国。イワンからゴルドーン、ゴルシコーフまで。概してそれは、以前(昔)からある性質(たち)のもの――客間ではなく召使部屋などに漂っている古い空気(ドゥーフ)のようなもの。
 「おはよう。それで、どうですか? 深夜、何も音がしませんでしたか?」
 「射撃音のようなものが聞こえましたが、でも、雨が降ってて、大砲か機関銃かよくわかりませんでした」

 塗油者〔皇帝、皇后〕と僭称者〔勝手に皇帝を名乗る人物〕――アンチキリストの角。自分が他者に『行け!』と命ずることができるとき、それは第一に自らを最高の存在(神か神像)と決定づける一瞬(モメント)であり、他者に『どこへ行かれるのですか?』と問われて、『あっちだ』と答えるとき、それは自らの血筋を神あるいは神像と決定する第二のモメントなのである。
 神々と神像たち。人間は神のあとを追い、神は人間に呼びかける。だが神の像を造るのは人間自身であり、造り終わるとそこへ(神像の中へ)消える(自ら行くのではなく服従する)。とても理解できない〔まったく理解困難な〕モメントがある――神が自分を呼んでいるのか、それとも自分が神像を造っているのか(僭称者出現の瞬間)? それとこれとがЯ(わたし)という感情の中で交錯する(ドストエーフスキイはロシアのインテリゲンツィヤを定義している。イデーを我物にしているのは彼ではない、イデーが彼を支配しているのだ)。服従しつつ自らを保持し、意識し、つまり何者に服従しているのかを知り、何のために〔何の名において〕自らを委ねるのかをはっきりと見きわめること、あるいは〔おのれを捨て〕身を委ねること(フルィストとデカダン主義者がそうだ)。(兄弟がいた。一人は父のもとで働き、一人は出世するために家を出た)。

 動員、登録その他を要求する記事が「犂と鎚」紙に出た。それとヴォローネジとツァールスコエ〔・セロー〕の占領、オリョールから南方への攻撃に関する記事。どうやら南で白に何か不都合が生じているようだ。労働者の反乱やマフノーその他のこともよく耳にする。カザーク兵が赤と同じ略奪を働いているとか、郡部はめちゃくちゃにされたが、都市部では何も起きてないとか。近いうちに白とウクライナが手を握って国を救うというわれわれの期待はもうおじゃんになった(これは明白だ)。ひょっとしたら、赤がウクライナと〔手を結ぶかも〕? 
 きのうミーチングでボリシェヴィキが、〔何か手を使って〕住民の考えをテストすることを決定したという。まったく、驚き桃の木だ! そうなると、われわれは蛇かジプシーにでもなるしかない――蛇とジプシーを検証するって?
 『おたくはどこにいた? 何をしてた?』―『わたしは暮らしてましたよ』―『どんなふうに暮らしてたんだ?』―『初めはジプシーとして。その後は蛇として』

 通りで二人のコミサールが話していた――
 「食糧問題は深刻だ。破局的な性格を帯びてきている」
 「どうってこたないさ。なんでそんな詰まらんことにかかずらってんだ?」
 夜、相変わらず続く赤の輜重兵、車馬。水兵たちがいつもの歌を引っぱっている。そのリフレーン――《Ёб твою веру...》。

《おいらはおめえの***を信じてるぜ……》ёбは卑語。

 聖トロイツァの第二の顔であるソフィヤは、われわれの聖母(ボゴローヂツァ)となり、聖母は母なる老婆となって、今では水・兵ども(マット・ロースィ)に卑猥な言葉で罵られている

聖ソフィヤとソフィヤ・パーヴロヴナ。そのソーニャ(ソフィヤ)はわれらが聖母なり。マット(мат)言葉――мать(マーチ、母親)を含む下品な言葉のこと(「卑猥な言葉で(по-матерному)」にもматьが)。水兵(マトロース)がマット言葉満載の下品な歌をがなりながら通る。

 Мат-росс(マット・ロス)は、新しい正書法による言葉のスケッチであり、革命の華なのである。

少ししつこいようだが、水兵=матрос=マット(мат)+ロス(росс)。ロス=ロシア人(旧)の意。

 またしても義務(ドールグ)の話。『あなたにはあたしたち〔ソーニャとプリーシヴィン〕の生活をきちんとさせる義務があるわ』―『しかし、きみは春、僕と暮らすのを放棄した。義務というのは、一緒に暮らして少しずつその気持〔感情〕を育てていくことだよ。僕らは一緒に暮らさなかった。遊んだ(グリャーチ)だけだ。それとも、女たちよ、あなたたちは自分の気持〔感情〕を貸し出しているのかな?』―『あたしは、貸してくれと言わない人に貸し出したいわ』
 妊娠。果実〔胎児〕は実り、義務は生長する。
 「僕らは遊んだ、思う存分遊んださ(ナグリャーリシ)」
 「孕んだ(オグヤーリシ)って?」
 「ああそうだよ。僕らのルィシカ〔赤毛の犬〕は孕んだ(オグリャーリシ)よ」

10月29日

 「一郡まるごと裸にされた――赤にも、白にも。市も〈撤収された〉。要するに市内から一切がっさい――消火用のホースまで持ち出された。残ったのは住人だけ。大きな村(スロボダー)は小さな村々と繋がっている。ブルジョアたちは四散し、残されたのはインテリゲンツィヤだけ。

 わたしと医師は大通りでおおっぴらに立小便。誰も気にしない。わたしたちは小便をしながら、来るべき冬について語り合う。
 「もうそこまで来てます……本物の死がね。でかくて、黒い、毛むくじゃらの、恐ろしい奴が、どんどんどんどん。白い寒さ。ほら、白いのが、駆け足で。たちまちこちらへ。わしらを取り囲む。そして魂の真ん中へ這いずり込む。声をかけ、手を振ってね――『おい、こっちだ、こっちへ来い!』」
 笑い飛ばそうとするあらゆる試みが消える。寒さが頬に枷をはめ、かじかむ指で〈遺言〉の最後の章を書き始める。誰にそれを渡すかわからないのだが、とにかく書き上げる。遺言は保存される――その使命が全うされるために。
 12月、1月、2月と、これら三月は恐ろしいまでに冬の性格をむき出しにするのが、でも、そこには、純真無垢な鳩が、明るい月が、聖なる暮らしがあるし、見上げれば美しい小さな星も輝いている……そこはすでに冬の埒外だ。

 最後の鎖〔散兵線〕を通り抜けたところで、ミハーイロが言った――
 『〔わしらは今〕誰の土地を歩いてんだろう、赤の土地かな白の土地かな?』
 そこでミハーイロとマクシームは考える。そして『これはわしらの土地だ。だからわしらは自分の土地を歩いてるんだ』ということにした。

 ……今から自分は偵察に出かけるのだが、気持は別のことにある――みなと議論し会話を重ねて、もうじきやって来る悲劇の日常生活に一刻も早く慣れようとしているのだ。

 ……果してそうなった。努力は実った。怪物を舐めるようにしゃぶるように研究したおかげで、サタンだろうが何だろうが、もう心配ない――どんな環境にだって適応できるはず。噂では、ヴォローネジが5時間だけ赤に占拠されたらしい。5時間だけというのは、何か暴動(マフノーによるものか?)のようなことが起こって、守備隊が鎮圧に乗り出したからだ。チェルナワ近郊で戦闘が行なわれているが、鉄道連絡(チェルブヌィからとカストールナヤの白からの)は〈平常どおり〉だ。
 農民は馬と荷車を放り出している。百姓は機関銃のことを――『また咳き込み始めた』などと。
 ……北に向かっていた赤が、また動きだした。南へ向けてドーン、ドーン。駱駝たちが通過、熊も一頭。
 ……気がついたら通りに。考えごとをしていた。
 ……家の真向かいの電信柱。泥まみれで、電線も何もない。深夜、悪天候の中、鋸を挽いたところで、誰にも気づかれない。それで誰か、ギーコギーコと薪づくりに精を出している!
 ボボルィキノ駅でカザーク兵に遺棄された14の死体(縊死)が革命(センナーヤ)広場に埋められた。
 夜、オープチナ僧院とアナトーリイ長老のことを思い出す。今ではあそこも馬小屋や兵舎にされているのだろうか?

 アレク〔クサンドル〕・ミハーイ〔ロヴィチ〕〔・コノプリャーンツェフ〕は言う――スレプーハに行って聖歌詠唱者*1にでもなろうかと。とまれかくまれ、そのほうが彼のためかもしれない。今ではほとんど誰が誰やら見分けがつかないありさまだ。極めて古い元素(エレメント)にまで舞い戻ってしまい、誰もが曽祖父の堂務者(ヂヤチョーク)だの小商人(こあきんど)だのの本能によって生きている。崩壊の仕方もこんなだ――体中が痛み出し、もう死にそうだ。どうしようもなくなって放免される。ほったらかしにされてるあいだに、なんとか頑張って、手荷物などを調べ、もうちょっとは生き延びられるかな? 大丈夫だ、生き延びられるとわかれば、次なる打撃がやって来るまで、とにかく生きて生きて生き延びて、真の生活の星(希望の星)を仰ぎ見るのだ。そんなささやかな希望を胸に抱いて、とにかく過去との和平を締結するのだ。それでその真の生活とやらを思い描くわけだが、それに対して労働者は――『憲兵(イヌ)畜生と一緒の生活かい?』などを言ってくれるし、カザークはカザークで――『じゃあなんだ、おめえはイヌが見てる前でパンを食ってきたってわけか?』とこうである。要するに、今はもうツァーリの問題ではなく、腹や胃袋、要するに生命(ジヴォート)の問題なのだ。まず喰わなきゃ。何か口に入れなきゃな。そのあとはそのあとのこと。塩水の海。人間はもう真水のことしか頭にない。真水をゴクリとやることしか〔頭にない〕。今や生活は日々のパンへの渇望そのもの。キリストだって、飢えた群衆に話しかけただけじゃない、彼らの胃袋を満たしてやったのだ*2

*1読経者(プサロームシチク。ロシア正教会の下級聖職者。ヂヤチョークはその最下位勤務者。

*2マルコによる福音書8章2-9節。

 通りという通りに、農民(=中農)を描いた絵が吊るしてある。

 兵隊が出て行ったあとの家。窓もドアも取り外されている。窓なしドアなしの家ばかり。ぼろ屑や茣蓙が風で通りへ。それを集めて焚付けに。

10月30日

 風が咆える。鉄屋根がバタバタ音を立てる。死に絶えた風景。まだそこここに残っている木々の緑ももはや死相を帯びている。何もない。ただ、マーモントフ〔が配った〕砂糖によっていのち(ブィチエー)の外皮(かさぶた)ができている。〔砂糖が〕元気にする。明け方に砂糖入りのお茶を飲んだら、もうそれだけで次の日までいのちが繋げそうな気になる。
 戦(いくさ)の音。干戈の響き。科学は自然と人間のこの戦のおとぎ話(スカースカ)を活力源(常食)にし、芸術は独自のやり方でそれと同じことを繰り返す……

 寒風、マロース、大地は凍っている。3人の裸足の兵が機関銃を運んでいく――ガチャガチャ音立てて。
 「上官が言ったんだ――『遊んで来い(略奪して来い)! 何か言われたら、教導隊の者だと言え!』ってな」
 負傷者を積んだ荷車が3台、機関銃一丁、通過。
 わが赤軍は撃破されたらしい(熊も退却中だ)。マーモントフの12の連隊もヴォローネジの近くで撃破されたらしい。マーモントフがトゥーラを占拠したという噂も耳にした。が、ペトリューリャとデニーキンがキーエフ近郊で戦っているとか、全軍がトゥーラからウクライナ方面へ敗走しているとか、ほかにもいろいろ飛び交っている……
 凄まじい寒さ、それに恐怖。このままだとみんなやられる、確実に身ぐるみ剥がされる! 《マロースを愛す。われは遠くの国の灰色の、あの冬の脅威を愛す》などと歌ったのは、どこのどいつだ!? 毛皮のコートを着込んだ〈ブルジョイ野郎〉に決まってる。

プーシキンの詩「秋」(1833)からの不正確な引用。

 同志カリーニンと社会性と幸福。トロツキイ〔言うところ〕の民衆〔ナロード)。

ミハイル・カリーニン(1875-1946)はこの年、全ロシア・ソヴェート中央執行委議長に選ばれた。これより死ぬまでソ連元首(最高ソヴェート幹部会議長)の地位にあった。国民の信望が厚く、党最高幹部(政治局員)の一人。

 夕方までにさまざまな兆候が。兵士約300名通過。裸足の者、シャツだけの者もいた。白いフードを被せられた、見覚えのある輸送車〔馬車〕が通過した。小さな輜重がかたまって退却していく。チェルナワ近郊の戦闘は青酸を極めたという。
 ЦИК(ツィク)=中央執行委員会のカリーニンがやって来た。労働者出身、正直で立派な人物ということだ。ミーチングがあり、エレーツの労働者の一部はもう半端でなく〔その〕思想に深く染まっている。ある男に質問した――『気楽だろうね、あっちともこっちとも一緒というのは?』すると男は――『じゃ、どうなんだい、あっちともこっちとも組まなかったら〔どうする〕?』―『自分独りでやるさ』―『それじゃ社会性がない、社会活動とは言わんよ!』男は、社会性のない存在など不要だし、そんな話など聞きたくもないという調子で答えた。
 マルクス主義の指導者たちにわたしは言った――
 「どの理論も狙いはするが一つも的に当たらない。なのにあなたたちは、絶対に重要なのは的を狙って野ウサギを手にすることだと、まあそこまで自らをボリシェヴィズムで武装したわけだ。ナロードに向かって〈撃て〉と言うような熱心党を見つけるのは造作もない。友よ、わが友垣よ、理論はただ狙いをつけてるが、狙撃手は理論に従って撃ってるわけじゃないんだ……」

同志(タワーリシチ)ではなく、わざと古臭い友垣(ドウルーギ)などと呼びかけている。

 「ナロードとは――」とボリシェヴィキ社会主義の指導者〔レーニン〕はあっけらかんと言い放ったものだ。「ナロードとは、小屋の仕切りに入れておくべき畜生(スコチーナ)であり、その助けを借りて人間が自らのために何か良いもの造り出すことのできる畜類(スヴォーロチ)である。人間が自信に満ち揺るぎなき存在となれば、そのときわれわれは心やさしく穏やかになって、必ずやすべての家畜を仕切りから解き放つだろう。だが、今しばらくは駄目だ、閉じ込めておく」
 執行委員会議長のカリーニンはエレーツのプロレタリアートの前でこう演説した――
 「もちろんデニーキンは、初めのうちは諸君を飢餓から救うし、あまり発砲もしないだろう。だから初めは諸君も安泰だ。でも厳しくなるのはそのあとである。われわれはその反対で、初めは辛く厳しいが、そのあと穏やかになるし優しくなる。つまり人間が自信に満ち揺ぎなき存在となったとき、家畜小屋の仕切りは開け放たれるのである」

 天国の白痴たちはС.Р.Ф.Р.のロシアで説教するために降臨されたのである。

Р.С.Ф.С.Р.(エルエスエフエスエル=ロシア・ソヴェート連邦社会主義共和国)の間違い。

 執行委員会議長は、ロシア・コムーナ時代に執行権力が立法権力と完全に袂を分かった(つまり書かれたものと為されたことがまったく別だという)〈きわめて興味深い〉現象の事実を明らかにしたのだ。

 起訴状。「じゃ社会性はどうなんだ?」と労働者が言ったとき、しどろもどろにならぬために、自分の毒と悪意の出所(でどころ)をしかと調査点検しておく必要がある。
 マルクス主義の立法者は大でも小でも学者みたいな行動をする。まさに外科医。『われわれ現代人は未来の出産〔の苦痛〕を軽減する義務を負った助産婦である』というマルクスの教えを思いながら、外科医のように振舞っている。

10月31日

 初雪。『白が来た』―『どこへ?』―『エレーツへ』―『で今、彼らはどこに?』―『ほら、見てみろ。外は真っ白だ』。どっさり降った。吹きだまりまでできている。以前なら『新品〔初雪〕だ、空から新品が降ってきた!』と大騒ぎになるのだが、今は、春も夏も秋もなく、ずっと二月〔二月革命でもある〕が続いている。そう思っているのは自分だけでない、みんなそう思っている。
 短い毛皮外套を着、ワーレンキ〔フェルトの長靴〕を履いて、わが祖国の地理を教えに中学校へ。
 いちめん真っ白な校庭に2本のトーポリ〔ポプラ属の総称〕。まだしっかりした緑色だ。トーポリたちはお喋りの最中らしい。
 第1のトーポリ―『信じてる?』
 第2のトーポリ―『まさか!』
 第1のトーポリ―『きみには何が見えてる?』
 第2のトーポリ―『死が見える』

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