成文社 / バックナンバー

プリーシヴィンの日記        太田正一

2013 . 04 . 28 up
(百五十九)写真はクリックで拡大されます

1919年3月22日(の続き)

 昼食の前にアレクサンドル・ミハーイロヴィチが訊いてくる――『おまえさんたちは生まれた息子〔ミハイル〕をどうやって育てるつもりか?』。毒は効かなかった。今はもうわかっている。彼だってソフィヤ・パーヴロヴナがいなければ、子どもたちを育てていけない(こっちより具合が悪い)のだ。彼らの関係はどうにもならない。膠(にかわ)が剥がれてしまっている。彼女は夫の仕事に無関心だし、夫も家庭のことには関心がない。食事中に食糧危機が話題になった。夜の7時に彼〔А.М.〕は勤めに、自分たちはオリガ・ミハーイロヴナ〔エレーツでの知人〕の家に行った。わたしはトランプ占いをした。仕事では成功する。恋愛、奸計、さまざまあり。運命の話も出た。運命は回避できるや否や。わたしの留守中にスィチン〔ウラヂーミル・ヴィークトロヴィチは、エレーツでの親しい友人。以後たびたび登場する〕が鋸を取りにきた由。鋸がなければ薪は作れない――どうするか? 夜、自分のペチカに火を入れた。ソフィヤ・パーヴロヴナは子どもたちを集めて一緒に歌をうたい、わたしをも巻き込んだ。こういうところはエフロシ〔ーニヤ〕・パーヴロ〔ヴナ〕とよく似ている。自分は面白くない。嫌な気分になった。陰気な顔してА.М.が帰宅。明かりの下、暗い顔した3人。水屋や小麦粉の話をし、政治については何もわからないとか、ボリシェヴィキはスパルタクス団とは似ても似つかないとか……。早起きするために早めに床に就く。ソフィヤ・パーヴロヴナがアレクサンドル・ミハーイロヴィチに言った――『あなたがわたしたちのように早起きするようになって嬉しいわ』。二人は話を交わしはするが、最後まで行かない。互いに深入りしないようにしている。とことん生きてみようというのではない。そのため嘘を嘘と(もしかしたらそれは、まったくの嘘ではなく嘘半分なのかもしれないが)、裏切りを裏切りと、愛を愛とはっきり言えないような状態ができてしまった。こんな水漏れ状態では、偶々そこに居坐った第三者が3分の1を自分のものにしてしまうことだってあり得る〔自分のこと〕。

第一次大戦中ドイツで結成された急進的な左翼の集団。リープクネヒト、ローザ・ルクセンブルクを中心に社会主義革命を企て、失敗。団名は彼らが編集発行していた「スパルタクス」書簡にちなむ。

3月23日

 マロースの出鼻を挫いたのは、冷たく悪意あるクラーだ。上から下から吹きまくる、そのなんという凄まじさ! 冬の最後の日がいま過ぎていく。ソフィヤ・パーヴロヴナは頭を抱えている――まるで国家権力がわたしを圧し潰したほどにも。問題は靴底だった。すっかり駄目になって、歩けない。〔自分が〕なんとか代わりを見つけたが、今度は茶葉が底をついてしまった。粉になったやつを掻き集める。そこにА.М.がいてもいなくても、事態は変わらない。むしろひと冬、こちらが彼らのためにあらゆるものを手に入れてやったのである。だからせめて1ヵ月、自分にもА.М.のように〔自分の〕仕事に没頭する権利があるというものだ。

未詳。Кура(クラー)は方言。強風を伴うかなりの悪天候?

3月24日

 クラーが収まった。軽い朝寒(あさざむ)。日が昇った。お茶の件で生じた互いのギクシャク〔した関係〕が1日かけて徐々に氷解していったが、同時に何か重苦しいもの、まるで互いに盗り合いでもしているような〔ものが〕……。ハムスンの『冬の森』と何篇かの小品を読んだ。『森』には森よりハムスン自身が多く顔を出す。これは以前にも思ったことだが、森に入ってハムスンがまずわれわれに示すのは人獣の本性そのもの、そのあと(トルストイのように)そうしたものに自然からもぎ取った、より高次の人間の層を対置して見せる。概してそんな作家という印象があったが、今はちょっと違う意見である。ハムスンの森にはひとつの社会と言えるまでの豊かさがあるようだ。その豊かさは、あるいは泥炭採掘のテント暮らしに満足感する、あるいは社会そのものが彼の物語に聞き入るほど豊かなものなのではないか――そんな感想を持ったのである。

 一酸化炭素中毒。黄昏どき、オリョール街道を夥しい数の葬列。それにしても、なんと惨めな、なんというみすぼらしさか! ぶらぶらと……これも社会の一片? 何の名残だろう! そうして誰も、誰ひとり、どこへ何しに行こうとしているのか、わかっていない――いいや、いったいチャンの中で何が起こっているのか、それさえわからないのだ。もしかするとこれは、どこか遠いところの〈本物のコムーナ〉にとって必要なのではないか? 碌でなしが残らず選ばれて出てくるために必要なのではないか? だから彼らはああしてぶらぶら歩きを、奉仕だの管理支配だのやっているのではないのか?

 革命の失敗者の、その怒り(ローザノフを殺す)の瞬間の〈落ちこぼれ〉の役どころ。自分の暴動のことを考えていた。で、そのとき、〈万人の〉幸福についての自分の思想がエゴイズムであることに思い至った。

エレーツ高等中学での少年ミハイルの教師ローザノフへの暴言――『殺してやる!』

 А.М.が帰宅。ランプの明かりの下、自分たちは今、薄闇とトスカと光の見えない未来に打ち沈んでいる。濁った目、濁った心、そしてやっぱり濁った理性(ラーズム)で、自分たちの未来の支えになるものを必死で探し求めているのだ。
 短足のマーニャ、醜い家鴨の子〔マーニャ〕が家の手伝いにやって来てから今日で3日目。彼女が小説(ロマン)を読んでいると、母親〔マーニャの母?〕が――『そんなもの読んだって苛々するだけじゃないの、福音書を読みな』などと言う。いよいよというときになって(もしそれが自分の最期であれば)、心根やさしい人(白鳥)が(たとえばシュービン家の人たちだ!)そっと枕辺に寄ってくれるのは、ひとつの慰めであるだろう。
 〔農民中の〕最貧農の神話を、最も温順柔和な人びと〈奥方(バールイニャ)〉から最も傲岸不遜な輩(スメルジャコーフ~ゴルシコーフ)までをよくよく精査すべきである。胸にかたまりが、何か詰まった感じ。何だろう? 奥方、パーシカ、ニコールカ? それともワーシカか?

3月25日

 マロースが雪嵐(メチェーリ)を追いかけていく。そして次第に弱まる。小さな人間はそれを待っていたのだ。何もかも吹っ飛んで跡形もないように見えたが、なに、それでも小さな人間たちは自分の覗き穴から神の世界を覗こう、策をめぐらしてなんとか盗み見しようとする。それが歓び、唯一の……。

3月26日

 斎戒期(ポスト)を半分にばっさり〔中止〕。朝寒が雪嵐を捉えた。清々しい空、マロース誕生の輝く星々。それが今またマロースを亡ぼしにかかっている。日が昇った――豪華な、金持ち顔の太陽が。そして正午近くに春が姿を現わした。
 支部のシチェーキン=クロートフが話したのは〈半可通の独裁〉と支部長のレーベヂェフのことだった。この支部長というのが、支部の会議室を勝手に事務所と私的な書斎(じつはザウサーロフの家具置場)に分けて、その仕切り壁に覗き穴までをつけて、自分自身は商家の番頭よろしくいつもそこに張り付いている。そうしてぱらぱら書類をめくっては、パーになったキャリア(もちろん自分の)を修正したり、自分は根っからの労働者だと言いふらしたりしている。でも手は小さいし華奢だし、容姿からしてぜんぜん労働者出身でないのは誰の目にも明らかなのである。
 教師ヴィソコーソフの死――女中と結婚して子どもが5人いた。彼はボリシェヴィキに仕えたことを気に病んでいた。病気(発疹チフス)に罹ると、家族は5日間何も口にせず、竃にも火を入れなかった。事務所内に奉加帳が回ったときには――『今回は〔見舞金の額〕もう少し下げてもいいんじゃないか……』、『労働者だってずいぶん死んでるんだ』。

 シチェーキン=クロートフは支部の変わり者(ユローヂヴイ)。

 女教師のカジーンスカヤとリヂヤ・ミハーイロヴナ・クリーモワ。学校での法(ザコーン)の教授について話していった。

3月27日

 雪嵐を撃破したマロースは主顕節のころの支配者に戻った(深夜、マロースは星々に支援を要請し、星たちもそれに同意した。月にもよろしくと挨拶すると、新月はオーケイだったが、太陽はまったく応じなかった)。
 彼女〔ソフィヤ〕はわたしの部屋にいたのだが、彼の足音がすると、急いで飛び出していった。彼は窓越しにちらっと彼女の姿を見た。それで一日中、眉をしかめていた。
 ヴォロージン家〔エレーツでプリーシヴィン家と親しかった一家(前出)〕は食糧確保に成功。 古いスーツ2着をバター〔油〕、小麦、脱穀キビ(1000ルーブリ分)と交換した。大変な喜びようだ。茶葉も、篩(ふるい)粉で作ったパンも、コテージチーズも手に入れたのだ! 夜まで会話がはずむ――『キャベツが手に入ればねぇ……』とか、『オート麦でキセーリが作れるけど、問題は殻をコーヒーミルでどう粉砕するかだわね……』とか(これはモスクワ式のやり方)。
 『あなたたち、痩せたわね!』―『みんなそうですよ』―『いえいえ、痩せたのには何かほかの嫌な原因があるかもよ……』
 ここ4日、新聞が来なかった。きょうレーニンの演説が載ったやつ*が来た。レーニンは同志たちに社会主義の土台づくりを訴えている。演説の意味するところは――要するに人びとの〈心の中に〉資本主義(カピタリズム)があるということらしい。

3月18~23日に開催された第8回ロシア共産党(ボリシェヴィキ)大会での演説が載った「イズヴェスチヤ」紙と思われる。レーニンはその演説で、党綱領から小商品生産と中農に関する項目を削除するよう提案したブハーリンに反論、のみならず中農との固い結束の必要性を訴えた。

 他の〔指導〕者たちからの助言――中農に特典〔免税〕を与えて自分らの陣営(プロレタリアート)に引き入れたあとは、プロレタリアートのために彼らから搾取すべきである云々。
 ソロヴィヨーフがスラヴ主義者について書いたもの*を読みながら、内なるロシア人的本能をいちいち検証する自分。ピョートルの真実(プラウダ)、旧教徒(スタロヴェール)たちの真実(レーニンとブルジョア)。

「ソロヴィヨーフのスラヴ主義者について」の注は次回の「日記」(百六十)に詳述。

3月28日

 急流ソスナーと静かなドンの岸に関する研究プランがひょいと閃く。
 ひもじいサロン。
 以下の結論に達した――もし5月に不作が明らかになれば逃げる。順調なら村へ引っ越す。したがってこの2ヵ月は自分の仕事(ノートのコンスペ〔概要〕)をする。
 2人の女性――1人は未開人、文化的環境に身を置こうと頑張っている。もう1人は文化人でずっと野蛮な環境に置かれている。

3月31日

 コムーナの歴史*1から。コムーナ――時計の針を2時間進ませて、それで時間を管理(コントロール)していると思い込んでいる。確かに役人たちはそれに従って2時間早く起床するようになったが、農村では日の出も放牧も旧時間のままである。アピスそっくりの額に白斑〔星〕のある黒い子牛*2は、正確にリズミカルに反芻を繰り返し(1分に何度と決まっている〕、体重だって旧時間と同じテンポで増え続けている。

*1「コムーナ」の歴史については、ロバート・ウェッソンの『ソヴェト・コミューン』(河出書房新社・広河隆一訳)を。

*2古代エジプトの豊穣の神アピス(前出)。ここではコムーナの短時促成への皮肉であり反論。本来アピスは額に特別な黒班を有する白い牡牛。

4月1日

 ソフ〔ィヤ〕・パーヴロ〔ヴナ〕は盲目の雌ワシ。目が見えないのに、ひょいと舞い上がる。そこらをほっつき歩いては、石にぶつかったり木を突(つつ)いたり。翼のたたみ方もちょっと不自然だ。そばにはいつか攫ってきた子羊。鋭い爪で引っかけて高く昇ったつもりだったが、つい落としてしまった。啄ばみたいが、できない。可哀そうになったのだ。子羊と一緒にいること――それが自分の地上の、草原の、唯一の歓びになったから。そこで子羊に自分たちのことを語って聞かせようするのだが、子羊にはさっぱり理解できない。
 アンデルセンの童話のようなものはどうか? 雌ワシは子羊を攫って山の頂へ。そのとき轟音一発。盲の雌ワシは谷底へ落ちていく。猟師は仕留めた獲物を探し回ったが、見つからない。雌ワシはしばらく子羊のそばで暮らした。(それとも――)自分はいろいろ狩りをしてきたが、動物たちの言葉を知ろうと本気で思ったことが一度もなかった(というのは、どうだろう?)以来、動物の言葉に聞き入るようになった(というのは?) 盲目の雌ワシ――子羊やあらゆる動物(蟻その他)と盲の雌ワシとの関係、絆、つながり(を書く)。

 わたしは自分を書き、他の自分(Я)との関係で自分を暴く。あるいは他者について書く。彼らはわたしをどのように理解しているか――彼。
 わたし(Я)――彼らがわたしの目にどう映っているか、彼――わたしが彼らの目にどう映っているか。

 人びとの暮らしを二様のやり方で描くことが可能だ。
 1)人びとがわたしにどう見えているのか(一人称の物語――〈書き足し、叙情詩(リーリカ)〉、あるいは人びとにわたしが(他者として)どう見えているのか、〈彼(ヒーロー)〉について物語る――叙事詩(エーポス)あるいは順を追って、最後に二つのものを内的に結び合わす――ドラマ。
 相伝の愛〈否(ニェット)としてのポエジーと〈諾(ダー)〉としてのポエジー。彼女はわたしが埋めてしまっていた自分の富源(とみ)のすべてを調べにやってきた。わたしは静かな客として彼女のところへ行った(清らかな女性の罪深い夢の目撃者(証人)たるべく)。

4月9日

 民族誌学(エトノグラーフィヤ)――人びの暮らしを描くこと。ペチューラへ朝の散策。精気(ドゥーフ)の解放。地誌(郷土誌)研究について。

エレーツ市を流れるソスナー川の岸。断崖の高さは10メートル以上ある。

 愛もしくは習慣。見分けること。側面からの一瞥が必要だ。巡礼。そのためには自分の美的センスを育て上げなければならない。
 われわれの魂の糧は美である

メーテルリンクの「われわれの魂の唯一の糧は美である」からの引用(前出)。

 それをわれわれは無意識裡に栄養源としている。その栄養摂取を習慣化する必要がある。
 わたしの論文の目的は、それを読んで考える人たちが、すぐにも土地(地域)(クライ)の研究に取りかかるための道しるべとなること。その基礎は〈美しきもの(プレクラースノエ)への感受力。真の美は魂の糧である。
 研究とは愛の仕事。誰しも自分の土地(地域)を愛しているが、わかっているわけではない。高所から全体を捉える必要がある。
 わが物語(ポーヴェスチ)のヒーローは民衆(ナロード)。大衆(マス)を描く。われわれはみな一篇のナロードの物語を創造するだろう。わがエレーツ郡は文学における継子(ままこ)。

これをテーマにした作品は未詳。

 耕作者〔農夫〕。
 自分の事業、自分の課題はみんなに土地(地域)の研究の何たるかを知ってもらう(理解できるようにする)ことだ。

4月12日 柳の主日

 床の中。曙光を浴びながら、ハムスンの戯曲『王国の門の傍らで』に思いをめぐらす。〈農民の娘〉の見事な描写! 嫌味も皮肉もなく〈女性〉が描かれている。それを自分はウリヤーナ〔ソフィヤ・パーヴロヴナ〕に移し変えた。そっくりだ。ただ自分の役どころを考えると、胸が痛い……われわれの関係の複雑さ、難しさ……ウリヤーナと一緒にわがインテリゲンツイヤの心を耕し、まぐわで均すことができるようになるまでに、キスし合えるようになるまでに、どれだけ時間を要したことだろう。さらにアレクサンドル・ミハーイロヴィチやイワン・アファナーシエヴィチとの関係から、わが保守主義者たちのことを考えた。あの連中は一見やさしく愛想がいいが、本質的に悪意ある生きものだ。自分にはあんな――敵を裁いて吊るすような真似はとてもできない。

大斎第6週間目の日曜日、キリストがエルサレムに入った記念日。このあとに復活大祭(パスハ)(前出)。

 亡くなったお爺さん(ヂェドーク)やコーリャ小父さんのこと、彼らの自然への熱愛や人間存在を超えたものに対するとても素朴で控えめな崇敬の念、その献身に思いを馳せた。それからこの国の厳しい政治的状況についても。そんな腫物が少しずつ散って最後には完全消滅〔治癒〕するのか、それともクーデター〔が暴動〕が起こるのか、そのことも見究めようとした。しかし何も出てこなかった。すべてがただただ過ぎていこうとしている――戦争のように。自分は、われらの世代を巨大な土石流が埋めてしまって、新しい(アメリカふうの)世代とは何の関係もなくなるのでは、そしていつか(ずっとずっと後に)ポンペイのように土中から掘り出されるような存在になるのではと、そんなことを心配している……

ヂェドークあるいはグショーク。2つの渾名を持つフルシチョーヴォの農民にして捕鳥者(主に鳴禽の)の本名はアレクサンドル(愛称サショーク)。幼いミハイルをよくウズラ獲りに連れていってくれた。この人の思い出(とその自然観)はのちに短編『サショーク』に描かれた。コーリャ小父さんについては未詳。

 起きて服を着て、テラスに出る。川を氷が流れていく。水量は減った。全天を雲が覆っている。まだ霧が降りてないので、はるか彼方まで黒土が見える。雪がようやく消えた。『マーニャ!』と声をかける。『パスハにフルシチョーヴォに行こうか?』――でも本当はどうでもいいのだ。どうせそうはならないと思っている。何もかもめちゃくちゃにされたのだ。行ったところで、嬉しいことなど何もない。

 お茶を飲み、1本40コペイカの巻きタバコを吸いながら、きのう手に入れた革の切屑を乾パンと交換できたらいいのだがなどと……。手持ちの食糧を路銀に変える――そう思ったら嬉しくなった。はっきりとどこへというのではない。旅に出る――そう思っただけで心が和む。
 想像した以上に彼女と深い関係になっていたから、本気でどこかへ行きたいと思っても、そうはいかない……相手(愛とか)のことがよくわかってもいないのに、ただもうしゃにむに突進し、すぐにどうにもならなくなった……
 また窓辺へ。ペチューラを眺める。ここは高い位置にあるので、川が見下ろせる。自分の伝道(もしそれが自分の仕事であるなら)は、いかにして高い場所へ上るか、いかにして自らの祝祭(プラーズニク)を創造するかを人びとに教えること、ではないのだろうか……

 鏡のごとき水面(みなも)に映ずる静寂のポエジー……明るいけれど盲いた理性(ラーズム)の目とおのれの不明と秘密の愛を恥じる、いかにも済まなげな笑みのポエジー……
 さまざま経験を踏み重ねて、ある日ふと振り返る。これが自分か? それはまるで自分でない自分、乞食がひとり親をさがして歩き回っている図であった……

 ばらばらになったわたし(я)もわたしのもの(моё)も、それ自体は変わることなくこの世にある。そうしてちょうど若木が1年また1年と徐々にさらに高い異なる地平(視界)を有する大気層へ移っていくように、わたしもさまざまな層へ位置を変えていくのだ。
 ではなぜ自分のいのちが他の媒体(環境)に移動していくとき、そのわたし(я)がまた別のわたし(я)になるように思われるのか?
 自分と同い年の者たちに訊いてみる――きみらが子どものころから知っている人間で、今では子どものころとは似ても似つかぬ(まったくその面影もない)ような人間が、はたして一人でもいるだろうか、と。

4月15日

 ウラヂーミル・ソロヴィヨーフ(「ピョートル大帝を擁護して」)から。ロシア人住民にフィンのエレメント――これは紛れもなくフィン族の宗教。すなわち悪魔祓い、祈禱、呪術的性格を有するもの――が混入した地域に古儀式派(スタロオブリャーチェストヴォ)は広まったのだ。魔法使いの先祖とカルデア人*1――いずれも起源はウグロ・フィン*2である。

*1カルデヤ人――メソポタミヤア南部に住み、紀元前7世紀に新バビロニア帝国を建てたセム系種族。

*2またはフィン・ウゴル人。フィン・ウゴル語族のこと。ウラル以東に住むマンシ族、ハントゥ族およびハンガリーに住むマヂヤール族。

text - 太田正一  //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk


成文社 / バックナンバー