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プリーシヴィンの日記        太田正一

2013 . 04 . 21 up
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1919年3月12日(の続き)

 真っ白な犯罪的虚言(スメルジャコーフ?)。そのあしらい方のほとんど貴族的(アリストクラティック)で天才的(と言ってもいい)愛想のよさ。この慧眼の主は、蜃気楼を通して、その嘘の先の犯罪的なロシア人の全階層を見ている。はたして見えてきたのは、憎ったらしいほど心優しき強盗のワーシカ・モリャチョーク、常習的通風孔泥棒野郎のペーチカ、でぶの馬泥棒のルジャーヴィ、それと無数のロシアの若い落ちこぼれたちである。現在、彼らはみな地下の穴蔵から這い出て、それぞれ為すべき仕事をしている――給料を貰っているし、フレンチだって持っている。欲張りのブルジュイが公共の福祉のために全財産を失くしたその社会の一員でもあり会社員でもある。彼らはいずれもミクロープ――死骸を食い荒らし、個人財産を無個性の公共物に作り替えた微生物たちだ。

前記あり。明々白々な嘘。第8回ロシア共産党(ボリシェヴィキ)大会で、表決権を持つ代表であるゴルシコーフは明言した――「自分はボリシェヴィキ党の農業政策通であるから、決してルーキン氏〔セミョーン・コンドラーチエヴィチはエレーツのボリシェヴィキ組織指導者の一人〕に引けを取るものではない」。「ソヴェート農業はそれが社会主義農業の唯一の形態であれば、根本的に改変されなければならない。はっきり言うが、それはあなたがたにはできない。なぜなら管理者を送らなければないからである。しかしいったい誰を派遣するのか? 専門家たちをか? とんでもない!』(大会議事録から)

 革命は犯罪(のようなもの)。ロシア人の犯した罪の歴史を知る必要がある。知れば、ロシア革命の何たるかがわかるだろう。帝政末期に、国家的犯罪者たちは刑事犯と同じ扱いを受けたのも当然で、流刑地で刑事犯たちは政治犯を自称した。
 革命の遺訓:祖国での福祉を享受した者たちへの意趣返し〔復讐〕。

 卑・劣〔Под・лость(ポード・ロスチ)〕
 ヤーシャ〔継子ヤーコフ〕。女に食わせてもらっている。夜は女の簡易ベッドに腰かけてお愛想を振りまきながら、一方では新聞に『この女は富農である』などと暴露記事を載せている。
 彼は、女の母親が入獄中(〈償金〉を払わないために)で、そこで頭がおかしくなったことを知っていながら、それでも秘かに〈ロスチ〉なる偽名を使って投稿しているのだ。
 ところで、ロスチとは何か? ロシア人なら誰でも知っているが、それは狡知に長けた猛獣の、光沢ある滑らかな毛皮のこと。すなわち最貧農の名の下に自由を得た(解放された)連中のことだ。〔ロスチの下に=ポードロスチ=卑劣〕

 善は悪を制するはず。悪事の褒美は手に入れた。悪の報い〔罰〕はいつのことやら。反対に、善を為して処罰されることは普通のこと。善行の褒美がいつ貰えるか、そんなことは神様もご存じない。
 ああ、思いきり伸びをしたい。そうしてまた身を引き締め治して、全ルーシをも自分を高く高く持ち上げたい。

3月13日

 毎日――朝、昼、晩、犯罪的なアグラマチカ〔虐殺が行なわれている地方。前出〕の方角を眺めながら思っている――そもそも革命自体が〈犯罪〉なのだ、と。
 ドストエーフスキイはインテリゲントの犯罪(『悪霊』)を、ロヂオーノフは民衆(ナロード)の犯罪を描いている。

イワン・アレクサーンドロヴィチ・ロヂオーノフ(1866-1940)はドン・カザーク出身の軍人で作家。第一次ロシア革命をテーマに『われらが犯罪』(1909)など。

 善はしばしば、直ちに罰をもって報われ、本当の正しい褒美はあの世で受けると約束される。悪事の報いはただちに今、罰はあの世で。にもかかわらず、結論は相変わらず、『善は悪に打ち勝つ』だ。

 われわれは犯罪者たちの手中(権力下)にあるので、彼らを指して『こいつらは悪党だ!』と言えず、秘かに、悪いのは自分たち〔自分らに責任がある〕と感じている。なんにしてもわれわれは無力で囚われの身なので。

 革命家も反革命家も同類だ。どちらも脛に傷持つ身である。われわれを救うのはあれこれの善行ではなく、生きんとするわれわれの熱い欲求だ。勝ちを制するのは〈トゥルドヴィーク〉である。

直接には、(革命前ロシアの)労働党の党員、すなわち農民とナロードニキ知識人の民主的政党のこと(前出)。ここでは単に「働き者、仕事好き」の意。

3月14日

 演劇活動家大会での自分の報告――独自のロシア演劇について。
 報告では、アナーキズム、スラヴ主義、コミュニストの大いなる成果については語らなかった。なぜなら、これら〈革命家たち〉は本質的に小市民であって、アナーキズムの事実が彼らの小市民的自己偏重(エゴイズム)の存在を十二分に保証しているからである。
 彼らの言う〈独自性〉とは、〈彼らがいい暮らしをすること〉を意味している……

3月15日

 ここ1週間、雨。このままだと道路は歩けなくなくなる。河川の氾濫も起こるだろう。新月は3日後。それまでにマロースがあれば、道路は2週間ぐらい保(も)つ(凍結して歩ける)かも。
 大気が緩み始めた。目立った変化はない。きのう、戦時戒厳状態に入った。軍事暴動の噂。歴史的論理からすれば、明らかに権力の終わり(軍の崩壊で)が始まっている。雪解け陽気で道路が寸断されたら、〔暴動の鎮圧〕部隊の派遣はとても無理……

演劇活動家たちの大会

 校外教育の支部の管理責任者(議長)は輔祭の息子だ。商業大学の学生帽を被った(教養ある)ゲルマーノフ(バルダー)は大ハンマーでコムーナを抑えつけている〔バルダーは大ハンマーのこと、間抜けの意もあり〕。聖堂の輔祭長そっくりである――主教のお出ましと聞いて手提げ香炉(カヂーロ)を振り始める〔やたらと騒ぎ立てる〕が、主教が来ないとわかると、代わって今度は輔祭がしつこいくらいそれを振る。
 俳優のヂオセイ(ひどい歯槽膿漏の男)は、まる1年間、村の演劇指導者をしているが、もううんざりしている。それで風邪を引いたのを機に、町の劇場への異動(しかもトップの座だ!)を申請した。なんとしても出世したいのだ。発言を求めるや、いきなり――
 「みなさん!」とやりだした。
 すると大ハンマーのゲルマーノフが――
 「発言を許しません!」
 ヂオセイ――
 「なぜです?」
 大ハンマー――
 「発言権はN同志にあります。ヂオセイ同志の発言を取り消したのは、『みなさん!』などと勝手に呼びかけたからです」
 「済みません。間違いました……」
 「発言権は……」
 未来派的『工場のサイレン』〔脚本の題〕はコミュニストの耳に届いていて、それなりの役を果した。しかし、そこには平等もなければ愛もなく、響き渡ったのは「工場のサイレン」だけだった。
 われわれが理解するコムーナの理想(主体→客体)の基は、心理学的には小市民(町人世界)の小さな家(主体――小市民階級の消滅)だ。
 舞台中央の奥さん(ダーマ)。クラブの指導員は軍の出身である。奥さんは兵隊外套を着ている。そのボタンには皇室の紋章が付いている。奥さんは短い足でせかせか歩いている。ときどき顰め面をしたり、にこにこしたり……ト書きを読んでも、さっぱりだ。はっきり言って、ぜんぜんわからない。「絞り尽くしたレモン」という表現がよく出てくる。インテリゲンツィヤのことだ。
 そこでヂオセイが――
 「あなたがたはわれわれ俳優をレモンみたいに絞り尽くして、窓からポイしようと思っているのではないか?」
 すると、大ハンマーは平然と――
 「まったくそのとおり。それはプロ・レ・タ・リアートの基本的独裁のひとつだからね。インテリゲンツィヤなんか、ぎゅうぎゅう絞って窓からポイだ」
 商業学校出の半可通、輔祭の倅は今やコミュニストである。校外教育の支部を任されていて、ナロード(ナロードの名において)の指導者を自称している。
 彼ら(社会主義者)は、物質的諸条件の無差別・平等とさまざまな個性(インヂヴィード)の達成が語られているうちは正しいが、じっさい主体〔者〕同士を対等に扱おうとするから、どうしたって馬鹿げた結果になってしまう。
 議論。興奮。大ハンマーは資格審査委員会を持ち出して、こう威嚇する――
 「あす、党細胞に来てくれ。そこで話をつけよう!」
 大ハンマーはさらに――
 「ブルジョア、作家、つまりシェイクスピアその他によって書かれた、じつにつまらん悪習だ。ああいうものは結局、駄目なんだ、ナンセンスだ。嫉妬だ愛だと、そればっかりだから。プロレタリアートは工場のサイレンと機械の讃美を熱望しているんだよ」
 学生の皮肉な声。
 「それじゃアカーキイが40年間すわり続けた自分の机を讃える歌〔を渇望しているの〕と変わりないじゃないか!」

アカーキイ・アカ-キエヴィチ・バシマーチキンはゴーゴリの傑作『外套』の主人公である下級官吏(14等官)。

 声あり。
 「愛と嫉妬――これこそ自然の情熱だ、どこが悪習なんだ!」
 反論あり。
 「いや、悪習が必要とされとるのだ!」
 大ハンマーが言う――
 「情熱もまた悪習なんだ」
 Nが言う――
 「だが、それは自然な〔悪習〕だよ」
 大ハンマーが言う――
 「違う。自然は悪習ではない。教養ある悪習だ。結婚を廃止せよ。すれば嫉妬はなくなる。女房がどこかへ往ってしまえば、それで終わりだ。貨幣制度が廃止されれば,けちな根性もなくなる。だが、おまえさんたちはプーシキンの〈吝嗇の騎士〉の話を持ち出すだろうが、われわれはそんな戯曲(もの)を必要としていない」
 ソヴェート音楽学校の校長はシューリキン。アッシリアふうの顎鬚を生やした芸術家ストレージネフ。ラシャ地の水夫のラッパズボン。

 支部は文化啓蒙族の巣窟だ。

 小さな芝居を、ケロシンを、塩を(この塩は何のためか?)。
 時代遅れで頑固な地方の芸術家は〔その場面に〕異を唱える。小さな木立、花。コミュニストはそれでいい〔賛成〕ので、先へ進もうとする。田舎の文化サークルの代表はコミュニスト同様、賛成組だが、〔脚本の〕中身がわかっておらず、やれ藪がやれ花がという話ばかり。誰かがぽつりと言った――『〔まともな〕脚本(もの)が一つもない!』(とは要するに、プロレタリアがどうのではなく、これはもうそれ以前の問題だということである)。
 脚本『プロレタリアートのワーニカ』。その理念――文化青年の育成(人間教育のために)――万人が理解し楽しいと思えるものを創造すること。
 集会にスキタイ人=百姓がやってきたので、この集会をどう思っているか訊いてみた。すると、意外にも――
 「天才アクーリキンの足下に跪拝している」などと宣(のたま)うではないか。いやはや。
 ……文化活動家は演説の最中(さなか)に、発疹チフスの虱に咬まれたのだった。
 「おたく〔プリーシヴィン〕はこう言ってるね――すべては未来にある、と。だが、いったいおたくの心の花はどこにあるのだ?」
 「心の花だって? そんなもの、ありゃしない。わたしは毒を飲まされたんだ」
 わたしの独創性を彼らは自分勝手に解釈した。独創性の陰に〈民族(ナツィオナーリノスチ)〉が隠れている。彼らは叫ぶ――ヨーロッパには反対、ぜったい駄目だ、と。
 革命はナロードを主体とする創造的アクトである。第1章はニヒリズム。創造的無(ニシトー)の暴露、第2章は〈トゥルドヴィーク〉が前面に立って、独創性の旗の下に国家〔国王を戴く国〕に固定(フィックス)した国(ナーツィヤ)を建設する。
 ゴーリキイ、エヴゲーニイ・ニク〔?〕、マル〔?〕・ミハ〔?〕その他の面々は勝手に〈文化財〉の物神(フェティシ)を――ヨーロッパ、〈蝙蝠〉、講座その他もろもろを、でっち上げようとしている。

エヴゲーニイ・ニコラーエヴィチ・ザミャーチン?

 アナーキイな楔(くさび)としてゴーリキイはインテリゲントとナロードの隙間に落っこちた。そこでレーニンは言ったものである――インテリゲンツィヤはレモンである、ナロードはレモンを絞るだけ絞ったら投げ捨てよ、と。ナロードはレモンを斧で叩き割り、果汁が四方に飛び散った。
 菜園家のイワン・アファナーシエヴィチはやってくると、いきなり言ったものだ――『責任はみなアンチリゲンツイヤにある〔前出〕!』と。

3月16日

 やがて社会主義の事業は協同組合(コオペラーツィヤ)に取って代わるにちがいない……
 社会主義のカラダは協同組合だ
 時とともに社会主義の半田(ハンダ)が剥がれて、協同組合とアナーキズムになるだろう。

 家には電気が来ているのに、ボタンを押しながら、女中はいまだに『はい、火をつけました』と言っている。

 〈я(ヤー、わたし)〉という人生で、моё(マヨー、わたしのもの)は何度も生き死にを繰り返してきた。わたしたちの身体も何度も消失と再生を繰り返してきたから、それはよくわかる。だが、驚くのは、ひとつの〈я〉、それぞれの〈я〉がもうひとつ別の〈я〉を記憶していること、そうしたすべてのわたしの〈я〉と〈я〉のあいだに連絡〔関係・つながり〕が存在していることだ。
 そうした人間のいのちの絵を描くこと――それは人間のすべての〈я〉をひとつに結んで、その関係について物語ることを意味する。
 外的つながり(関係)は種(ロード)と社会の条件だ。これらすべてを除外したあとに残るのは、表現されない〈я〉、認識されない〈я〉である。われわれが見るのはその体現〔具体化〕の瞬間、すなわち誕生と消滅の瞬間、すなわち死のみである。
 たとえば、自分がいかにしてマルクス主義者となったか、つまり〈я〉がいかにしてそこに到ったか、どう体現されたか、どうその殻を脱ぎ捨てたか、を書く必要があるのだ。

3月17日

 甘さ――嘘とすべての悪習の母。
   敬うことはできないが、愛することはできる。
   大衆(マッサ)と集団(コレクチーフ)。

3月18日

 「わたしは勤労者、すなわちトゥルドヴィークであり、万人に役立つもの万人に快であるものを創造したい」―「同志よ、心配するな。諸君の時代はやってくる」―「雨が降ってるあいだは露が目に痛い――目の見えない自分は何を見るだろう?」

 鉄の道〔鉄道〕はすべてストップ。商いの道だけ戦時下へ、どんどん戦闘地域へ近づいていく暮らし。

3月20日

 ソフィヤ・パーヴロヴナの創造(三人の共同生活)。自分は水先案内人。暗礁を避けつつ、女性の乗った小舟を先へ進めている(何が彼女を持ちこたえさせたか?)。

3月21日

 ミルク(4分の1ヴェドロー〔約3リットル〕〕30ルーブリだったのが、この2週間(斎戒期(ポスト)で、15ルーブリまで落ちた。じつに喜ばしい。些細なことから新生活への急転が……
 なぜ誰もコミュニストたちに根本のところで(イデー対イデー)反駁しないかが、やっとわかった。こうした無数の住人の暮らし自体が本質――暮らしがすべて。すべてに優先する――ということだ。

3月22日

ソーロキ*1。残酷なマロース。息子ミハイルが生まれたという知らせ*2。アレクサンドル・ミハーイロヴィチの毒々しい言葉――『いったいその子をどう育てていくつもりか?』。こちらも〔ついカッとなって〕出かかった――『ソフィヤ・パーヴロヴナなしで自分の子をどうやって育てられるんだ!?』と。反目。自分は独りでも生きていけるが、彼女はできない。アレク〔サンドル〕・ミハー〔イロヴィチ〕は修道士(モナーフ)(半モナーフ)。

*1四十人の受苦者の日。露暦3月9日(新暦3月22日)は昼夜平分の日。俗信では春の2度目の迎え。

*2ソフィヤ・パーヴロヴナとの子。ミハイル・ミハーイロヴィチ・プリーシヴィン(1919)。これ以外の記述はない。

 新時間の8時(旧時間の6時)に起床。リョーヴァのことで言い合いになった。ソフィヤ・パーヴロヴナが言う――
 「あたしは、どうぞと言ってるわ〔リョーヴァの面倒をみる〕」
 こっちだって〔彼女のために〕いろいろやってるのだ。そのあと彼女は言葉を和らげて、『これはリョーヴァのために言ったのよ』。リョーヴァにはちゃんとこのことを言っておかなくては。これはすべて彼女の好意によるのだと。彼女は彼に10回もご免なさいを言わせた。
 リョーヴァと耐火金庫を買いに出かけた。保険の勧誘員はソロヴィヨーフという男。
 「耐火金庫? どんなのがいいのでしょう?」
 「まあ、燃えないやつだね」
 「燃えない金庫なんてありませんよ!」その奇妙な言い方。
 ソフィヤ・パーヴロヴナからの心からなる詰問。
 こんな説明をした――出口なしのわが国の歴史に自分は気が遠くなりそうだ〔唖然としてるのだ〕と。彼女は大して信じない。自分にだって〔なぜ耐火金庫を買うのか〕よくわからないのである。

このころ、フルシチョーヴォを追われたプリーシヴィンの家族(妻のエフロシーニヤ・パーヴロヴナと次男のピョートル)は、彼女の故郷であるスモレンスクの田舎へ避難した。長男のリョーヴァ〔1906年生まれの13歳〕はエレーツに父とともに残ったが、その父はソフィヤ・パーヴロヴナと夫コノプリャーツェフとの奇怪な同棲生活を送っている。

 クセノフォント〔不詳〕が訪ねてきた――〔女房の〕マーニャを連れて。マーニャはわたしとソフィヤ・パーヴロヴナに向かって、夏以来20も老けたわね、と。それを聞いて、不意に、自分の心に彼女〔ソフィヤ・パーヴロヴナ〕を思いやる気持が戻ってきた。クセノフォントとマーニャは、わたしの敵であるミシュコーフを〈ЖУПЛАН〉という、こっちがびっくりするような言葉で罵った。クセノフォントは黴の生えた野菜(青物)を2フント持ってきたのだが、わたしからは16プードのライ麦をふんだくっていった。亭主が雄犬なら女房も大した雌犬である。

ジュプランは、限りなくジューペル(ЖУПЕЛ)なもの、恐怖の対象。もとは地獄で罪人のために用意された燃える硫黄またはタールのこと。類語のジューペリツァはアルハーンゲリスク地方で「苔を棲家にする黒い蛇」(ダーリ)。

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