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プリーシヴィンの日記        太田正一

2013 . 03 . 10 up
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1919年1月22日(の続き)

 ひとたび権力を手にすると、これまでどおりの付き合いができなくなる。以前なら自分のほうから話しかけてくれたのに、それもできなくなる。もうそんな暇がない。ただただ忙しく走り回っている。

 水夫のルーキンは自分がいかにマルクスを信じているかを他人(ひと)に話すのが好きだった。その話には海に浮かぶ船のことがいろいろ出てくる。水夫仲間はみな仕事をしているが、ひとり足りない。ひとりルーキンだけが鋼索(ロープ)の輪の中に隠れて『資本論』を読んでいた。彼にとってマルクス信仰は人類の至福の暮らしを保証するものだった。経済的必要性についての、頭のいいユダヤ人の陰鬱な思想を、若いロシア人水夫は〈個としての完全なる自由〉に変えようとしていたのである。一介の水夫が今では農業方面のコミサールの一員だ。私的なことを話題にする暇もないし、出航を邪魔してまで勉強の時間をつくったという伝説(じじつ伝説化していた)も、もうどうでもよかった。なにせ彼は権力を握った男なのだから。
 「富農を撲滅せよ! 奴らをみなアムバールにぶち込め!」と連日、声を嗄らしている。

1月24日

 何かが、いや何もかもが邪魔立てしている。以前のようにはいかない。堪らない。自然に、自分らしく振る舞えない。心配なのは、食料のこと子どもたちのこと。
 おそらく生活そのもの(外的生活)、通常の労働環境そのものが消滅し、実現不可能な理想がそれに取って代わったためである。精神の明澄の一瞬を利して、それを現在、生が与えるすべてと見なして、時を移さず、暮らしに順応していく必要がある〔のだ〕。

1月28日

 老婆の死。横たわる遺体。長靴下は脱がされている――〔あとは〕お金。値段の駆引き〔葬儀費用?〕。彼女の日常(ブイト)は消えた。小さな家がおめかしする。
 イストーミン家の者たちがチュグーンカ〔鋳鉄製のストーブ〕を囲んでいる。どの部屋も凍えきっている(寒さが飢えより恐ろしい)。

1月29日

 女地主のクラソーフスカヤ。それこそずたずたぼろぼろにされて、限界すれすれの飢餓に苦しんでいる。その彼女が、怒りに満ちた顔で、自分を追放した村に姿を現わした。以前その下で働いていた百姓たちは女に食事を与えたが、ただ与えただけではない。文字どおり〈食べもの攻め〉にしたのである――追放のことなどおくびにも出さずに。

 きのうコーリャ〔次兄〕がタムボーフ県のソヴェートの病院で死んだという知らせ。それをくれたのはリョーヴァだった。そのとき最初に思い浮かんだのは――ああ、でも、彼〔コーリャ〕はもうずっと以前に死んでいたんだ、ということだった。それは彼が〈生ける屍〉だったというのではない(いいや、彼は死んではいなかった、まだ生きていた!)。でもこんな時代だ、われわれはもうとうから近親者の死を覚悟していたのだ。
 リーヂヤが言った――『あの人〔コーリャ〕はみんなの忠告に従ったのよね――あたしを残して。なにも残していく必要などなかったのに』

 コーリャの死をめぐって。さまざまな疑問が湧いてくる。兄はロシア人そのものだった。大したことはしなかったが、そのかわりみんなのことを考えていた。その思いをわたしとも分かち合っていた。たまには過ぎ行く年や月に日にちを付して、いかにも内気な人がやるように、遠慮がちに、ほそぼそと自分の気持を綴ることもあった。彼は雪に埋まった列車の中で病気になって、他県の病院で孤独のうちに亡くなったのだ。きっと自分の体験(〔の意味のつながり〕と、最後の空しい試みをしたことだろう。
 彼がわたしに伝えようとして紙に記した思いはあまり届かなかったが、亡くなった今、わたしは忽然と、二人の間のつながりを悟ったようだ。そうだ、僕らは血を分けた肉親だった。そして最後までそうだったのだ、と。僕らは互いに愛し合っていた。それが二人の関係だった。互いにやり取りした思いや考えはとりとめないものだったが、じつはそれは内的に非常に強くつながっていた――そんなふうに思われた。
 いろんなことを思い出した。庭や畑でよく話をした。日が沈むころにベンチに並んで坐った。小鳥たちの歌に耳を澄ましたり、納屋でスキーの板に鉋をかけたり、冬には撃った野ウサギを手に家路に向かうときなど、よくお喋りをした。
 バシャッと水の音がした。愛し合う番(つが)いのお喋りだ。彼らの話は部外者には退屈だろう……でも、そのバシャバシャが彼らには十分すぎるほどの会話なのである。ほら、またガチョウが翼の水を撥ね散らかしている。彼らは人間の子どもと少しも変わらない〔コーリャも自分もそんなだった〕。

 光明の人。二人とも落ち込んでいたときのこと。コーリャが言った――『まわりは醜悪だ、まったくおぞましいかぎりだ。誰も信じられない、自分の生活を思い出すよすがもない。しかしどうしてまた、どっからこんなに他人(ひと)を信じたいという気持や、何かぼんやりした希望のようなものが生まれてくるんだろう? どこかにまだ光り輝く人がいて、いつかやって来ると思っているのかね……』

「светлый человек(スヴェートルィ・チェラヴェーク)は光り輝く人の意。同じこの言葉でかつてメレシコーフスキイを言い表わしたことがある(1914年1月19日の日記(三)の注8)が、それとは関係ない。ここでは高貴の人、救い主くらいの意味か?

 蚤の断崖。権力とは蚤の断崖……賢い者たちの誰かが言った――もし人間の脚力がその体重に比例して強健であれば、アルプスだって跳び越えるはず。権力はわれらが生のアルプス山脈なのだから、権力者たちはアルプスを跳び越えた自分の脚は蚤の脚ほど強力だと思っているのだ。

 冬。明るく、がは青みを帯びて……正しく十字架を描いた太陽が雪の荒野に昇ってくる――両脇に2本の虹の柱を従えて。
 主顕節の厳寒期(マロース)が遅れてやって来た。昼の日中にそれを太陽が打ち負かしにかかる。きらきらしてきた……風が背後に回ったので、風の音は聞こえない。地走る吹雪(ふき)が雪煙を飛ばすだけである。空と太陽と地上をも含む全空間、といっても犬にまでは達しないが、明るくきらきら光っている。吹雪。その濛々たる雪煙の中を走る狼の群れ。消えたかと思うと、ひょいと巨きな耳が見えたりする……
 秋から冬へ。川は栄光の絶頂にある。

 懐かしい故郷よ! ここらの草は丈が高くて、子どものころは頭もすっぽり隠れたものだが、今は雪の山。確かにわが家もここにあったのだ。でも今はない。隣人もいたのだが、何も、何ひとつ残っていない。雪、荒野。十字架の光を放って太陽が昇ってくる――両脇に虹の2本の柱を従えて。
 われわれは待っていた――自分たちの苦悩のゆえ、不要の十字架が首から落ちて花と化すだろうと、一輪のいのちの花が十字架の代わりとなるだろうと。ところが見よ、すべてが凍りついてしまった! 花を生み出す太陽そのものが十字架まがいの灰色の平原(ラヴニーナ)と化してしまった!
 気狂い(ユロード)の元の女地主。『風よ、風よ、なぜ吹くか? 誰が吹かすのか? 悪魔か神か? 風よ、風よ! これは悪魔の仕業なのか? くそ、おまえなんかに用はない! おお、義しき主はなぜ黙って見ている? 風を吹かしているのが神ならば……おお、おお、いったい何のためだ、なぜわれらを滅ぼそうとする?』
 寒さ(ホーラド)は飢え(ゴーラド)より過酷だ……誰かが邪魔をしている。誰かがわたしを縛って凍えさせる。誰だ? 何者だ? 見知らぬ他人が自分の心の奥に踏み込んできた。考えることも書くこともできない。愛することもさせない。凍てつく寒さが行く手を塞ぐ。
 氷が鳴っている。サモワールの湯がこぼれる。毛皮の長外套(トゥループ)を着て――書いている。

 少しは温まったかと体を起こせば、なんと、じっとりと泥棒みたいな〔冷〕汗。
 おまえとどう戦うかわかっていればいいのだが、畜生め、スキーは盗まれた、銃も接収されてしまった。

 いっこうに疲れも見せず、空しい言葉でコムーナの空気をいっぱいにしているが、内心では誰もが、いま自分がケダモノであることを、それでも以前は少しはましなコムーナだったことを知っているのだ。あの恐ろしかった君主国家のロシアもこれとおんなじコムーナだったのに、われわれはそれに気づきもしなかった。
 ことほどさように、われわれは一片の土地を所有しながら、それがみんなの共同の土地であることを知らないし、そこでのわれわれの暮らし(ブィチエ)の一瞬を永遠だと思っているのである(所有権は永遠と思い込んだわれらがブィチエの一瞬)。

 心静かに人は思うのである――以前も自分はコムーナの住人だった。でもそれはあくまでも自分主体のコムーナだった、と。
 飢えと寒さを逃れようとして、今われわれは自分自身のために生きていると思っているのだが、運命はすでにコムーナに預けられているのだ。われわれの計算(おもわく)は帳簿の記録以上のものではない。今では簿記係が自分を堂々といやヌケヌケと(いやはや!)生の創造者であると宣言する始末。

 『それならそれで実地に示してくれろ!』百姓たちは泣き喚く。
 百姓たちは社会的人物なるものをそのようにテストした。正確に言うと、たとえばもしコミュニストが自らをコミュニストと名乗って事業に失敗したら、百姓たちは言うだろう――『おまえはどういうコミュニストなんだ?』と。ちょっとでもいい加減なことをやったらお仕舞いだ。『なんでもいいから、とにかく言ったことを実際の行為で立証すりゃあいいんだ!』。コミュニストたちは事業に取りかかった。そしてみんなに叩かれた――『なんだこりゃ、これが事業かよ!』

 ロシア人がよく祈ったのは遠く離れたところにある修道院の神様だった。近くの〔自分たちの土地の〕修道院ではなかった。近所の修道院には神様がいない――そんなことを常識だった。

 専制国家の時代、悪いのはツァーリではなく役人だった。それと同じで今も悪いのはコムーナでもレーニンでもなく、コムーナの活動家なのである。
 今の役人たちはツァーリ時代の役人よりはるかに辛いことがわかった。泥棒、教師に中学を追い出された落第坊主、ありとあらゆる敗残者、確信犯である人殺し、町立学校の第3学年で退学処分になった、自惚れ屋の天才児たち――そんなのが蜜に群がる蝿のように権力に這い寄ったからである。
 蚤の山を跳び越えた者たちはみな泥に落ちた。泥の海が騒ぎだした。
 『なんだいこりゃ。とんだ権力もあったもんだ!』
 目に見えぬ真実を手に入れようとした。目に見えないものはどうしたって見えないので、それらはどれも非難の対象になった。当然、価値あるものも見えなくなった。

1月31日

 きのう若いコミュニストのイワン・アファナーシエヴィチがわたしにこんなことを言った――
 「あんたは、エゴイズムは自由を奪われた個(性)の牢獄の別称だと言うが、それじゃエゴイズムと個の意識の違いを教えてくれませんかね。まずこれが一つ。もう一つは囚われの身から個を解放する方法だ。これが二つ目」
 わたしは答える――
 「個は他の個への愛情によって縛を解かれるんだ。個はそういうふうに自己を認識しているから」

 きょうコミュニストたちの裏話をこと細かに聞かされた。なんだか自分がリリパットの国にでもいるような気がした。どうも現実には存在しない大衆革命のヒーローなるものを自分で作り上げて期待していたらしい。おそらく自分は簡単に彼らを二つに――権力側に立つ者と村のオアシスに住む者とに――分けていたのだ。これは間違いだ。村にだって無政府状態のオアシスは存在しない。小さな権力と嫉みとけち臭い自惚れが丈夫な網で彼らをひとり残らずがんじがらめにしているのである。

小人国。スウィフトの『ガリヴァー旅行記』(1726)に出てくる。

 肉体的死への恐怖の感情は賢明(ムードルィ)な人間によって克服されるはず。なぜなら、賢明な人間を何より不安にさせるのは精神的な死だからだ。肉体上の死など、普通一般の現代人にモーゼの十戒が縁遠いように、彼には縁遠い。

2月1日

 弁士が寒い建物の中でコムーナについて演説している。吐く息がやたら凄まじい。大寒波の夜に月に向かって吠える腹ペコの犬の息といったところ。弁士の口から雪のように真っ白なクリスタルが吐き出される……コムーナ、人類の未来における幸福……われらが冬の荒野のその雪は、自分たちの足下に生きたいのちを葬ったクリスタル。空疎な、死んだクリスタルそのものなのだ。
 新しき主義の熱烈なる信奉者たちは、指導者が彼らをかき集めて前線の射撃手に据えるまで、延々とその自尊心や自惚れを噴霧し続ける。

プロゼリット――改宗者、転向者。宗教などの新しい熱烈な帰依者。熱狂的布教者となる。

 彼らは指導者の出現を大地が慈雨を待つほどにも待望している。そしてお湿りを待つ大地に土埃が立ってひび割れが烈しくなればなるほど、いよいよ卑小な自惚れも権力願望も烈しくなる。

 どちらが増えるだろう? 党に入らず孤軍奮闘する女教師のプラトーノワか、それとも入党しておのがヒューマンなる影響力で党細胞を粗暴な勢力から守ろうと頑張るナヂェージダ・イワーノヴナか?

 故郷を追われた女貴族のNは、自分の人生の意義を母の墓を守ることと肝に銘じている。そして自分を追放した百姓どもをしんそこ憎んでいた(彼女は思っている――ケダモノじみた百姓の体はカラダジラミが、魂はケンリョクジラミが喰い尽くしたと)。Nはまさに飢えて死なんとする家族と一緒だったのだが、幼いよその子どもたちのためにもと、かつての自分の村に向かっていた。乞食のようなぼろをまとって、疲れと寒さでもうへとへとだった。村に着いて、ともかく助けを乞うた。すると百姓たちは食べきれないほどのハムとピローグを彼女に差し出した。

 2月の計画。15日までに(あと2週間)スタホーヴィチ〔フルシチョーフの隣家の地主(前出)〕と自分の蔵書を、ニコライ〔次兄〕の品々を抜き出すこと。15日から〔3月〕1日まで、ペトローフスコエ、アナーニエヴォその他の村へ。そのあとエレーツへ居を移す。
 荷造り。スペラーンスキイ〔?〕へ手紙、電報。リーダ〔長姉リーヂヤ〕とシュービン一家にキビ〔脱穀した〕を20フント。2週間分の下着、汚れ物は洗濯すること。書類を入れた手文庫。主な原稿は肌身離さず持ち歩くこと。
 「友を作るな、暴言を吐くなかれ。神に祈れ、悪魔にさわるな! これが人生だろうか? 踊れ、踊れ、熱いフライパンの上の魔物(ベース)よ。アンチキリストはいのちを齧れ、魂を齧れ、齧り尽くせ!」
 アダムのように。
 「おまえたちが何を喋ったって何も出てこんさ。ところで、おれの意見だが――まずは全プロレタリヤを集めるることだ、そしたらどっかの百姓女(バーバ)がプロレタリヤにミシンをかけてくれるし、魚だって釣ってきてくれるだろう。だがな、ズボンも穿いとらん貧乏人のプロレタリヤを集めてみろ、そりゃあ大変だぞ。ブタ箱が山ほど要る! そうなったらそいつらをみんな騙して、労働党員の小者ども(トゥルドヴィキ)をおれたちみたいに働かせるだ。いいか、最初の人類のアダムみたいに働かせるんだぞ」

第1~4次国会での農民とナロードニキ知識の民主的派閥。日記(百五十)の注を参照のこと。

2月2日

 きょうは町へ。わが麗しの女(ひと)〔ソーニャ〕のところへキビを持っていった。
 わが巻糸の一方の端はそれでもまだ彼女の手にある。彼女は最初から握っていて、そのことをよく弁(わきま)えている。そして自分ももう一方の端を握っている。なぜなら彼女もずっとそれを離さずにいるから……(もちろん自分は本気だ。どうあっても!)

 農民大衆から突出している農民=労働党員たち(クレスチヤーニン=トゥルドヴィク)、その声。それがますます烈しくなっている。

text - 太田正一  //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk


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