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プリーシヴィンの日記        太田正一

2013 . 01 . 13 up
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12月6日

 ナナカマド。
ゲルシェンゾーンは理念(イデア)の相場師、それもそうとう小者の。『山張って一か八か!』
 会計係がこんなことを言った――『わが国のコミュニストには裏がある。本物なんて一人もいないが、社会主義者はごまんといる』。さらにこうも――『まあどれも必要不可欠であるのだが』と。
 キリスト教のコムーナは分解した。なぜなら生活の経済的方面にうまく対処できなかったからだ。社会主義は経済に全力を集中している。社会主義はキリスト教の理念のために外的(経済的)環境を創出しようとしている。
 講義のプログラム――ヴェレビーツキイの共同体、トルストイの共同体。

 さまざまな精神的肉体的苦難のあとで、ついに自分の避難所(熊穴)をパヴリーハのとこに見出した。
 農民たちは言っている――『わしらのところにゃブルジュイはおらん。女のブルジュイが一人おったが、そいつはわしらがぼろぼろにしてやった。まず土地を奪った。そのあと泥棒どもが(こいつはつい最近のこったが)屋敷中を荒らしまわって、奴らが盗み残したものはコミュニストたちが徴発してったよ』。ただパヴリーハの心だけは徴発されなかった。彼女が商売相手にしていたのは信頼できる連中だった。きのうパヴリーハにわたしは言ってやった――
 「ウールの着物ならうちの親戚(クム)のとこにあるがね」
 「じゃあその親戚に言って――『あんたはお金持ちだ』って! そして囁いた――『あたしは豚を飼ってるの、体重は8プード。穀類も5プード溜め込んでる。聖誕祭用の脂身(サーロ)だって用意できるよ!』
 かくてわが生活は豚とぴったり歩調を合わせて〔動きだしたのである〕……

 パヴリーハの人生は、永久(とわ)に正しく、汲めども尽きない喜びに満ちみちている。パヴリーハはわが母と同じ。富農階級から(を)とことん分析し裸にし多くを学びつつ、不幸を通し根本的な生の実感を通して人間を人間たらしめる……

 それでもやはりソヴヂェピヤ〔代議員ソヴェート制度(主義)、ソヴェート権力〕には何かしら甘美なものがある。恐ろしく醜悪なものだが、ウクライナへ逃げ出した連中を(のことを)羨ましいとは思わない。
 二十世紀初頭における社会主義の祖国のための戦争は、、モスクワその他もろもろの新しい土地〔収奪という〕の戦争、新しい地理学だ。

 この革命が恐ろしいのは、それが敗北の結果であるからである。グロドノ駅で出会った獣医のことが忘れられない。そのみすぼらしい(プリュガーヴェニキイ)男はこう言ったのだ――『自分には〔戦争なんか〕どうでもいいんだ、結婚はしたいと思ってるがね』

従軍記者として戦地に赴いたときの記憶。グロドノは現ベラルーシ共和国の北西端に位置する港湾都市。1915年2月の日記(四十)に出てくる。

 1913年に二人の銀行家が賭けをやっていた。一人が駒を置きながら、言った――
 「ロシアとドイツは滅びなければならないと、わたしは思ってる」
 するともう一人が――
 「じゃあ、われわれは高みの見物といきますかね」

 吹雪は吼える。村のみすぼらしい小屋が雪に埋まる。自分は埋葬された死体、墓穴の中の……自分はこれでいい、埋められた死体で満足だ。ほっとしている。しかしどこか氷の層の下で、生きてるいのちが脈を打っているらしい。あるいはひょっとして、自分はまだ完全には死んでいないのだろうか? 生のかすかな脈音。ただ以前のように心臓の最奥部から伝わってくるようには思えない。
 これまで最良の時を共に暮らしてきた病気の女〔妻〕を可哀そうに思っている。彼女は今、病んでいる。親しくしていた百姓たちのお情けで、壊れた桶(コルイト)の中に体を横たえている。自分はたまにちょっと憐憫の情が疼くとき以外は、ほとんど〔彼女に〕無関心である。
 新しき友〔ソーニャ〕……それは灼熱の天を抱いたあの愛なのか! 騒がしい墓穴の中では今、壁に映った影と一緒に、自分の愛しい女(ひと)が燃えている――イコンの前の灯明のように、揺らぎもせずに燃えている。
 灯明が誘惑しだすと、たちまち闇がのしかかってくる。そこでさらに力を絞って――『もういい、ここから出ていくぞ!』などと喚いてみるが、なに、どこにも行く当てなどないのである。氷の墓穴には灯明がともっている。それは死人の愛の火。

 「まったくなんて時代だ! おれは小鳥を売って暮らそうと思ってたんだ。祭日には鶏を2羽、ガチョウを5羽くらい潰したもんさ。はらわたを抜いたやつを塩漬けにもしたもんだよ」
 「時代が変わったんだ」
 「そうだよ、変わっちまったんだ、なあ、あんた!」

12月8日

 もちろん自分は決して家庭人ではなかった。独りでいられるなら(そういう可能性を与えてくれる人となら)誰とでも喜んで一緒になる。

 自然発生(スチヒーヤ)的事象としてのロシア革命はよくわかるし、それはそれで正しい。でも、それを分別(理性)ある人間がわが身に引き受けるだろうか? とてもじゃない。

12月9日

 熱に冒されていた女が猛吹雪の中へ飛び出していった。誰もとめられなかった。みんなが熱病で臥せっていたからだ。きょう、ひとりの猟師が議長のとこにやってきて、言った――『雪に埋まったネマーヤの窪地に遺体があるんだが、それがその女ではないかね』

 「あのね、あんた、うちの娘が言うんだ――パンが手に入らないから、とても持たないって。このままだと小さい子が飢え死にしちまうんじゃないかって。怖がっているんだよ」
 「大丈夫だ、お婆さん、心配するな、何とかするよ」
 「何とかするったって、いったいどこで手に入れるというんだ? 誰も持ってきてくれやしないよ」
 「お達し〔配給命令〕が出たと、〔ここの幹部が〕勘違いしてくれたらいいんだが……」
 老婆は言っている意味がわからないので――
 「そりゃ受け容れちゃくれるさ。お上に取り次いでくれたら、そりゃあ巧くいく」

 女教師のアレクサンドラ・イワーノヴナはコミュニストだ。彼女がコミュニストになった理由を詳しく聞き出す必要がある。コミュニストの少尉補が好きになったのか、それとも……何だろう?
 コミュニストになった若い農民のグループは、わがマルクシスト学生のそれによく似ている。
 コムーナの思想を聖なるものと見なしているのは、そのなかでも最も深く魔法にかかった連中〔敵〕である。

 自分はС.を愛しているが、それでも二人は堕ちてしまった。それは一線を越えたからというのではなく、А.М.〔アレクサンドル・ミハーイロヴィチ〕が〔ひょっこり〕姿を見せたあのときから、自分たちが、変に急いだり慌てたりおののいたり鉤を掛けたり窓のとばりを降ろしたりして、その合間合間に生きるようなことを始めたからである。以来ずっと互いに愛することをやめないで、沼に落っこち、沼の底で、灯明の炎を眺めている。炎はそよとも動かず、沼にどっぷりと浸かったまま、ずっとずっと……

12月10日

 リパートゥイチ(根っからの百姓)とエピーシカ(新しい役人)。
 村は黙りこくっている。1プードの粉も手に入らない。入ってきたとしても、それはどんな経路でだろう(それすらわからない)。いずれにせよコムーナ経由か富農(クラーク)経由の二つしかないのだ。オリガは赤っぽい靴墨色の、疲れた顔の陰気な百姓娘だが、その辺の秘密の流れについてはすべて承知している。
 群れから遅れたガチョウよろしく、ぼろをまとったオーストリア人があっちこっち齷齪(あくせく)じたばたしながら、最後にわれわれの村に落ち着いたが、あんまり可哀そうだと思った村の主婦は彼にヤーシャという名をつけた(ステファンというちゃんとした名があるのに)。不幸せぶりが度を越していたから、ステファンは似合わないと判断されたのだろう。

戦争捕虜としてロシアに連れてこられたオーストリア兵。捕虜たちはさまざまな土地で労働を強いられた。

 エリザヴェータ・アレクセーエワは糖蜜工場付属の野外劇場にこっそり忍び込もうとした(ただし外庭の方から)が、徴発隊が家宅捜索をしたあとだったので、目ぼしいものは何も残っていなかった。

 コムーナのグループ(党細胞)を仕切っているのは、女教師のアレクサンドラ・イワーノヴナだ。若い者たちが親父たちと対立している。すべては息子の父親への反乱(ブント)といった感じ。
 エピーシカ(いわば聖母)。なんとか選出された。リパートゥイチ自らが選んだのである。エピーシカは何とかいう代表団にもぐり込むと、今度は仲間を全員そこに引き入れた。そして全員を糞まみれにして、ついには自分が〈町のエピーシカ〉に納まったのである

エピーシカ=エピファンはギリシア語でエピファネース、つまり有名人、堂々たる人物の意。

 С.がフルシチョーヴォにやって来たときのカタストロフィックな光景を思い出す。やって来たら、そのあと急に村の暮らしが夢のように吹き払われてしまったのだった。そこへ暴動(ペレヴォート)である。もはや巣〔家屋敷〕も家族もない。どこかへ消えてしまった。奇中の奇――本当にすっかり、まったくまるごと無くなってしまったこと。

12月11日

 老婆がパン生地を作りながら何か言っている――
 「寝過ごしちまったよ! 一度目を覚まして思ったなだよ、まだ夜は明けてないなと。それでまた寝てしまった。問題はパン生地だ、ちゃんと見てなきゃいかんのに、目が覚めたら、なんとあんた、もう夜が明けてたんだよ。こりゃ大変、寝過ごしちまったぁ!」

 アレクサンドラ・イワーノヴナはコミュニストである。言わばマルファとマリアの中間的存在――ミロノーシツァと呼ばれる女。マルファの竃(かまど)からはずっと離れているのに、イデアと一緒に歩むことができない。機関車の後ろに付いたの炭水車みたいに、もっぱらイデアの後を追っかけている。歩きながら、ただ良き人によって知ったイデアというのを温めている。

ルカによる福音書10章38-42節。マルタとマリア。ミロノーシツァ=キリストの体に香油を塗りに来た女。また、ある宗派の指導者を讃仰する人の意。竃はキリストをもてなすために働いているマルファのこと。良き人とはキリストであるが、アレクサンドラ・イワーノヴナにとってはマルクスかレーニンか。

 これらの体制はいずれも暴力の上に成立していて、信念信条説得の力を原理とはしていない。党細胞は学校から坊さんたちを追い出しイコンを撤去すると、細胞自らが学校に居坐ってしまった。もう3日も子どもたちは学校に行っていない。学校に保管されていた更紗の服をコムーナ員たちが山分けした。

 ああ、あんたはなんでもないさ。何者でもないんだから! つまりそれは、おまえは関係ない局外者だということなのである。わたしは不安になった――ひょっとしたら、ボリシェヴィキと富農(クラーク)の中間くらいに思われてるかも。わたしを慰めるように言ったのはイワン・アファナーシエヴィチはである――
 「あんたは大丈夫、なんでもないさ。心配しなさんな、何者でもないんだから」

 観察したものはメモしておくべき。コミュニズム(地上の、西洋思想)の地下の源泉――それは父親たちとの断絶、葛藤。問い――父と子は何をめぐって議論を戦わせているのか? コミュニストの外貌を言うと、髭を剃った顔、がっちりした顎骨、ファナティックな真剣さ、それと絶えざる緊張状態。

 もし貴族出の娘かなんかが自分の使用人、つまりナロードに腹を立てて、『こいつを鞭打ちにしり!』と叫びたいなら、それはもう断然コミュニストになるべきだ。

 ボリシェヴィズムの特徴を宗教上のセクト主義のそれと比較すると、1)コミュニズムの思想は世界的かつ全包括的な思想としてのセクト主義のように感じられる。2)……

プリーシヴィンはその世紀初頭における直感(宗教的分派(セクト)運動の研究を通じてセクタントとマルクシストのパラダイムの類似を指摘した)が革命後の新生活によって実証されたことを知る。彼にはマルクス主義(革命)とフルィストーフストヴォ(鞭身派の教義)のトポロジカルな類似は明白だった。プリーシヴィンは革命をたえず宗教意識の流れの中で捉えていた。たとえば、1928~29年の日記には――「(インテリゲンツィヤの)革命運動は自らのうちに民衆のラスコール・セクタント運動の特徴を鮮やかに映し出している……インテリゲンツィヤにもそれとまったく同じセクトが、どの宗教的セクトも発して止まないあの普遍的真理への強い自己主張が、形づくられた。すべての人を征したボリシェヴィキのセクトはこれまで普遍性のために闘っていて、われわれの目にもそれが徐々に世界化しているように見える……

 わが階級闘争の起源――それは父と子(農民・労働者)の闘争である。

12月12日

 朝まだき闇の中。老婆のところに通りがかりの客ひとり……
 「ねえ、おまえさん、聞いたかね?」
 「聞いたよ――赤軍兵たちがあんたを追い出さなくちゃと話していたようだが、でも百姓たちはこう言ってたよ。いや、もうあれ〔老婆〕は追い出しちまったってね……」
 どこの村でもコミュニストは若者だ。そしてどれも村の仕事〔農作業〕をしてこなかった者ばかり。

 ボリシェヴィキのいかなる敵であろうと、村に住むインテリがいちばん辛い。それでも村人たちにとってインテリが最も近しい存在なのである。

 朝も早くからの、この気ぜわしさ、この混乱(クチェリマー)。まあどうだろう、クリスマスを迎える準備かと思っていたら、家宅捜索に備えているのだ!

 恐怖が消える。小学生たちまで強盗に変身だ。

 状況。男たちは〈権力〉を求めて町へ行く。偉い指揮官が彼らに向かって言った――「いいか、われわれこそがその〈権力〉なのだ!」

 大槌みたいにでかくて重そうな若い娘は二人とも未婚である。以前は黒いプラトークをかぶって、黒いコケモモにも見えたものだが、今はなんとか協同組合の講習を受けさせてくれと女教師に頼みに行っている。
 学校は何もかもうまくいっている。活気があって、寝たきりの頭を目覚めさせてくれるが、如何せん全体に浅薄だ(上すべり)。仕事がない……

12月13日

 党細胞は大忙しだ。住人に更紗の服を配布し、12月6日の大興行(スペクタクル)のリハーサルや夜間の講習会や何かでてんてこ舞いだ。一方わが富農(クラーク)は昼も夜も家の片づけ〔明け渡し〕に大わらわである。
 「子どものものはどうした? ああ靴底を忘れてる。長持に入ったままだ」
 「何やってるの? 大事なのは子どものものよ。ちゃんとした子は靴を履いて歩くのよ! ああ、リーザったら? 何をそんなに慌てまくってるの? からっぽ頭は足に自由を与えない〔ぼんやりして動かない〕って言うわよね! ねえ、ミハイル・ミハーロヴィチ、子どもの本の下にこれも突っ込んでくれます?」
 「でも、どうすりゃいいかな……」
 「教えますから……いいですか、ちゃんと教えますから。あたしはこんなふうに隠しましたが……夢かな? あれ、夢を見てるのかしら。暗い。とても暗いわ。もうじき夜が明けるわ。(小窓から外をちらっと)。ああら大変だ、ほんとに夜が明ける! ペチカから降りたけど、もう明るい。空はまだ暗く、まるでぼろでも引っかぶったみたい。黒いぼろ服。あたしはまさぐる。一発で扉の掛金に手がいった! すると上から枕が落ちてきた。とっさに叫んだ(泥棒だぁ、泥棒だぁ!)が、泥棒はあたしの腕を摑んで押さえつける。あたしは声を張り上げた。自分の声はよく聞こえたけれど、起き上がれない。そこで目が覚めた。玄関の間(セーニ)に出てみる。ああそうだ、羽毛を片付けなきゃ――そんなことが頭をかすめる。羽毛を枕カバーの中に突っ込み始めた。見ると、〔戸口に〕黒ずくめのコミサール、あたしたちにとっちゃ最悪のコミサールが立っていて、こう言った――「おれは行くが、夕方、チャーシナがここへぶち壊しに来るからな、いいか!」

 リャビーンスカヤ・ザジョーラは富農の女(クラチーハ)。「あたしの夫は農民だけど、あたしはね、あなた、貴族の出なんですよ」。酒の密売所があった。リャビーンスカヤは分与地の買占めをやった。この女のために何人死んだか。才能から言えば,マールファ・ポサードニツァくらいの女。だが、栄養を、つまり才能の糧をすべて沼から摂ってきた。あたしが苦労を知らないって、あたしが労働者じゃないって! とんでもない。国家なんてものは膏血(こうけつ)を絞って生き残ってきたんだし、君主制はザジョーラ・リャビーンスカヤじゃなくてザジョーラ・フセロッシースカヤ(全ロシア)なのよ。それに比べたらインテリゲンツィヤなんてカデットのヨーロッパ人かナロードニキかスラヴ主義者の子孫です。そんなのは革命家じゃない。反乱と言ってもほんのうわっつらだけのものだし、本質的には、理想のハーモニックな構造(天国は美しい花園だった!)と心の〈文化財〉、すなわち、誰よりも心優しい者たちがそれを抱いてナロードに近づき、彼らとひとつになりたがっている〈文化財〉――それしかない連中なのよ……そのせいで、それからずっとナロードの腫物はどんどん大きくなっているのです……〈文化財〉を有するインテリたちは、ツァーリに反旗を翻す一方で、ナロードのための生活の理想(これも本質的には、従順とすべてを赦すキリスト教的精神)を謳い上げる。民衆出の革命家(ボリシェヴィキ)は祈るし、ただただ祈り(すべてを理解し何ひとつ忘れず赦さず在らしめ給え!)によって生きているのです。そんな人間のせいぜいそんな理想が運動だったり変革だったり復讐だったりしてるんです」

マールファ・ボレーツカヤはロシアの年代記に記されているごく少ない中世ロシアの女性。共和制ノーヴゴロドの第一市長官(ポサードニク)だったイサアク・ボレーツキイ(在職1430-50年代)の寡婦。権勢家で、ノーヴゴロド大貴族の反モスクワ党を率いる。1478年にモスクワへのノーヴゴロド併合(イワン三世にいる)後、モスクワへ連行、拘禁された。ソロフキの修道者ゾシーマがその宴席で、彼女たちの悲劇的結末を幻視した話はよく知られている。

 日々の暮らしの中で、コミュニストの徴発者=略奪者とブルジョアの富農(クラーク)がばったり顔を合わす。強盗と泥棒――天の雷雨の地上の影(幽霊)が、沼のどぶ泥、汚い水溜まりに沈んだ天国の木の根っこ――富農どもと顔を合わせす。天の花は浄らかだ。根っこは(沼の泥の中でも)十字架を背負ってきたし、花を咲かせることで報われているのだ。

 ところで、自分は何を訊き出そうとしているのか? 
 こういうことだ。自分は運動を、革命の浄化(贖罪)の雷雨(嵐)を認めるが、ある人びと、たとえばシュービン〔ウラヂーミル・ニコラーエヴィチ〕の家族だが、自らの命で自らの罪を贖った立派な人びとから目を離すことはしない。彼らの苦しみをしっかりと見据えよう。彼らの苦悩をどう理解すべきか。
 いや彼らは苦しまず亡びもしない。まったき天の花は咲いている。しかし天国の小さな花冠はめらめら燃えて、血で真っ赤である。
 枯れてしまった天なる花の小さな花冠。さあ革命だ、嵐だ。干からびた小さな花冠はすでに血で真っ赤、花びらが炎を吹き上げる……

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