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プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 10 . 08 up
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7月29日

 世界創造。夕方近く、救世主キリスト大聖堂のある河岸通りへ。そこからクレムリンの方を眺める。現在クレムリンにはロシア人でも自由に入ることができない。はるか遠く、宮殿や高い白亜の聖堂の中に、ひとつぽつんと、新しいものだが、つい笑ってしまうほど小さな円屋根がきらきらと黄金の光を放っている――まるで地面から新しい芽でも生えてきたか、殻を割ってヒヨコでも飛び出してきたようである。

1918年3月にソヴェート政府がペトログラードからモスクワへ。以来クレムリンの敷地内への立入りは禁止され、通行許可証(と厳しいチェック)が必要になった。

 どうやら、多くの人が感じるような変化ではないようだ。これは無分別。つまり、相手のことが好きになり、夢中になり、結果、感情面で大混乱を来たしてしまったのだが、それでもなんとか自由な広い空間へ飛び出した。そこでいったいどこを彷徨(さまよ)っていたのかと自省する。どうしてそうなったのかを思い出そうとする。まさか。いやいや、これが事実だ!

 世界創造。もぎ取られた腕。王笏のないツァーリの像の印象は格段に良くなった。表情が柔らかく穏やかだ。〔腕がないため、却って〕両の翼を大きく後ろに開いた大鷲の威厳さえ〔感じられる〕。

 市民〔国内〕戦争や新たな前線(フロント)の展開について新聞がどう書き立てようが、今ロシア人の心の中では〈世界創造〉が始まっているのだ。人群れができると、どこでも会話はオープンになって、相手を形式ばった〈同志(タワーリシチ)ではなく、ざっくばらんに〈兄弟(ブラット)と呼ぶ人間が増えてきた。

 その小さな教会はほんのちょっと地面から突き出していて、どう見てもたった今生えてきたという感じ〔表現が似ているので、前出のクレムリンの教会のようだが、こちらは救世主キリスト大聖堂の傍らにあった聖母讃美教会(1705)〕。何人かわたしのすぐ近くで話している。話題はどうやらモスクワだ。
 「不思議な話もあるもんだ――モスクワに火を放ったあのフランス人〔1812年のナポレオン戦争〕が、今じゃわが友人ときてる。フランス人はどうだい、ロシアの敵なのか味方なのか? どうも信じられん」
 「まったく。フランス人てのはいったいわれわれの何なんだ?」
 「何ものでもないさ」
 「じゃ、こいつは?」そう言って、像を指さす。
 「ついこのあいだまでツァーリだったが……ただな、彼の立場になれば、おまえさんだってこう宣(のたま)うはずだよ――きょうフランス人はロシアの敵だが、あしたは友である、ってね」
 赤軍の兵士がこっちへやって来る。
 「同志よ、一ヵ所にかたまっちゃいかん、解散せよ!」
 「見ろよ、あの野郎、きのうまで労働者だったくせに、きょうは権力と武器を手に、ずいぶん偉そうに歩き回ってやがる」
 ツァーリの像を指さしながら、その男は兵士に向かって――
 「おい兄弟よ、どうしておまえさんらは、この像みたいに、そんなでっかい顔してのし歩くんだ? こいつは民衆に災いをもたらした張本人だぞ、わかってるのか?」
 そこでしばし紛糾。
 「ソヴェートの人間はわかってない――連中は人だかりを見れば、すぐ逮捕しにかかる。そりゃナンなんだ? なんでそんな馬鹿なことをする?」
 窮した兵士は即刻解散を命ずるが、会話はだらだらと途切れることなく続けられる。
 「おれはな――」と一人が言う。「もうおたくらの〔赤の〕広場にゃ行かねえよ。殺したきゃ殺せ。もう行かねえ」
 「同志よ、おれはその意見には反対だ。おたくたちが彼を兄弟と呼んでることに気がついたんだが、ほんとのところ、あれがはおたくらにとってどういう兄弟かね?」
 「そりゃもちろん兄弟だ」
 「じゃあツァーリも兄弟か?」
 「ああ、ツァーリも兄弟だ」
 「おたくらは労働者じゃないか。ほう、それじゃ、おたくらもツァーリも同じ親父の子なんだ?」
 「もちろん、そうだ」
 「では、なぜ市民戦争になるんだね?」
 「そんなことはよくある話だろ。昔むかし男が二人一緒に暮らしておったとさ。仲が良いのに、よくまあ派手な喧嘩をやらかして……」
 「取っ組み合いの喧嘩をね。でも、おたくらは彼らを兄弟と見なしてるんだ?」

 「市民戦争、万歳!」
 「武器を手にするな!」
 「同志諸君!」
 「わが兄弟よ!」
 「おれはおまえの兄弟じゃない。市民戦争、万歳!」

 「おれはおまえの同志じゃない、兄弟だ。武器を手にするな!」
 「武器も持たずにどんな国家が存在すると思うんだ? よおく考えてみろ。そんな国家がどこにある?」
 「あるぞ。そこでは、国民が働き、耕し、家畜を育て、商いをやって暮らしている。でも、戦争はしないんだ! ほんとにちっぽけな国なんだが、ええとなんて言ったっけ……」
 「フィンリャンディアだろ」
 「ヴィフリャーンディアって言ったかな?」
 「そこは戦ってる。残酷な戦争をやっている……ほかの国も戦ってる」
 「いや、あそこは戦争をしないんだ」
 そのとき、みなが同時に思い当たった。
 「シヴェイツァーリア〔スイス〕だ!」
 「そうだ、そこそこ。戦争をしない、そのヴィフリャーンディヤそっくりの小さな国があるんだ。つまりそれは、戦争なんかしなくても暮らしていけるって証拠だよ」
 「よし、わかった。同志諸君、ではもし二人が通りで取っ組み合いの喧嘩を始めたらどうするか? どうやって喧嘩をやめさせるんだ? ずばり答えてくれ」
 「おれなら、二人の間に割って入り、『兄弟喧嘩をやめろ!』と言う」
 「言うことを聞かなかったら、どうする?」
 「そのときはもう一人、おれより強い奴がやって来て、やめさせるかな」
 「よろしい。そいつが止めて、敵同士が仲直りし、キスし合い、一人は一軒家に戻り、もう一人は地下の穴倉に戻る――また元の場所に」
 「それはいい。上出来だ!」
 「でも、資本家はまたも金儲けに邁進する」
 「なぜ金儲けに精を出すか。もしかしたら、資本家はただ儲けようというのではなく、借金を返す必要があるのかも。資本家だってみな同じじゃない、いろんな奴がいるのさ」
 花壇脇の小道に人だかり。どんどん集まってくる。群衆の中から大きな叫び声が上がる。
 「いつになったら戦争は終わるんだ?」
 「市民戦争はどうなんだ? ある階級が出現すると言うが、そいつはいつ現われるんだい?」
 「それはいつだ?」
 「兄弟よ、戦争は決して終わらんよ。おまえさんらが敵意と悪意を説いて回っているからな」
 「そっちこそ、戦争よりなお悪い和平を説いて回っているじゃないかい」
 「おれは兄弟と一緒に平和を、おれ自身は戦争を説いて回っている」
 そのとき、どっと群衆から声が上がる。ハハハといかにも可笑しそうに笑う。見ると、頭の真っ白い辻公園の番人が、引き抜いたらしい柵の一本を振り回している。緑のペンキを塗った棒の先から釘が出ている。危ない危ない。老人は怒っている。ブンブン振り回しては怒鳴っている。
 「草を踏んだら承知せんぞ、こら! 花を踏みつけにするんじゃない!」
 笑いながら人びとは退散する。公園のベンチではブルジョアの令嬢たちが話をしている。
 「面白いわね、あの人たち(ナロード)と知り合いになっちゃったわ」
 「してみると、あの人たちは選ばれたってわけね」
 「誰が選んだのかしら?」
 「三百年〔ロマーノフ王朝〕も経つのよ、もう誰も憶えてないわよ」
 「駄目よ、思い出してちょうだい。誰があの人たちを選んだの?」
 「それより、今ツァーリの像を撤去しようとしている人たちを選んだのは誰なの、ねえ教えて!」
 「労働者と農民よ」
 「そうなの? えっ、じゃ、あの人たち、あたしの兄弟ってわけ?」

 きょう、記念像への愚弄はピークに達した。首に縄をかけ、鼻の先に梯子が架けられ、今、王冠の前で(そこには以前、十字架が置かれていた)、男が何かやっている。なにやら頭の中でも引っ掻き回しているようだ。そしてついにそこへ太柱を立てる。
 「不満そうな顔だね、きっと怒ってるんだ!」
 「そりゃそうだろ。お祈りにやって来る婆さんたちはこの像に向かって十字を切ってたんだからな。これは聖堂に尻を向けてるが、年寄りたちはいつもこれに向かって十字を切ってたんだ」
 「聖堂には尻向けて酒場には顔向けて、な」

 「それはそうと、国を守ってくれるのは誰なんだ?」 
 賢いそうな、いかにもしっかり者といった顔の女性が、石の壁に腰かけている小間使いたちに、しきりに言い聞かせている――
 「ねえ、おまえたち、どんなお屋敷でもご奉公に変わりはないのよ。あたしは25年間ご主人たちに仕えて生きてきたけど、誰ひとりあたしを侮辱しなかった。それはね、あたしが自分の身のほどを知っていたからなのです。だってそうでしょう? サモワールに火を入れ、お茶を煎じて、いつもいつも注いで回ったものよ。あたしは一日に二十の仕事をこなしてたわ。誰もあたしにああしろこうしろとは言わなかった。そんなあたしを侮辱するなんてどうしてできますか?」

 今、ツァーリには王笏どころか腕もない。腕があったところが大きく口を開けている。鼻の下から梯子がはずされ、首のロープもはずされた。王笏も腕もないその姿はこれまでより格段に素晴らしい――表情が柔和になった。その顔は恐ろしい断末魔の瞬間の人間の顔のようだったが、今は少しずつ明るく落ち着いたものになり始めている。

 モスクワで。6月25日―7月29日。セマーシコと会う。ボリシェヴィズムの再検討、ドイツ人どもにケリをつける。

 ゲルシェンゾーン――快適(ウユート)、ソファー、共同体(コムーナ)の家。13人目のソロモン。井戸の中の太陽。ブリューソフ――その病とその職務、ブールヴァールの一軒家で。ヴャチェスラフ・イワーノフ――「背教、《神から臍を切り離して》*1」。地質学教授のイワーノフ〔?〕曰く――「〔ツァーリの〕像は無害である」。ヴャチェスラフ曰く――「彼は生きている。それを破壊しようとするのは、要するに、まだ生きているからだ!」―「いや、害などない。25年もモスクワで暮らしているが、わたしは一度も像を目にしなかった」。アンナ・ニコラーエヴナ・チェヴォタリョーワ*2がモスクワとペテルブルグについてアレクセイ・トルストイに語った――「わたしはモスクワの愛国者(パトリオット)ですよ!」

*1ペテルブルグのセクト鞭身派(フルィスト)の指導者の一人(パーヴェル・レフコブィトフ)の言葉(前出)。

*2正しくはアナスタシーヤ・ニコラーエヴナ・チェボタレーフスカヤ(結婚してチェチェールニコワは文芸批評家で翻訳家(1876-1921)。

7月31日

 きのう、7月30日に、われわれは記念像の近くまで行った。すでに頭部はなかった(〈ルスラーン〉のように)。巨大な頭部(人間の頭の10倍ほど)は、山をなす身体各部の間に横たわっていた。男の子たちがかつてのツァーリの眼窩に拳を突っ込んだり口髭を掴んだりして遊んでいる。大きな頭や王笏を握った腕が転がっているさまは、どこか幻想的な戦場の片隅といった感じだが、首の中から突き出している太柱、頭部のない像というのはまさしく巨大な首なし死体。ぞっとする。きょうは片方の肩が落とされたから、さらに凄みがある。
 記念像についてのわれわれの最後の感想――「どうにも重っ苦しい、低い天井が頭を圧し潰しにかかっている」ようだ。

プーシキンの叙事詩『ルスラーンとリュドミーラ』(1820)の登場人物。

 何か新たな政治の波が起こっている。われわれは再びまた何かの前夜に立会っているらしい。あらゆる小さな事件(偶然)の中から再度、自らのために解放のパースペクテイヴを創出しようとしているかのようである。

 めったにあることでないが、もし可能ならそうすべき人生、生きたいように生きた人。途中で考え直すとか思いとどまるようなこともせず、おのれの人生の最後の瞬間まで生きたいように生きることができる人間は幸福だ。

 像の上の方に、大理石に寄りかかるようにして白髪の紳士が立っていた。よくはわからないが、何か〔解体作業に〕期待をかけている様子が見てとれる。足下に奥方らしき人。紳士が降りてきて、彼女の手にキスをし、その腕を取って、像のすぐそばへ。彼らは何を目にし、何を耳にしたのだろう? そのあと二人は、花壇の脇を通ってスタロコニューシェンヌィの方へ歩み去った。

8月1日

 残ったのは肘掛椅子と長靴(サパギー)だけだった。労働者のボリシェヴィキがミーチングを開いて演説を始めた。『われわれはもうすぐ滅びるかもしれない。だが決して滅びることがないのは……(というところで、肝腎の言葉が出てこない)、そこでまわりの人間が囁いた――〈思想(イデア)〉だよ、と。

日記となったノートのこのページに新聞(「ヴェチェールニャヤ・クラースナヤ・ガゼータ」の第14号)の切り抜きが糊付けされている。詩1編とのスケッチが3つ。1)破壊されたアレクサンドル三世の像、2)記念像の残骸の山と労働者たち、3)救世主キリスト大聖堂の、木材で覆われたクーポルの上部を描いたもの。

 チェコスロヴァキア軍の前線から戻ってきたマクシマリスト(まだほんのガキ)が、勝利と銃殺についてじつに楽しそうに話している。彼らはロシアを救おうとしており、それはそれで結構なのだが、肝腎の聴衆は、今まさに滅びつつある者たちの側に心を置いているのである……

背後にシベリアにおけるチェコ軍団の反乱がある。二月革命後、チェコのマサリク(のちチェコスロヴァキア共和国初代大統領)らがロシアに来て、ロシア在住の同胞および捕虜となった同胞から成る部隊を拡大させ、3万の軍団を創設した。ソヴェート政権がドイツと休戦すると、彼らは祖国独立のためにフランス戦線への移動を望むようになり、ウラヂヴォストーク経由で帰還させることになったが、日本の陸戦隊の上陸やセミョーノフ軍の動きを憂慮したソヴェート政府によって行く先を変更されるなどしたため、チェコ軍団は大いに動揺し、1918年5月以降、ペーンザ、オームスク、サマーラなど各地で反乱を起こした。たとえば、サマーラでは8月に、憲法制定会議委員会がチェコ軍団の後押しで、政府を発足させるに至った(首相ロゴーフスキイ以下のほとんどはエスエル)。(『マサリクとの対話』所収「ロシアのチェコ軍団と共に」(成文社))。

 カフェ・ジャーナリストのリストに載った噂話――ペテルブルグが英国軍に占領された。ナンセンスもいいとこだ!

8月4日

 当時、「ロシア通報」に、ロシア艦隊のために何百万ルーブリかを政府が支出しようとしているという記事が載った。
 母にわたしは言った――
 「何をやってんだろう、馬鹿な!」
 すると、母が――
 「国を守るには必要なことよ!」
 「必要なのは――」と、わたし。「国民の教育のために金を使うことですよ。啓蒙教化が進めば、国民は社会主義を理解するし、そうなったら国を守る必要なんかなくなります」
 そのあと母なるロシアと息子ケーレンスキイがこれとまったく同じ会話を繰り返したのだった。
 ニコライ・ドミートリエヴィチ・コンドラーチエフ。放蕩息子が帰ってくる。彼は死刑を承認する。脱党し、農民民主主義的な新聞を発行しようとしている。彼はもはやインテリゲントではない。ボリシェヴィキのセマーシコは別の道を辿って帰還する――民衆煽動から民衆のスチヒーヤの渦中に陥りながら。

コンドラーチエフ(1892-1938)はエコノミスト。十月革命後、モスクワ農業大学教授その他を歴任。農業経済学と農業計画に関する著書あり。スターリン時代に粛清され、死後に名誉回復。

 チェコスロヴァキアの戦線からのマクシマリストの出現。
 マクシマリストは言葉ではなく行動を価値あるものと考えるゆえにマクシマリストなのだ。
 「壁の前へ!」
 懇願し誓いを立てる男――あたかも自分が反ボリシェヴィキであるかのように。
 撃たれて倒れるが、まだ生きている。それでもう一度撃たれてしまう。最後の息をしながら、男は呟いた――
 「ソヴェート権力、万歳!」

 ロシアの社会主義の性格は個人的なものの拒否にある。個人的な、たとえば芸術作品のようなものが絡んできただけで、社会主義は停止してしまう。これは共同事業なのだ。つまりインターナショナルは共同事業、祖国も共同事業なのである。

 祖国と社会主義の祖国。

 ロシア革命の登場人物を列挙すること。

8月6日

 政治は、日常生活に欠かせぬ麦粉お茶その他一切をおのれの家族に保障するところの〈価値と必要性の〉個人事業に堕してしまった。アパートの持ち主である主婦が子どもたちを連れてタムボーフに行ってしまったので、自分たちで食事の心配をしなくてはならない。部屋を掃除したり、チェコスロヴァキア人についてあれこれ語り合ったり。

8月8日

 ヴャチェスラフ・イワーノフ――棄教(背教――ゴーリキイのように)、神なしに生きる(あたかも……)、あるいはそれこそ悪魔信仰(デモニーズム)、つまり、宇宙創造計画の反対側に飛び移ることだ……それとまったく同じことがメレシコーフスキイの頭の中にもある。  ロシア出のソロモン――ヴォドヴォーゾフ

ワシーリイ・ワシーリエヴィチ(1864-1933)は社会政治評論家、法律家、エコノミスト。社会主義経済と政治史の著作がある。1926年に亡命した。

 ロシア人における二つの生活原理の共存と、してまたそれが未来においてどのように見えてくるか――ヤロスラーヴリの百姓。

   ――モスクワ――
 貴族のロシア。アルバート。記念碑の大理石の階段と、奥方を連れた貴族の後ろ姿。威圧する巨像(コロース)とゲルシェンゾーンの快適(ウユート)。

 ツァーリの解体(赤色)。

 大胆な闇商人たち。

 穀物を隠匿する百姓(生活の建設者――ゼウス)。

 ハモヴォーズ(хамовоз)。

 ブールヴァール暮らし。

 国民教育委員部(コミサリアート)でのやりとり――
 「誰があなたに民俗学研究の権限を与えたのか?」

 マクシマリストの出現。

 大使たちが帰国した――このことは何を意味するか?

 上院。ヴャチェスラフ・イワーノフ。ゲルシェンゾーン。背教あるいはキリストを反(アンチ)キリストとすり替える。

 インテリゲンツィヤをやめる。コンドラーチエフ――放蕩息子、チェコスロヴァキア人、セマーシコは反インテリゲンツィヤ。
 ベルヂャーエフ――反キリスト。
 ゲルシェンゾーン――ボリシェヴィク(二語判読不能)。
 ストルプネル〔不詳〕(三語判読不能)。
 ヴャチェスラフ――棄教。

 ベルヂャーエフにあっては、ストルーヴェのカデットが悪い。反キリストその他。革命と戦争が人類の宗教にたわごとを示顕(四語判読不能)。
 カルタショーフ――革命こそがヒューマニズムのたわごとを示顕した、と。

 カフェ・ジャーナリスト。愚かなソロモンたち。今ロシアは今奈落の底にある。誰が引っぱり上げるのか――ゲルマン志向。チェコ人はチャーミングだが、あっち(ドイツ人)はしっかり者。突然、爆弾が。ドイツ人は弱気、ドイツが粉砕される……

 ロシアの悲劇の目撃者たる自分は、もうすでに心の底で、狂犬じみたわが革命家たちに同情し始めている。そして来るべき復興にも困惑を隠し切れず、〈許さない〉という原則(свое)すら、忘れがちである。こっちが〈許さない〉と言っても、〔向こうは〕そうはさせないだろうが……。
 ストーリンスキイが不安そうに言う――サマーラのチェコ軍団の前線にあのチェルノーフが現われて、しきりに新しいインターナショナルを説いて回っている、と。

 ウリヤーナ! 前はスヴェトラーナだったりタチヤーナだったりもしたが、今はウリヤーナだ。なんと素敵な名前だろう、なんと彼女にぴったりの名前だろう! それは祖国とキッチンと子どもを持つに相応しいクリスチャン・ネームになるはずだ。おお、神聖にして不可侵のわがウリヤーナよ!

ロマンの相手ソフィヤ・パーヴロヴナ・コノプリャーンツェワ。

 ようやくアレクサンドル・ミハーイロヴィチ〔コノプリャーンツェフ〕を見て、わかった――なんという幸せ! 自分は泥棒でない、絶対そうではないとわかったのである。
 忘れてならないのは、ウリヤーナを身近に感じられなくなって、通りを行ったり来たりしていたとき、自分の文学がこれまで思っていたものではなくなってしまったこと。わが身は生きていても、わが文学は空疎なものになってしまったのだ。文学者らしくわたしは自分をオネーギンのように彼女をタチヤーナのように感じていた。ところでこの遊びは彼女のために自分が考えついたことである。おそらく真摯な生と同じ俎上に載せられれば、どんなヒロイズムもうつろな音を響かすにちがいない。生を貪り生を吸い尽くしたヒーローは、あるべき生の生あるところにうつろな穴を目にすることになる……
 長編叙事詩『オネーギン』――ヒーローを以ってする生の点検(テスト)。

text - 太田正一  //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk


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