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プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 09 . 16 up
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6月20日

 道徳教育コミサールの、残忍この上ない女房が、今後、銃殺は執行されないだろうと言ったので、恐怖と辱めの苦い杯を厭というほど呑まされた者たちは、ほっと安堵の胸を撫で下ろした。それはちょうど、大洪水のあとで、天の声が、以後人類を溺れさせない、その徴(しるし)に虹を懸けようと約束したようなものだった

創世記第9章13-19節。「すなわち、わたしは雲の中にわたしの虹を置く。これはわたしと大地の間に立てた契約のしるしとなる」

 道徳教育コミサールその人は、どちらかと言えば、感じ易い、人類の幸福を願うことにかけては人後に落ちない人物と思われていたのだが、それがいきなりわが市に対して、三つの驚くべき法令(ヂェクレット)を発したのである。
 第一の法令は庭園に関するもの――屋敷(私有地)の庭の垣根をすべて取り払い、〈三大庭園〉を造営する。各名称は以下のようにする、すなわち第一ソヴェート庭園、第二ソヴェート庭園、第三ソヴェート庭園。
 第二の法令――市民が自らをライラック、ニワトコ、チェリョームハ〔エゾノウワミズザクラ〕その他の果樹で飾ることを禁ずる。
 第三の法令は穀類の倹約――たとえば、自由の原則の実現のためにすべての鳴禽(めいきん)を解き放て(要するに無駄な餌を与えるな)というようなこと。
 道徳教育コミサールがこれらの法令を作成したとき、その残忍な女房は、斬殺された3人の赤衛兵の墓の傍らで、こんな演説をぶったものである――殺害された同志一名に対してブルジョアは百の首を差し出さなくてはならない、と。
 わが町で出た〈ソヴェーツカヤ・ガゼータ〉紙の第一面には鳴禽に関する法令が8ポイント活字で、第四面の「地方の暮らし」欄には泥棒・強盗と並んで反革命分子(元の地方自治庁の長)の銃殺のことがやはり8ポイント活字で載った。
 郡都の住民の心はかなり奇妙である。もしモスクワで大地震が起こって10万人が被災死亡したら、あるいはキーエフかオデッサで大爆発が起こって10万もの住人が亡くなったら、また、もし突然、地上から美しいフランスという国が消えてしまったら(どうしてフランスである必要があるか!)、いやたとえ人類が消滅したところで(自分の町に知り合いか親戚の誰かがまだ生き残っていることがわかっても)、われわれの魂は少しも震えないだろう。だが、子どものころからよく知ってる、すでに老齢の、地方自治庁の元トップが反革命の手先として銃殺されたことがわかったら、それは鳴禽の自由に関する法令と一緒で、まともな普通の人間には耐えられないし、とても納得できないだろう。何と言ってもそれは人間の命が抹殺されることなのだから。
 自分はそれをこう説明する――俗人は、憐憫の情を〈心を通し〉〈情を通して〉理解するが、全人類(その名において知人縁者が犠牲に供される)を知(ウーム)と意志(ヴォーリャ)によって理解することはできない。ただただぞっとする。
 2週間にわたって彼らは自分の退避壕にじっとしていて、互いにいよいよ募る新たな恐怖について囁き合っていた。震えがとまらなかった。そして戒厳令の解除を〈ソヴェーツカヤ・ガゼータ〉紙が報じたとき、ようやく彼らはこわごわ外に出て、自分の周囲の何千人ものスパイを頭に思い描きながら、食糧の買占めに走った。町のどっかで砂糖1人あて2分の1フント! それを聞くと、にわかに元気づいた。それであっちこっち駆け回って情報を交換し合った。すると、あの、血に飢えた、道徳教育コミサールの妻がしゃしゃり出てこう誓うではないか――今後、銃殺は廃される、と。それを聞いて、恐怖と辱めを一滴余さず呑まされた人びとは、大洪水のあとで天なる神が宙に虹を懸けたときのように、ようやく安堵の溜息を洩らした。

 彼にはもう何もない。父も母もどこか遠くの田舎に住んでいた――生きているのか死んでいるのか、それすらわからない。10年も会っていないのだ。妻は逃げていった。土地も資本もなかった。あるのは旅行鞄と、たまたま仕事に就いて貰った俸給だけ。彼はボリシェヴィキである。

 彼らは、権力を手にして――おのれの無宿性(ベズドームノスチ)の最高の明かりを得て、完璧なまでに大胆に、鉄面皮に、厚かましくなった。そして必死に、聖なる生命(いのち)の拝殿にまで土足で踏み込んでいった。

 水曜日にソヴェートの大会が予定されている。人びとの自由と意思(ヴォーリャ)がまた新たな嘲笑を受けるだろう。代表たちは人びとのヴォーリャへの嘲りが至るところで嘲りの対象になることを肝に銘じて置かなくてはならないが、しかし、絶えず目につくのは、本来神の奥ふところから流れ出るものとしての権力から、偽りの約束と好きなだけ刷られたぜんぜん無価値の紙幣で買い取った権力までの、なんとも極端な〈権力移行〉の現実なのである。どうやら最後の嘘はお金にあるようだ。百姓たちはまだ紙幣を信じている。そのおかげで金融システム全体が保(も)っているのだ。

 心に刻むこと――ドストエーフスキイの〈永遠の夫〉を読んでいて、その〈夫〉の姿がわが百姓(ムジーク)の姿とオーヴァーラップしてくる。そしてそれはこの奴隷に対する自分のどうにもならない嫌悪感、パーヴェル・トルソーツキイに対するヴェリチャーニノフの嫌悪なのである。

小説『永遠の夫』(1869-1870)のテーマの基本的構図は、〈永遠の夫〉たる地方役人のトルソーツキイと〈永遠の情夫〉たるヴェリチャーニノフの対立である。プリーシヴィンはこの構図の先に〈ナロードとインテリゲンツィヤ〉が敵対する現実生活の意味を認識し、さまざまな視点を見出す。3月5日、30日、7月17日のメモなど。

 個人的問題。今日という日への恨みや怒りや憎悪から自由になり、内なる抵抗力と影響力とを保持し続けること。

 この生活になんとか耐えて、蒔かれたもののうちから芽を出すものに期待しなくては。そわそわきょろきょろ、そこらを駆けずり回る、そんなの真っ平ごめん! それ以外に道はなければ、却って事は簡単、気楽、楽しいものになるだろう。

 だが、問題はこうだ――『〔あたし、あなたのようには〕愛していませんわ。でも、なぜ?』*1。ある者は愛を足の踵へのキスから始める。こういう者たちは女を下着のように取り替える。ある者は肉体を持たない雲上世界で女と出会おうとし、そのあとで手におずおずとキスをし、やがて目、唇……すると女は白昼、幽霊のように身を起こす。そして現実の、地上のその肉体が、夢の実現のように男を驚かす。
 そういうことが起こるのは、青臭さの残る青年期かいよいよもって最後に近づきつつあるころの話であって、人生の半ばは、わからないことばかりでいっぱいなのだ。そんなことは誰にでも起こってるんだよ、そうじゃないか?

 多弁、喋り過ぎた――こんなふうにして別れても、しかしまだ互いに無関心ではいられないのだ*2

*1秘密めかした微妙な表現。*2に関わる問題。

*2相手の女性は、親友アレクサンドル・コノプリャーンツェフの妻のソフィア・パーヴロヴナ(旧姓ポクローフスカヤ)(1883-?)。

7月2日

 Н(エヌ).А(アー).セマーシコ。『А.А.よ! セマーシコから僕が受けた印象だって? 彼はとても悩むタイプで、つまり満足しない人間なんだ。だから、きみも、彼の政治には目を閉じて、人間的な方面からアプローチしたほうがいい。現在のボリシェヴィキたちにもそういう近づき方ができれば、僕らの義務も果せるし、じっさいそうすべきだが、でもそんなことは不可能さ。僕らはそれが不可能だとわかっているから、やらないんだ』

前出。プリーシヴィンの中学時代からの親友、革命家。のちにソヴェート初の保健相。彼の影響でマルクス主義にのめり込んだ。自伝的長編『カシチェーイの鎖』にこのプロトタイプが出てくる。А.А.については未詳。

 自分が産んだ子らを喰らう豚。
 豚は多産で、概して家庭的な動物だが、たまに自分のお腹を痛めた子を食ってしまう母豚というのが出てくる。そういう、謂わば〈造反する豚〉の存在を知っておく必要がある。造反豚は主張する――『あたしはひたすら子を産み続けるだけの豚でいたくない、そんな法則(ザコン)と闘いたいのだ。だから自分の子どもたちを貪り食うのよ!』。自然界にはこれまで、子どもたちが自分の生みの母を攻撃する事例はなかったようだが、ところがそれが、人間の社会で、ロシアで起こった。子どもたちが自分の母親を貪り食ってしまったのである。

 エリザヴェータ・イワーノヴナの亭主は立派な人物だ。医師で、いつも忙しく、今なお自分の妻に夢中である。素敵な二人の娘(ミーシャとマーニャ)がいる。まあまあの収入があって、とくに問題はないが、あるとすれば、細君のエリザヴェータ・イワーノヴナのほうだ。もちろん気立てはいいのだが、これがまた、嵐が来ても窓をぜんぶ開けっ放しにしている家のような女。風は部屋中を吹きまくって、窓を叩き、ガラスを割り、テーブルの上の書類や新聞を吹き飛ばし、タバコの灰は床を舞う。いやはや。
 町の住人は誰もがコンスタンチン・カールロヴィチを尊敬していた。身近に彼を知る人で彼を愛さない者はひとりもいなかったが、エリザヴェータ・イワーノヴナを好きと言う者はひとりもいなかったし、むしろ軽蔑していた。彼女を愛していたのは唯ひとり夫のコンスタンチン・カールロヴィチだけで、それも物陰に隠れるように(一定の距離を保ちながら)女房のあとからつくという体(てい)のものだった。
 エリザヴェータ・イワーノヴナが非難される一番の原因は、彼女が自分と関わりのないこと知らないことにいちいち口と手を出し、どこでも〈重要な役割を演じようとする〉からだった。

7月5日

 壁をひとつ隔てて、家族持ちの大地主が住んでいる。彼は生き残るために最後のものを売り払うところだ――家具、衣類、こまごました金製品。だが彼は、時が来れば、自分はこれまでより十倍も金持ちになると固く信じて疑わない。
 大佐のБ(べー)がいろいろ話をしていく――
 「どうだね、ソヴェート権力は今月いっぱい保(も)つだろうか?」
 大佐が帰ると、Н.А.セ〔マーシコ〕がこんな話をしていった――「今ほどソヴェート権力が磐石になったことはない。今ほどドイツの状態が悪くなったことがない。現にオーストリアは滅びつつあるし、いずれブルガリアはトルコと手を結ぶだろう!」
 自分のプロテストの本質を未だにはっきりと自覚していないが、たぶんそれは「自分らは市民権になど誘惑されない」と語ったヒンドゥー教徒〔インド人〕と同じ基盤に立っているということなのかも。ヒンドゥー教徒でいられれば、市民権など他人(ひと)にくれてやってもいい――そう思っているのだ。

7月8日

 ハエ男の話(「日記」から*1
 この歴史的事実〔〈ミルバッハ殺害*2〉の文字が抹消〕もメモしておく。それは不意にわれらが味気なき生活に闖入してきた。〔事件に直接かかわらない自分のような人間にとって、これはまさに青天の霹靂。この文、抹消〕

*1ほかに「日記」=創作ノートがあることがわかる。、そこから一部が書き写されたのか? このころとくに創作の断片(習作)、スケッチふうの描写が目立つ。

*2ソヴェート・ロシア駐在ドイツ大使のウィルヘルム・フォン・ミルバッハ=ハルフ(伯爵)はエスエル左派のヤーコフ・ブリュームキンによって殺害された。

 土曜日にそれは起こった。救世主キリスト大聖堂近くのヂェーネジナヤ小路、そこからはほんの目と鼻の先に住んでいながら、その日、わたしたちは何も知らずにいた。〔以下の文、抹消――わがアパートの家主は画家、なかなか面白い人物である。目下あるマダムの肖像画に取り組んでいる。これはわたしの想像にすぎないが、画家が描くのはいつも、(たぶん)若いころに出会った人物か、(そうでなければ)夢に出てきた女人の顔のどちらかだ。)。それで今ポーズを取っているのは、われわれの多くがよく知るマダムである。画家の女房は大女で、このアパートの賄い手だが、今モデルになっているマダムのことで亭主にたいそうやきもちを焼いている。わたしなんかにもそれこそ何でもバラしてしまうし、興奮のあまり心臓発作を起こしたり、女中に八つ当たり(これはスキャンダル!)したりと、まったくもって大変なのである。〕夫婦には12歳になる娘(ヤーニチカ)がいる。わたしとヤーニチカは大の仲良しだ。それでよく救世主キリスト大聖堂の辻公園に面した小さな窓辺に並んで腰を下ろす。夕方、その窓辺に坐ることをわたしたちは〈キネマトグラフ〔映画〕〉と称している。

モスクワにあるロシア最大の聖堂。スターリン時代に爆破されたが、1998年に元の場所(クロポートキンスカヤ通り)に再建された。

 内庭には、大きな七面鳥と2羽の雌鶏、それと1羽のひ弱そうな雄鶏が飼われている。カナリヤの歌もたえず聞こえてくる。左の方にはプレチースチェンカの並木道をさえぎる恰好で一軒の家が建っていて、わたしたちの位置から救世主キリスト大聖堂の辻公園が見える。そこには、雌のガチョウみたいにどんどん太っていく、白いワンピースを着た奥さんたちがいて、彼女たちはたいていブルジョアジーである。その界隈をミルバッハも散歩していたらしい。
 隣家は丸見え、頭のはげたイワン・カールロヴィチの姿が見える。彼はときおりヤーニチカのいる窓に小さな矢を射ってくる。自分がやったくせに、平然と、まるで他人の仕業という顔で、部屋の真ん中に立ち(こちらからは丸見えなのに!)、狡そうに微笑んでいる。イワン・カールロヴィチはドイツ人だ。仕事と言えば、窓辺でパシヤンス〔ひとりでするトランプ占い〕に興じることくらい。その階上(うえ)にはアスリートが住んでいる。こちらの頭にも毛が1本もない。強烈な電灯の光の中で、日課の筋トレをこなしている。その魂は怪物じみた筋肉から成っていて、ヤーニチカにはそんな醜い体のどこがいいのか、さっぱりわからない。体操をしながら、たまにわれわれに向かって叫ぶことがある――
 「あした、試合を観に来てくださぁい!」
 アスリートの部屋のさらに上の階に目をやると、どこか秘密めかした窓があり、窓敷居に白樺の木とバラが2本、赤い壁紙などが見えるが、窓辺に寄る人影はない。
 土曜日。わたしたちは知らなかった。麗しき淑女は画家の前でポーズを取り、画家の女房は意味ありげにわたしにウインクした。ヤーニチカに訊いてみた――きみはあのマダムが好き?」
 「意地悪いけど、でも面白い人よ」
 「きみのママは彼女のこと、好きでないね」
 「ママにはママの理由があるのよ!」
 アスリートは体操をしている。辻公園では雌のガチョウたち〔白い服着たブルジョアジー〕が泳ぎ回っている――まるで何も起こらなかったような顔をして。イワン・カールロヴィチが矢文(やぶみ)を射ってきた。手紙には――『知り合いの家のバルコニーからだと演(だ)しが全部見える。あすの日曜、ハエ男がたった6インチの鍵穴をくぐるから観にいきませんか? あなた方お二人とパパとママをご招待します。ハエ男が鍵穴をくぐり抜ける超自然的なショーで、抜群に面白いですよ。お友だちになりましょう』
 夜、お茶の席で矢文の話をすると、みなが笑った。あしたは必ず全員をハエ男を見に連れていこう。
 翌朝、イワン・カールロヴィチがカードを並べてパシヤンスをしている。こちらから承諾の矢文を放った。画家は苛々している――マダムも行くと言ったので。彼はハエ男より絵を描きたかったのである。
 と、そのとき、知り合いの雑誌記者のエフセイ・アレクサーンドロヴィチがやって来て――ミルバッハが殺されたと教えてくれた。そのあとすぐにドカン、ドカンという大砲の音〔ドカン、ドカンはロシア語ではブフ、バフ。ちなみにミルバッハのロシア語発音はミールバフ、語呂合わせである〕が近くでした。もう一発、さらにもう一発。
 「ミルバッハがどうしたって?」画家が叫ぶ。
 ブッフ、バッフ!〔これは大砲の轟く音〕
 「あれは何の音かな?」
 一斉に窓辺に駆け寄る。イワン・カールロヴィチも腰を上げた――動かなかったのはカードだけである。パシヤンスは終わらず、アスリートは姿を消し、ブルジョアジーはあっと言う間に四方に散った。辻公園はからっぽに。からっぽの中で、ブフ、バフと砲声が轟いた。
 「ミルバッハがどうしたって?」と画家が繰り返す。
 雑誌記者はほとんど何も知らなかったのか、いや、知っていたとしても、口にしたのはにわかには信じられないようなことばかり。
 「どうしよう、とにかく街に出てみよう。まずは事実を知ることだ……」
 「どこへも行かないで。駄目ですよ。行かないで!」画家の女房は繰り返す。
 振り切って行こうとする画家と女房が喧嘩になった(わたしには彼の気持ちがよくわかる)。午前中、画家が細い絵筆で人との出会いをランデヴーを、つまり過去と新しく生きいきした今(女房とマダム)とをひとつに繋ぐことが習慣になっていた。それは、前年に蒔いた種が気づかぬうちに大きくなっていくようなものだったが、それが突然のブフ、バフ!
じっさい何もなく、通りには人影さえない。辻公園もからっぽで、何がなんだかわけがわからない。まずはあの音の正体を知ることだ。
 住人たちの賄い係である画家の女房は、われわれ全員に噛みつきかねない勢いだったが、でも、その顔にはどこか勝ち誇ったような(「勝ったのはあたしよ!」)表情があった。そう、彼女はそのときわれわれ一同を支配していたのだ。
 「どこにも行かせません、駄目よ、どこにも行かせませんからね!」
 きゃあっという声。ドカン、ドカン〔ブフ、バフ〕。中庭のどこかで犬が吠えた。七面鳥がぺちゃくちゃ喋り、雄鶏が喚いた。カナリヤは少しもあたりを気にせず、好きな歌をうたっている。
 その日曜日、われわれは奇妙な時を過ごした。そのからっぽさの中で生命(いのち)は全面的に生長を停めたようだった。花は咲かず、草は伸びず、何もかもからっぽになり、そのからっぽの中から、いきなり飛び出したのが、ブフ、バフ、ミールバフだったのだから。
 そのあと、びっくりするようなことが起きた。まず最初に射撃が止み、それから新聞に何か記事が載り、通りが人で溢れた。辻公園に白いワンピースのマダムたちが姿を現わし、5時ごろ、玄関のベルが鳴った。やって来たのは大いにめかしこんだイワン・カールロヴィチ。抱えた花束をヤーニチカに手渡すと、さあこれからハエ男を見に行きますよと言った。
 「もう終わりました、終わりましたよ、さあ出かけましょう!」と、イワン・カールロヴィチが言った。
 主婦の興奮も収まった。われわれは電車で出かけ、じっさいバルコニーからハエ男が6インチの鍵穴から這入り込むのを見た。そしてすべてが元に戻り始めた(夢でも見ていたようだ)
 結論。窓辺に立って、いろいろ考えているところだ。じっさい何が起こったのか? みんな何ごともなかったように暮らしている。それにしても、あれは何だったのだろう?
 そんなからっぽの状態が数時間、蝕のように続いていた。11時に最初のドカン〔バフ〕、全面的空虚の中で、なんとなんとミールバフ! ついでに言っておくと、ハエ男が鍵穴をくぐりぬけたのは、自分の時計で夕方の6時であった。

 彼は、つい魔が差して(「むらむらして」)ほかの女と一時的な関係を持つことを妻に対する裏切りとは思っていないが、もし〔それが〕精神的な恋であれば、それは弁解の余地なき裏切り行為と見なすのである。反対に、自分の妻がほかの男と精神的な関係を持てば嬉ししいと思い、束の間の〔かりそめの〕恋は絶対に許さない。

 きょうは何日か? 旧暦の6月であることはわかっている。新暦では7月……聖ペトロ祭あたりか? これが古い新聞だとわかるのは、ミルバッハ暗殺事件の前のものだから。指折り数えたら、きょうは7月10日の水曜日(新暦の)だ。

使徒ペトロとパウロの祭日は旧暦の6月29日、新暦で7月12日。この祭日の前後に草刈りが行なわれた。

 孤独な人間の苦しみから幸せは、全人類の喜び=救いは、生じ得るか? それとも孤独な人間の喜びは当然の報い〔ほうび〕で、彼ら〔人類〕の幸せもまたそうなのか――ただしこちらは地上のすべてを調和のとれたものにしようと、のちのち孤独な人間の苦しみが世界を救済したということにしているだけの話。(並木道(ブールヴァール)と個々の人。事件とブールヴァールの人生)。

7月11日

 А.А.п〔ペー〕.はブルジョア。地方自治体の首長。
 彼は商家の出にして色男である。実務に通じた本物の商人たちは彼のことを――
 「アレクサンドル・アレクサードロヴィチはたしかに飛行機のような人間だが、本物のそれとはひとつだけ違うところがある。飛行機は空へ昇って最後には降りてくるものだが、われらがアレクサンドル・アレクサードロヴィチは舞い上がったら二度と降りてこない」
 その首長のところに実務家の商人がよく顔を出す――どうにもできない問題(お金が無いか、足りなくなったか)を持ち込んでくる。それをいかにして断わるか、突っぱねるか? これがそう簡単にはいかない。そこで首長は『ところでナンだがね……』と言って早くも離陸の態勢――肝腎の話は脇に置いて、高くたかく舞い上がる。そんなふうにして1時間2時間はじっと坐ったまま、相手と一緒に世界をひと巡り。そのうちに、どこか奥方(バールイニャ)が何かの用事でやってくる。こちらの処理は簡単だ。奥方にはあらゆことを約束し、可愛い手にキスをし、あとは忘れてしまう。
 父親から譲り受けた資産(カピタル)は莫大なものだったが、〔町の〕事業に注ぎ込んで、あっと言う間に失くしてしまった。かわりに栄誉と尊敬を手に入れた。あの人はこの町じゃ誰よりも頭がいい、最高だ、とみなが言い言いした。豪勢な暮らしをし、自宅の大庭園を見事なまでに美しく飾った。そこに吸殻を捨てるなどとんでもない。吸殻どころか唾を吐くことさえ憚られた。毎日、20人ほどの女が庭園を掃いた。そのあと事業のほうがぐらっときて、アレクサンドル・アレクサーンドロヴィチの飛行機は墜ちてしまった。人びとは噂をし合った――
 「ひとを使って掃かせていたが、なに、最後は自分が掃かれちまったのさ!」

text - 太田正一  //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk


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