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プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 09 . 09 up
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(1918年6月14日の続き)

 黒く染めた厚木綿のモールスキンを着たガムフェ。
 町人階級の多く住む街で捜索が始まった。捜査の対象は主に砂糖と武器類で、ほぼすべて押収された。だが、住民たちも黙ってはいなかった。手斧で赤衛兵を3人斬殺する。帝政時代の下級巡査(ストラージニク)上がりのヂクタートルは機関銃兵を前面に押し出し、自らは馬に跨ると、銃口を空に向けたまま3時間近く街中を乗り回した。
 住民はそこで初めてヂクタートルの何たるかを(正体を)知ったのだった。

 斬殺された兵士たちの埋葬が干草(センナーヤ)広場で執り行なわれた(マールス広場のときと同じ手順で)。センナーヤ広場は自由主義者のある地主が建てた公民館(ナロードヌィ・ドーム)の真向かいにあった。ブルジョアたちのアパートから持ち出された花が手向けられ、墓を囲むように、棕櫚や月桂樹その他の常緑樹から成る方形の花壇(カレ)が造られた。墓の傍らには〈人殺しどもは呪われてあれ!〉という献詞と花環。機関銃による礼砲。ヂクタートルが演説し、殺された仲間1人に対して100人のブルジョアを血祭りに挙げることを誓う。
 式が済んだあと、墓地に20人ほどの兵士が残った。そのうちの1人がこんなことを言った――
 「コニャックは駄目だが、ラムなら〔何とかなる〕」
 誰かが答えた――
 「ラムでもいいから、くれ」
 するとまた誰かが、墓のことで――
 「何かで囲ったほうがいいな。このままだと、牛に踏み荒らされちまう」
 夕方になって、案じたとおり牛の群れが棕櫚を踏み倒してしまう。牛を追っていた老婆は、嚇されると、こう毒づいた――
 「見てやがれ、そのうちおまえらだって犬みてえに殺されて、センナーヤに埋められちまうから」

 翌日から逮捕が始まった(鐘の鋳造だ)。

 警察(ミリーツィヤ)が武装解除された。

ソ連時代のミリーツィヤは〈民警〉と訳される。

     誰の手によって彼らが殺されたか、わしは知らぬ、
     だが、おまえの思想がその手を向かわせたのじゃ
                   (シェイクスピア『リチャード三世』)

この日に限って2度、プリーシヴィンはシェイクスピアを引用しているが、『リチャード三世』には同上の箇所が見当たらない。

 墓地での演説。ヂクタートルは、ブルジョアどもを呪詛しその最期の時は近いと断ずる一方で、自らの運命(ウーチャスチ)をも嘆じたのだった。彼はそのとき十字架に架ける男であると同時に架けられる男、さらには自身の携香女(けいこうじょ)でもあった。女たちは泣き喚いた。機関銃が断続的に空に向けて連射されす。革命組織は〈人殺しどもは呪われてあれ!〉と書かれた花環を恭しく捧げた。

ミロノーシツァ――日本ハリストス正教会の訳語で、十字架から降ろされたイエスの体に塗るための香油を持ってきた女の意。

     おまえのリチャードは生きている。あいつは人間の魂を買い、
     彼らを地獄に送る。だが、奴らには恥ずべき、そしてみなには
     歓ばしき破滅の時は近づいている。大地が大きく口を開いた。
     デーモンたちの咆哮。地獄が炎を上げ、天なる勢力は祈っている――
     あんな碌でなしはさっさとこの世から連れ去られろ、と。
     義なる神よ、一刻も早く幕を引きたまえ。おお、すぐにも
     奴を打ち砕き、わが命を永からしめたまえ、〈くたばれ、犬め!〉
     と言わしめたまえ!
                   (シェイクスピア『リチャード三世』

夫エドワードをリチャード三世に殺されたアンとの会話の場だろうか? これら2つの『リチャード三世』の引用は、原作を模したプリーシヴィンの創作のようである。

 巧いこと立ち回ろうとする〔百姓に〕と、すかさず誰かが半畳を入れ――「おい、おめえ、なんだって樹皮靴(ラーポチ)なんか履かせんだ〔まんまと騙すの意〕、もう足が利かねえってのによ!」

 経済学。わたしと村共同体(ミール)。コーリャ、これが今の僕らの状況なんだ――百姓たちはこっちが着ているものを分配し合っているんだ。

 われわれの(いや、おそらく)どこの村もこんな階級構成である――れっきとした富農(クラーク)連、小売店主、組合員、それと今どきの協同組合活動家。固い中核を成す中間層は、かさかさに乾いた唇をときどきブルジョアの酒盃の方へ突き出して、できればそれにありつこうとしている。残りは抑圧された貧農階級、元の小作〔作男〕、やたらと神を畏れる年寄りたち、あくまで静かで、〔表立っては〕ひとことも言葉を発しない生きもの(いや人間)。
 委員会がわたしの庭を賃貸に出そうとしている。それに対してこちらは何もできない。なぜかと言えば、たとえ取り戻しても、結局はすべて奪い取られてしまうとわかっているから。クラークも同じだ。頑張ったところで、どうせ守り通すことができないからである。村人たちにとってもそれが不可能なのは、先を争って庭に突進するに決まっているので、どうせ林檎も草も平等には行き渡らない。若草は女たちがさっさと刈ってしまい、林檎は子どもたちが残らず叩き落して持っていってしまうだろうから。
 アルヒープは戦闘的な男だ。生まれついての政治好きで、〈いちど掴んだら決して放さぬ〉タイプ。だから当然、ボリシェヴィキ向きだが、根が堅実で大まじめ、それに齢相応の慎重さも手伝って、今のところは自称エスエル右派だ。アルヒープは仲間を募った。いずれも似た者同士で、中間階級が10人ほど、あと2人はボリシェヴィキ寄りの泥棒である。
 こんな状況で庭を守ろうとすると大きなリスクが伴う。委員会が息も絶えだえであることはみなが承知している。あすにも元の持ち主が現われて権利を返せと迫ったらどうするか? 仲間から集めたお金などとうに底を突いてしまっている(50ルーブリ)。ああ、でも、なに、大丈夫、あとひと月で草は刈れる、無事収穫となれば、そりゃ状況だって改善されるさ。
 わが家は庭の中にあって、まわりには薪や農機具が積み上げられている。もし誰かが仲間の耳にひとこと――『ここは誰のものでもねえぞ』と囁けば、こちらはすぐにも外出禁止になってしまう。たぶんそうなるだろう。ふと外に目をやる――男がひとり、見るからに汚い、前びさしの固い帽子を、わが家の樽の水をそれで掬って飲もうとしている。わたしは言ってやった――『水を飲むなら、そこのコップを使ってくれ』。ところが男の答えは――『おれの体は病気に罹るようにはできてねえよ!』
 もうこんな暮らしはできない。しかし家族を連れて逃げることもできない。実行するにしても、いったいどこへ行くというのか!
 もしここを出たら、あっと言う間にすべて略奪されてしまう。そうなったら、二度とここには戻って来れない。地方主事も一緒なら可能かもしれないが、こんな状況では、そんな気も起こらない。ウクライナを見たらわかる。あちたでは、元の権力が戻ったのに、治安の悪さは話にならない。

地方主事(ゼームスキイ・ナチャーリニク)は、1889年から1917年まで、行政・司法・警察権を有した。村長に当たる。

 守る手立てはあるだろうか? あるとすれば村団だ。とにかく村団はこれまで何度もわたしの窮状から救ってくれた。幸いにも、わたしをまだ〈人間〉として敬ってくれている。

村団(セーリスコエ・オープシェストヴォ)は、村落共同体(セーリスカヤ・オープシチナ)よりも小規模の、さらに身近な寄合いのようなものか?

 だが、その村団が手を引こうとしている。委員会が村団に取って代わろうとしているのだ。
 絶望的だが、最後の手段に訴えてもいい。集会を開き、そこへ子どもたちを連れていって、こう訴えるのだ――『この子たちを引き取ってくれ、自分は物乞いに出るから』と。そこで村団が味方につく。しかし彼らにとっても、それは残された最後の力でしかない。そのうちの一人でも委員会に出向いて議長に耳打ちすれば、議長はヂクタートルに電話し、忽ちわが家の玄関の間(セーニ)に兵士がやって来て――〈24時間以内にここを出よ、ただし家財は荷車1台だけ〉という命令書を突きつけるはず。
 ピラト。農民社会はいつだって身ぎれい(チースタ)だ〔狡いの意〕、村団の逃げ口上は――
 「責任はすべて委員会にある」

ポンティウス・ピラトゥスはローマの政治家。紀元26年から36年までユダヤの代官。イエスはこの男の在任中に処刑された。

 子供部屋で。そんな村団とは、要するにわがロシア社会そのものではないか、現在のロシアそのものではないか。子どもたちに向かって――『おお、可愛いきみたちは完全に自由だ。火遊びでも水遊びでも、何でも好きなことをやっていいんだよ。きみたちはわれわれの上司であり管理人なんだ。きみたちはわれわれの両親であり恩人なんだからね』。そんなことを言ってたら、未来はまるで子供部屋になってしまうではないか。

 そんな暮らしができないことは誰でも知っている。至るところで訊かれたのは――それで、これはどう決着がつくのかね?
 「知らないよ!」
 「そんなことないでしょう、知ってるくせに」
 「まあ、知ってるけど、言えない。口にするのが恐ろしい」
 手のひらを前に突き出し、慌てて、相手はわたしを制する――
 「言う必要はない! それを口にしちゃ駄目だ!」
 われわれはびくびくものだ。密告されて誰それが銃殺されたと言うが、しかし遺体がどこに埋められたかを知っている者はいない。「ソヴェーツカヤ・ガゼータ」の小さな欄の最後のほうに、新正書法の8ポイント活字で〈反革命で銃殺された元市民の某〉などと出るだけだ。

6月16日

 わたしは右傾化したと言われたり左傾化したと言われたりするが、自分自身は里程標のごとくずっと同じ場所に立っていて、そこを行き交う者たち、つまりまるで足の下で地面が揺れていると思っている酔っ払いだの正気を失った連中に、いちいち驚いたりはしない。

 戦前(今でも憶えているが)、わたしは強烈な背信者に出会った。町人出身の、要するに〈花崗岩の男〉! その神に抗(あらが)う新しい神格とわたしの人生観は互いに相容れなかったが、男の持つ気迫は烈しくわたしを打った。わたしはその力を敬い畏れた。わたしは訊いた――「どのようにしてそんな力を得たのか」と。彼は答えた――
 「わたしはルーシ中を巡りました。ルーシの人びとの苦しみを目にして、その苦を共に分かち合ったのです。あなたはまだ見ていない!」

神に抗う人(богоборец)、不信者、無神論者の意。

 そのとおり。これまでわれわれはこの地で何が起こっているかがわからなかった。肝腎なものが見えていなかった。それはヤーズヴァ(害をもたらす悪)だった。今ようやく、この探求者のようにすべてをはっきりと見、ロシア人のこのヤーズヴァへの関わりを深く感じている。
 それは、イワノーフだのペトローフだのという名もなき大衆(マス)、ありとある顔のない人間たちの中で起こっていることで、われわれはそれを恐ろしいこととも思わなかった。なぜか? 彼らの橋板がこちらへは架けられていなかったから……
 だが今は、彼らが主人である。そして報復しようとしており、こっちはようやく今、あのとき見えなかったものが、よく見えよくわかってきたのである。
 そんなわけで、われわれの町は、武装抵抗したアグラマーチの人たちが銃殺されているときであすら、無関心だった。彼らがどんな人間だったか、誰も知らずにいた――自分たちと同じ人間だとは思っていただろうけれど……しかし地方自治体の長であったコンスタンチン・ニコラーエヴィチ・ロパーチンが銃殺され、そのあと多くの知人が路上で拘束されて獄にぶち込まれると、さすがに気がついた――そうか、自分たちは地獄の住人なんだ。そんなときふと思い出したのが、あの〈神に抗う人〉のことだった。今ごろになって、ようやく彼の信仰の根が、彼のような人間がいかにしてこの世に現われたかが、少しずつわかってきたのである。人びとの苦しみに心を寄せることで、自分も、なぜ彼があれほどキリストを憎んでいたかがわかった。人びとがキリストと呼んでいる男は誰も救わなかった……
 救済しないキリスト。

 地面が盛り上がっていた
 朝の4時、いつものように男の子を連れて牛乳配達の女が通っていった。女は1時間ほど前(朝焼けの3時ごろ)、人びとが銃殺された現場近くを歩いていて、そこの地面が変に盛り上がり、おまけに地面が動いていた(「あれはまだ生きている人まで埋められたのよ」――あとでそうわれわれに話してくれた。
 「ただそんな気がしただけじゃないのか?」
 だが、そうではなかった。女は自分が目にしたことを自分なりにわれわれに伝えようとしたのだ。少なくとも嘘ではなかった。射撃の下手な赤衛隊は、まだ生きている者まで穴に蹴落とすと、上からあっさり土をかぶせたのだ。
 「そう、あっさりとね、あっさりと」そう女が言った。「血があっちにもこっちのも。地面がね、こう盛り上がって」
 町の角で知り合いにばったり。彼はわたしに目配せをし、小声で――
 「もっと気をつけなきゃ!」
 われわれは店のショーウィンドーの方へ寄る。わたしは彼に言った――おそらく撃ったのはヂクタートルじゃない、相手が〈ブルジョアジー〉だから、抑制も何も……要するに、あいつら〔兵士たち〕、やってしまったんだ。
 「しっ、もっと低い声で!」と、わたしを制する。
 そして身を屈めて、耳元で囁いた。
 「自分でやったのさ!」
 「自分でって、誰のこと?」
 「兵士たちは撃つのを拒んだ、だからヂクタートルどもは自分で撃ったんだよ」

 子どものスパイ。まわりは間諜(イヌ)だらけ(マニア)。

 ライラックの枝。センナーヤ広場の先のどっか(監獄と修道院の間)に、銃殺された人たちの墓がある。それが新しい墓なのか、ただ掘り返して地均しされただけなのか、あるいは自然にできた穴なのか、誰に訊いてもわからない。反革命の人たちの墓がどんな形をしているのか、そんなことすら知らないのだ。商人の息子が市の公園で若いどっかのお嬢さんにライラックの小枝を買い、二人して墓のある方へ散歩に出かけた。彼らがそこで何を目にしたかは不明だ。ただ花を手にした彼らがそっちへ歩いていくと、兵士たちは考えた――花? いったい何の用だ? 墓参りか? 二人はその場で逮捕となった。母親が委員部(コミサリアート)へ走った(事情を訊こうと)。母親はそこでこう言われた――『あれは銃殺だな!』
 いろんな人が奔走したおかげで、息子はなんとか釈放されたが、母親の口にした言葉にみなが戸惑った。こんな妙な質問をしたので。
 「どうか言って、みなさん、お願いだから。もうあたし、死んじゃったのに、どうして魂の平安を願う歌をうたってくれないんです?」

教会葬での死者のためのミサで歌を伴うもの(отпевание)。

 老公証人の剣(シパーガ)。二人の水兵が言い合っていた。シパーガは武器かそうでないか? それが武器であるとの結論に達して押収すると、本格的な家宅捜索に入った。周囲はパニックに陥った。

細く真っ直ぐな剣。また(フェンシングの)エペ。儀礼用のもある。

 水兵が自分のポケットを開け、拳銃の握りを見せて、言った――
 「おい、これがわかるか?」

 十字架は救わない! 公証人の家の戸を叩くと、水兵が相棒に――
 「びくびくすんな。おれはスプーンをはずさんぞ!」

スープを零さずスプーンをちゃんと口に運ぶ。〈しくじらない〉の意。

 捜索。酒瓶が見つかる。ラム酒かコニャックか? そこでまた言い合い。
 「おめえはラムなんて知らねえだろ?」
 相棒は怒りだす。
 「おれがラムを知らねえだと!? ちぇ、馬鹿にしやがって!」
 肩章を見つけると、水兵が公証人を問いただした。
 「逮捕する! 同志、これは肩章だ」
 「そんなの、わしは身に付けないよ」 
 「おたくは、でも何かのために取って置いたんだろ?」
 「記念のためだよ」
 「あんたを逮捕する……じゃ、これは何だ?」
 小さなスプーン……亡くなった母親と修道院への旅の記念の品だと主張する。水兵がにたっと笑う。
 「十字架がついてる……同志よ、言っちゃ悪いが、こいつはあんたを救っちゃくれんよ!」
 小さなイコンが出てきた。水兵がまたにたっと笑う。
 「わが母に祝福を!」
 「その祝福も救っちゃくれねえよ……よおし、この肩章は切り取ってやる!」
 と、そこへ鋏を手に二人の叔母さんが押し入ってきた。
 「切りなさいよ! よくもまあそんなことできるわね!? どうしても切るなら、あたしが切ってやるわ!」
 そう言い放つと、叔母さんたちは、手にした鋏で将校服の肩章をジョキジョキと。

 〔地方では〕多くの人に訊かれた――これまでじかにレーニンを見たことがあるか、どんな顔をしてるんだい、どんな人間か、と。でも、そんなことはどうでもいいことだ、自分にとって必要なのは、レーニンの中の、揺るぎない信念を持つ、誠実で、強い男であり、それ以外には彼の姿(カルチーナ)は思い浮かばない――そんな感想を述べると、そんなことは誰でも知っているという顔をするし、実際またそうなのである。ツァーリのときはツァーリは良くも悪くもなく、ツァーリはツァーリであり、その取巻きどもが泥棒だったのだ。
 レーニンについてのわたしの意見を知ると、またあれこれ言ってくる――ところで、あんたは、こういったわしらのことを全部レーニンに話して聞かせられるかね? レーニンはこうした状態にはたして理解や反応を示すだろうか、どうだね?
 どうして人間らしく理解せずにいられるだろう? 気が触れてしまった母親……愛らしいライラックが手向けられるかと思えば、ほら、このひどい罵りよう、この辱めだ……
 わたしは今、馬に乗っている。〔どうやら〕心中、自分はレーニンのところへ何かを運んでいるらしいのだが、ステップの道の半ばで、人類の未来について〔問い返す〕という人びとに託された〔レーニンとの対話の〕難しさを、徐々に考え始めた。そしてモスクワに着いたころには……自分はレーニンに向かって何が言えるのかと――せいぜいエヴゲーニイの狂気のこと?

詩人プーシキンの『青銅の騎士』から。絶対権力者のピョートル大帝とネヴァの氾濫で恋する人を失って発狂する貧しい青年エヴゲーニイ。

 神はどこへ消えたか!
 モスクワへ向かう道で〔やはり夢での出来事〕、個々人への憐憫の情(ジャーロスチ)が失われて、全人類(オプシェチェラヴェーク)が顔をもたげてくる〔勝ち誇ったその得意げな顔!〕。

 神はわたしをこの最大の恐怖に満ちた(夢でしか見たことのない)地獄から連れ出した。

 神よ、追い払ってくれ、恐ろしいこの夢を。

 出発前に〔モスクワへ向けて発つ前――むろん本当に発ったわけではない〕、夢を見た。微動だにず横になっているが、何か恐ろしいことが起こっていて、それが自分からは見えない方角から近づいてくるようだった。犬がいた。それはわたしの守護者。そのわたしの守護者である犬は、近づいてくるものに気がついて吠えたが、怖くて吠えたのではなく、しかしじりじりと後ずさりしてくる。わたしは声をかける――『ポーンチク、ポーンチク、下がるな、向かっていけ!』。だが、犬はさらに後ずさって、とうとうわたしの足下に体を横たえる――そのまま寝込んでしまうような恰好だが、でも頭は前方を、後ろ足はいつでも飛びかかれるよう折り曲げている。『出ろ、前へ出るんだ!』と声をかけるが、聞こえないらしい。見ると、片方の脚が震えている。それがだんだん激しくなる。

 革命の夢。ぴくりともせず墓に横たわっているとよく起きることのだが、次から次と夢が恐ろしく長く、疾風(ウラガン)のごときスピードで転回した……
 こんな恐ろしい時代が到来したのは、それはわが民族が地上のどの民族よりも長くいつまでも、死人のようにじっと身動きひとつしないできたからではないか。
 それでやって来たのがレヴォリューツイヤ――革命だ! なんという言葉か! だが、革命、革命、革命と叫んだものが、結局こんなものかという感じ。われわれは以前もそうだったが、今もやはり眠ったままで、そら恐ろしいものを目の当たりにしている。
 自分はこれまでずっと、〔人間という存在が憐憫の情によってのみ理解され得るところの〕自然の生の懐(ふところ)に抱かれてきたのだが、今こうして意志(ヴォーリャ)と理性(ラーズム)だけが人間性(チェラヴェーチェストヴォ)を創造する大都市へ戻ろうとしているのである。
 神は――人間の身体とその大地とのつながりがそら恐ろしい〔夢〕の中で責め苛まれる地獄から、神はわたしを連れ出してくれたのである。

6月17日

 〔すべての人間の福祉のために〕起きているものは、生きている人間への残酷この上ない懲罰だが、それに対してわが人間、わが同胞への憐れみの情から、反抗が、暴動が、至るところで起き始めている。  われわれのところでもその兆しが――事件の頻発。

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