成文社 / バックナンバー

プリーシヴィンの日記        太田正一

2012 . 07 . 23 up
(百十九)写真はクリックで拡大されます

4月27日

 亡くなった伯母さんはリベラルな信念の持ち主だった。それで自分も常に彼女のやり方を見習った。伯母さんは、ロシアではリベラルな信念の経営者はそうそう損害を蒙ることなくやっていける、と固く信じていた。

母のマリヤ・イワーノヴナのこと。プリーシヴィンは日記ではよく実母を〈伯母〉と、周囲の人びとも彼女を〈侯爵夫人(マルキーザ)〉とあだ名していた。

 《ああ、おまえ、自由(ヴォーリャ)、あたしの黄金のヴォーリャよ!》――子どものころ、伯母さんはそんな歌を自分の子どもたちに合唱させたものだ。
 隣人のリュボーフィ・アレクサーンドロヴナはそうした子育てを地主たちにとっても百姓たちにとっても良いことではない〔有害だ〕と思っていた。伯母さんはこの地方の偉大な教導者(スターレツ)であるレフ・トルストイ〔隣県トゥーラの出〕とアムヴローシイ師〔オープチナ僧院〕をともに尊敬していたが、リュボーフィ・アレクサーンドロヴナが素直に従っていたのはアムヴローシイ師の教えだけで、トルストイは駄目です、あの人は背教者よと公言して憚らなかった。伯母さんは彼女を「視野の狭い、あんまり利口でない人」と思っていた。自分も憶えているが、リュボーフィ・アレクサーンドロヴナは一度ならずこんな言葉を口にした――『ああいう白髪頭〔トルストイのこと〕が往々にして革命を起こすんです』。とはいえ、ご両人とも経営者としてはなかなかのもので、全フートルの女主人(あるじ)と見なされていた。その点ではじつによく似ており、伯母さんが亡くなるまで、喧嘩ひとつせずずっと仲良くやっていたのである。

〔以下のメモは前後している〕
 やっと今、町に着いたところで、まだ自分のフートルは見ていない。ある小店に立ち寄った。そこで頭の白くなったリュボーフィ・アレクサーンドロヴナを見かけたので挨拶したら、返事もせずにいきなり――
 「見た? 堪能した?」
 わたしはすでに噂で、彼女の領地が焼討ちに遭ったことを聞いていた。
 「いいえ」とわたしは答えた。「見てませんし、堪能もしていません」
 「そりゃ残念ね。あれはあんたのせいよ」
 「どうして僕のせいなのです?」
 「あんたじゃないの、あんたがやったんじゃないの!」と彼女は叫んだ。
 「参りましたね。僕はまわりからは反革命家と思われているんですよ」
 「じゃどうして――」彼女は声を上げる。「どこの地方の屋敷も壊されて消えてしまったの? それで、あんたの家はまだ残っているの?」
 わたしは自宅がどうなったか、まだ知らなかった。
 「本当にまだ壊されてないの?」
 彼女はさよならも言わず小店を出ていった。店の番頭が言った――
 「あんな齢なのに、ずいぶんひどい仕打ちをされましたからね」
 わたしはふと思った――『自分の家はまだ何でもないが、旧権力が戻れば、きっと持ち堪えられずに潰れてしまうだろう。あの婆さんはこっちを破滅に追い込んで、たぶんボリシェヴィキと一緒に自分を同じ木に吊るすにちがいない』。彼女の恨みは底なしで、そのうえ大変な信心家である。ボリシェヴィキはこの世の《真実(プラウダ)》で息を詰まらせ、あの女は《妙なる神》でひとの首を絞める。
 自分の家を見た――建物はそのままだが、家政(経営)はめちゃくちゃ。〔自分の地所を〕見て歩くのはさらに辛かった。あんまり哀れで情けなく、まともにものが考えられない。いや考えられないのではないが、いちいち何か影が差す感じ。考えてはすぐに検証にかかる――個人的に受けた侮辱が自分をこんな考えに駆り立てるのではあるまいか、とか。
 きょうもこんなことを思った――『イプセンのように小市民的(メシチャン)な世間に住みながら、全世界のために偉大な暴動扇動者や革命家になる(当然、最も近しい人たちでさえ隣の住人の恐ろしさに気づかない)ことも、また反対に、隣人たちにとっては偉大な暴動扇動者であり革命家であって、しかも一市井人として人生を終えることも可能。それは現在のロシア人である。世界から見れば、戦場から逃げ出した哀れな臆病者、かつての主人たちから全財産を掻っ攫った〔本物の〕メシチャンだが、自分や自分の隣人たちにとっては恐ろしい革命家なのだ』と。
 どうなのだろう、これは衣装の仮縫い(寸法あわせ)のようなことなのではないのだろうか? 侮辱されたために、つまりわが国土の気候には珍しいくらい青々と茂ったエゾマツが無残なまでに伐り倒されたせいで、ついこんなふうに思い詰めてしまうのではないのだろうか?
 いや、そうではないぞ――自分はまた点検を始める――突つき殺された鳥のイメージがすべてを贖(あがな)っている、青いエゾマツ(つまり自分)を哀れに思うのは、それが自分の財産だからではなく、野獣に殺された《青い鳥》を可哀そうと思ってしまうからなのだ。

ベルギーの詩人で劇作家のモーリス・メーテルリンク(1862-1949)の名作『青い鳥』(1908)。死に打ち克つ愛への信仰の象徴。

 こうした今日的破壊を祝福しようとすれば、すべての関係――土地、花、木、それと農民たちの労働への愛を何とかして断ち切らなくてはならない。

 自分はわがナロードが農耕民族であるとは一度も思ったことがない。これはわが国の農業(技術)を知る者にとっては常識の、いわゆるスラヴ主義者たちの偉大なる誤解のひとつなのだ。世界中でわがロシアのナロードほど非農業的なナロードはないし、動物や道具や土地に対して、われわれみたいに野蛮な扱いをする民族はない。そうなのだ、こんなわずかな自分の土地ではとても真面目に農業を学ぶ時間も場所もなかったのである。農の文化(ツァーリの軍隊もまた然り!)はもっぱら地主たちによって維持され、花は彼らの領地の中だけで咲いていたのだ。すでに将校たちは追放されて軍隊はなく、荘園は破壊されて農業文化も存在しない。ナロードがみなあたかも農民であるかのような顔をして、本来の原始状態に回帰したのである。

 誰か見なかったろうか――伐り倒された若い白樺の木々の、あの烈しく樹液を吸い上げる春の光景を? 倒れた幹からぼたぼたいのちが滴って、あたりはぐしょぐしょで、ぎらぎらと眩しいほどだ。それから次第に赤くなり、最後は真っ赤に染まる――血さながらに。偶々そばを通ると、つい今しがた頭部を落とされたばかりの生首たちの間を歩いていくような気さえしてくる。
 遠くで斧を打ち込む音がする。いったい何者だ? ちょっと見てこよう。はたして男がひとり、大きな、三抱えもある公園の木に腰を下ろしていた。斧で枝を切り払い、横になった死体(幹)に鋸(のこ)を入れている。堪らなかった。わたしは、一年も経たぬうちにこの男の考えが変わるだろうことを知っている。男は木を植えだすか植えることを強いられるはず。男の頭(考え)はただ短いだけだが、この種の木は百年を越えて生長しなくてはならないのだ。そんな奇跡ともまがう樹木に対してそんなにも短小な志操で頭で近づくことが、なぜできるのか? 
 木々は横になったまま、手斧(ちょうな)の下に、枝もなく、子豚たちのようにに白っぽくなっている。わたしはそばに寄って、じっくりと男を観察する。痩せっぽちの、小柄な、色白の、頬に3本の太い皺が走っていて、それが小さな轡(くつわ)をはめているように見える。にっこりしたり、狡そうな目つきをしたり――小柄だが、農民ではない。たぶん町の人間だ。
 わたしは訊いた――
 「これは合法かね?」
 「合法も合法。土地と森は共有だ」
 「ということは、今の権力はナロードのものってことかな?」
 「つまり、本物だってことです」
 「でも、もし権力を握っているのが略奪者だとしたら?」
 「だとしたらじゃありません、今がまさに略奪者ですよ――酔っ払いだし、賄賂は取るし〔悪魔の申し子だよ!〕」
 「では、そんな権力になぜ我慢しているんだね?」〔追記あり―内々満足しているのだ〕
 「わしらを捕まえるなら捕まえてくれて構わんのです。おたくの権力にだってわしらは耐えていくでしょうから」
 神については(〔聖職者を〕5人殺した〔?〕)、教会ではまったく何も起こらないだろう〔?〕
 頬の轡を見ていて、男が嘲っているのがわかる。わたしの権力をこの男は欲しないだろう――彼が気に入っているのは自分に都合のいい権力だ。
 倒れている木は、オープチナ僧院のアムヴローシイ師に祝福された育った木だった。

 今、自分のいる中部ロシアはひでりの春。冬麦の根はまだ本格的な春の慈雨の洗礼を受けていない。われわれの危惧は――不作に終わったらどうしよう?
 去年も恐ろしい年だった。あのときは豊作も不作もすべては革命の結果次第だと思っていた。飢えが革命を押し潰す可能性があったからだ。今は飢餓に陥るチャンスは百倍も多い。ここ3年間、農民は再分割に期待をかけていて、畑にはもう1年以上も肥やしを入れていない。だが、最大の危機はそこにはない。領地全体が(パン工場まで)破壊され、土地も再分割(一人当たり4分の1デシャチーナ)されたから、たとえ豊作であっても各自の穀物割当がどのくらいになるのか、予想がつかないのだ。われわれの地方は1デシャチーナで12コプナ、4分の1デシャチーナなら3コペイカ、1コプナは計量枡(ます)で5杯、つまり焼いたパンで各自1日約2フントである。憶えておかなくてはならないのは、子どもたちが大人に負けないくらいパンを消費すること、パンの皮でも何でも、とにかくその日の分はしっかり確保するということ。それだけではない――家畜の餌だって必要だ。つまり生きるためにはそれだけ必要なのに、現在、ウクライナからもシベリアからも穀物は入手できないのである。シベリアは泥濘期だ。オリョール県の最良の郡を例にとれば、可能なのはせいぜい3つの郡だけ。しかも飢餓に瀕している郡にはどうしたってこちらから提供しなくてはならない。だからもし今年も不作なら、いったいどうなるかということだ。なのに、なぜいつまでも施肥しようとしないのか? 不作の可能性がとても高い――もしそんなことになったら?

 去年は社会革命党(エスエル)の革命の雨のそぼ降る下で土地と自由について言葉ことば言葉の種を蒔きに蒔いて、なんだか耕作者たち〔農民大衆〕がそこから何か現実的なものを創り出すかのような、おぼろげな夢を抱いていた。今このコミュニズムの国では、土地と自由へのいかなる期待も希望もない。土地が分割され、誰もが4分の1デシャチーナを与えられたが、もうどこにも(1ヴェルショークも)余分な土地はない。肝腎なのは――今わが国には畑を耕す人間が全然いないこと、旦那衆(バールストヴォ)の幻想はこれをことごとく投げ捨てて、現在わが民族が世界最大の非農耕民族であることを認めなくてはならないこと、だ。そのことを自分はシベリアへの移住問題に注視していたとき、ある山師〔鉱山技師〕から聞いた。これは間違いない事実である。

1909年にプリーシヴィンがカザフスタンを旅をしたときのオーチェルク「新天地」(8巻選集(1982-86)の第1巻に収録)を。

 わが国の農業文化は経済(エコノミー)に限定されて、分与地が労働者を支えていたにすぎず、何かしら自然の報酬(プラータ)のごときものである。今や文化という文化が駆逐され、農民〔耕作者〕は全面的に三圃式耕地分断の枠に組み込まれてしまった――独立農家(フートル)も小作も。当然、農業理論の技術学習は全廃だ。〔戦時下での〕軍の崩壊後は破壊だけが残された。銃後への兵士たちの逃亡――それは何世紀も繰り返されてきた希望なき淵への農奴(ホロープ)たちの逃亡である。軍隊が崩壊したために敵の侵入のための環境が整い、農地が崩壊したために資本家たちのための環境が整えられた。外国企業家たちは今では、分与地でぼんやりしているわが大衆(マス)を哀れな乞食同然の低賃金で雇い入れている。
 最も恐ろしいのは、この素朴で単純なナロードには自分の置かれている状況への認識がまるでないこと、逆に平均的には、ボリシェヴィキの藁屑1本がわが農民層全部に相当するかのような有様で、つまりその中核は非独立経営農民と一杯食わされた雇い農夫〔作男〕なのだということ……
 以上がまあ現状へのわが知的評定だが、でももし来るべき外国人がわが国のこの状況に気づくか、もしくはわが素朴にして単純なナロードが奇跡を起こして力強い権力を樹立するなら、自分は素直に自分の判断ミスを認めよう。

4月28日

 闇の王の徴(しるし)――社会主義者の背後からちらちら貌を覗かせているロシア人を描き出すこと。  

4月29日

 革命の新しさとは、古いものをぶち壊して往(い)にし世の〈永遠のより良きもの〉を深く理解すること――新しさとはその謂いである。
 悩める魂もてルーシを行け。答えはおのずと得られよう。
 その本然たる所有の感情は拡大と法律的確信を、さらには祝福をすらも求める。理由はどうあろうと、それが自然(ナチュラル)な感情である。革命は、物質的にせよ精神的にせよ所有欲をいささかも持たぬ者も、いや〔土地所有者たる地主〕、民衆の敵、ブルジョイのみならず、規律ある〔組織された〕才能の持ち主にも、教育ある人間にも生起する。
 革命の斬新さとは、思うに、古きものを掃き出し、それによって永遠なる往にし世の障壁を除去することにある。

 親しき友*1よ! 夏は田舎には来ないほうがいいかもしれません。こちらは都会より何倍もひどい状態ですから。しかし苦しみが大きければ大きいほど、苦悩するあなたの心は常に〈素晴らしいロシア〉を発見するにちがいありません。『あいつを吊るせ、十字架に架けろ!』とみなが叫んでも、ロシアがあなたを嚇かすことはない。わたしはあなたのためにそれ〔特別な恩寵〕の可能性を残しています。
 ロシアはいつもこんなでしたね。ロシアがわが身に引き寄せたのは苦しみ悩む魂でした。思うのですが、革命の新しさは、古きものを掃き出しそれによって永遠なる往にし世から障壁を除去することです。あなたは教育ある理想主義者(イデアリスト)。生涯を無私の精神で人びとのために力を尽くした人です。あなたはここでは一掃され、『こいつを磔にしろ!』と烈しく迎えられるにちがいありません。わたしにはわかっています――あなたは〔敢えて〕ご自身の内に磔にされた神を見ず〔むしろ〕強盗としてこう呟くでしょう――『主よ、罪深いこのわたしに寛大であってください!*2と。そして必ずや『われ誠に汝に告ぐ、今日(けふ)なんじは我と偕(とも)にパラダイスに在るべし』*3――そういう声を耳になさるはずです。それを体験できるのはあなただけです。それに従おうとご決心なさるなら、どうか村へいらしてください。

*1手紙の下書き? 相手がおそらく従姉のドゥーニチカ。

*2ルカによる福音書第23章42節では、強盗の言葉は『イエスよ、御国に入り給ふとき、我を憶えたまへ』。

*3ルカによる福音書第23章43節。

 ひでりの春。庭は見るみる衣装をまといだした。ナイチンゲールの歌はまだ聞かれない。
 「ナイチンゲールが歌わない。いったい何が起こっているのか?」
 「そんなことはありません。ナイチンゲールには人間など関係ない――気まずいこと(ストゥイド)なんてありません」

 枝垂(しだ)れる白樺。小さな青い葉と葉をくるくる巻いて、細く美しい耳飾り〔尾状花序〕を金色に染めるとき、春の白樺はえも言われない。
 村の女(バーバ)がそれを伐ろうとしていた。小さな池で釣糸を垂れていた怠け者が女に言っている――
 「おい、何やってんだよ。もっと下のほうから切りゃいいじゃねえか」
 「〔屈むと〕腰が痛いんだよ」と女。
 そう言って、下手くそに木を切り続ける。白樺は、ときどき意味もわからずむちゃくちゃに鞭打たれて血だらけになる雄羊のよう。
 女は白樺を、別の百姓は頚木(くびき)用の柳の木を、そちらは根っこに近い方から切っているが、いずれにせよ若い林はもう林ですらなくなる。
 すべてが伐採の対象になっているのである。
 怠け者が言う――
 「そんで、全部伐っちまったら、どうなるかね?」
 「全部伐ってしまったら、あとは飢えと疫病にみんな絞め殺されるだろうね。なんと言っても、これは神なしの業だからね、天罰が下るだろう」
 わたしが知っているのはその神々しさ、素晴らしさだ。男にしたって、森で鼠を捕り、腰にはいつだって斧をぶら下げているわけだし。しかし口を開けば、話はいつも土地の分割……。
 とにもかくにも、誰もが予感している――何かそら恐ろしい誘惑〔試み〕(飢えか疫病か)が迫っていることを。そして頭の中で受難(ストラースチ)の絵を描いている――とはいえ、全滅のさい、それを描いた本人だけは何かの奇跡によって救われるという絵柄なのである。
 今は誰もがそういうふうに生きている。『なに、おれは、おれだけは(と思っている)なんとかすり抜けてやる』。そうして斧を手に森へ急ぐ。木を叩きながら、自分で自分の棺材を、自分の十字架を作ろうとしていることに気がつかない。
 彼らに言ってやった――
 「若い白樺は残しておくんだね。せめて兄弟の墓に立てる小さい十字架ぐらい取っておけ」
 彼らが答える――
 「そんなことは坊主たちの仕事だよ」
 「どんな坊主のことを言ってるんだ? 自分の十字架は自分で作るもんだろ」
 古い木は腐れ朽ちてしまった――新しい木を用意しなくては。

 夜、犬たちが吠えだした。暗闇に人の影がちらつく。これはまずい!
 みな〔プリーシヴィンの家族〕が慌てふためく。〔エフロシーニヤ・パーヴロヴナが〕言う――
 「きっとジャガイモを掻き集める気ね。ああ、せめて十袋くらい馬小屋に隠しとくのだったわ」
 「いや、小牛を盗みにきたのかも?」
 「小牛も殺しとけばよかった。復活祭(パスハ)に肉か、あっ、ほら……」
 男たちがおずおずと近づいてくる。しかし歩みは止めない。身を隠し隠し、あたりを窺っている――何者か?
 「いったい何ごとだね?」わたしは声を発した。
 「いやなに、耕作(クリトゥーラ)のことで」
 それは近ごろよく使われる機知〔カルチャー(文化=耕作)〕なのである。
 そう言って目配せをする。いやいや、どうもこれはストライキではない、何か秘密の共同事業(オープシェエ・ヂェーロ)であるようだ。
 話し合う。誤解が解ける。それは、自前で何サージェンカの土地を手に入れた百姓たちだった。あす委員会に不動産売買証書を提出しなくてはならない、それで謄本を作る必要があり、あとで面倒が起こらないために云々……まあ彼らとしては、おたくは作家なんだから、法律が変わったときの証書の書き換え方を知っている、だから当然、自分たちに手を貸すべきである、要するにそう言いたいのである〔なんとも要求がましい〕。
 それはレーニンの手下の〈くそ野郎ども〉のことを言っているのだ。それほど彼らのことを憎んでいる――そいつらが革命を滅ぼしにかかっているのだ、と。

хозяйчики(ハジャイチキ)は蔑称。本来の意は小さな事業主。

 もしソヴェート議長のレーニンが知ったら〔そうとうショックを受けるだろう〕。それほどこうした人間は多いのだ! もしレーニンが、この最貧農が手下の〈ハジャイチキ〉たちとはまったく異なる人間であると知ったら――じっさい穀粒と熟した穂ほどの違いがあるのだ――最貧農階級はまだ蒔かれてもいない穀粒、〈ハジャイチキ〉は完熟穀物だ。〔レーニンなどは〕その程度のこともわかっていない。

text - 太田正一  //scripts - Lightbox PageDesign - kzhk


成文社 / バックナンバー