リレーエッセイ

第48回 - 2003.05.11

ツァールスコエ・セローの傘

太田正一

一九八六年八月十三日(水)――

 夕方、わたしはツァールスコエ・セローの林の中にいた。ベンチにくつろぐプーシキンのあの有名な記念像の前にぼおっと立っていた。早朝から快晴だったが、だんだん雲行きが怪しくなってきていた。記念像にカメラを向けたところで、いきなり木漏れ日が消え、あたりが暗くなった。一天にわかにかき曇り、というやつである。大粒の雨がぷつぷつ砂地に突き刺さりだす。と、それまで散策を愉しんでいたロシア人たち――大きな尻をした親父も、長い手足を持て余し気味の子どもたちも、まるで蜘蛛の子を散らすように駆けだしていた。稲光。続いて雷鳴が轟きわたる。わたしはただもう呆気にとられていた。のろ臭いと思っていた彼らのダッシュが驚くほど速い。つられて走りだしたが、もう遅かった。バケツをひっくり返したような土砂降りだ。弾ける飛沫で地面が白くなった。

 わたしは、そこらの建物の狭い軒下にも、庭園の大樹の下にももぐり込めなかった。濡れまいと必死の人たちでどこも満杯だったからである。本当に一人分の隙間もなかった。傘はずっと遠くの観光バスの中だった。仕方なくずぶ濡れのままバスに戻り、シャツを絞りながら、また、案内人のレーナと日本語で、なぜだかマンデリシタームとアフマートワとパステルナークの話になった。彼女は非常に知的なレニングラードっ子で、技術院のようなところで日本語の翻訳をしている。とても貧しい生活です、でもいつか日本に行きたい、と何度もそう言う。それと一人息子のコーリャのことも。ちょっと厚めのレンズの眼鏡。「パステルナークのどこがいいのか、わからない!」と、にこりともしないでレーナが言ったのは、こちら(プーシキン市)へ向かうバスの中で、ずっと喋っていた彼女の話の続きなのである。「僕も同感だ」と答えたが、むろん、こちらがわからないのは語学上の問題にすぎないので、厳密に言えば、彼女と同意見というわけにはいかない。


  ツァールスコエ・セローの庭園の、
     あの思い出の切株のそばには……

 アンナ・アフマートワのこの詩句ぐらいは知っていたが、わたしには《切株》など、じつはどうでもよかったのである。わたしが探していたのは、一九一七年の臨時革命政権下にこの地に幽閉されたかつてのロシア皇帝(ニコライ二世)一家の、今に遺る数ある写真の中の、たとえば四人の皇女たちや皇太子アレクセイが写っているその背後の景色から、それがこの広大な皇帝村のどの場所に当たるのか、ひとつでも多く確かめたかった――ただそれだけだった。わたしはそれまでずっと、友人である亡命ロシア人の孫の影響もあって、皇帝一家の運命を扱った本と写真を蒐めていた。たとえば、白軍側のソコローフ検事の『エカチェリンブルクの事件調書』(なぜかブエノスアイレスで出たロシア語版)、写真満載の聖三位一体修道院(ニューヨーク州ジョーダンズヴィル)の印刷になる『幽閉下の皇帝一家の手紙』など。ウラルに移送されるまで、彼らの表情にはまだ余裕と笑いがあった。麻疹(はしか)に罹った四人の娘たちの、全員丸坊主の愉快な写真もある。エカチェリーナ宮殿のバルコニーで、さも愉快そうに笑っているおきゃんな末娘(アナスタシーヤ)……。

 広大なツァールスコエ・セローの庭園の航空写真と方角とを頭に叩き込んでやってきたつもりだったが、外国やソ連全土からやってきた観光客のあいだをうろうろしているうちに、どこがどこだかわからなくなり、大きな池や美しいリーパの散歩道、崩れたままの礼拝堂にぶつかるたびに、ああここがオリガ(長女)とタチヤーナ(次女)が笑って写っている場所に違いない、そういえば、マリヤ(三女)があのとき立っていたのは……

 いちいちそれとおぼしき場所でシャッターを切ったのだったが、日本に帰ってから照合してみると、ほとんど似ても似つかない背景ばかりだった。

 結局、広すぎて何がなんだかさっぱりわからなかったのである。たっぷり持ち帰ったのは、先帝アレクサンドル三世のかつての執務室から外を眺めたときのような、じつにセンチメンタルな気分(『ああ、彼ら一家もここから同じ景色を見たことがあったんだ!』)ばかりだった。


 ところで、わたしはその日、レニングラードのホテルに戻って何時間も経ってから、ようやく、またあの傘を観光バスの座席のどこかに置き忘れたことに気がついた。そういえば、あの黒い折り畳み式の傘は、ロシアの旅のあいだ中、一度もひらかなかったなあ、と。あの傘は、今でも自分が教えに行っている大学の、非常勤講師室の傘立てに永いこと置きっ放しになっていたものだ。ある日、帰りがけに雨になったので、無断借用した。そしてロシア旅行の出発の朝がきて、傍らに立て掛けてあったそれを、霧雨の中でぱっとひらくとそのまま、はるばる地球の反対側まで持参してしまったのである。雨に濡れまいと誰もが――事の重大さをまったく失念していたわたしだけを除いて――先を争って軒下に駆け込んだあのチェルノブイリの盛夏に、ついに無国籍となってしまったあの黒い傘……。わたしのすぐあとであれをひらいた人はいったい誰だったのだろう? あれからもうじき十七年。今あれは、どこのどんな傘立てに立て掛けられているのだろうか、ときどきそんなことを思ってみたりする。

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ツァールスコエ・セローの庭へ リーパの散歩道

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ツァールスコエ・セローの大きな池 ツァールスコエ・セローの庭園

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アレクサンドル三世の執務室 エカチェリーナ宮殿からの眺め

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プーシキン像


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