リレーエッセイ

第42回 - 2001.09.01

セーヴルの詩人――パリ在住のチェコ詩人――

阿部賢一

 夕方五時過ぎ、パリ郊外の地下鉄「ポン・デ・セーヴル」駅構内でクサヴィエルと出会った後、雨風が降りつけるなか、私たちはパリ近郊に住む詩人の住まいへと歩み出した。十年前に閉鎖されたルノーの工場を左手に、クサヴィエルは詩人について話をはじめる。詩人とは一九八六年以来の知合いで、フランス語の訳者でもある彼は、自分の父親を語るかのように時折笑みを浮かべながら、私に言葉を投げかける。アルツハイマー病に犯された夫人の病状は思わしくなく、ペッシミスト詩人の思考をいっそう暗いものにしているという。悲しいことに、こういう時、言葉をかける術を私は知らない。当たり障りのない、パリでの生活について話しているうちに、コレージュ・アルメニアンの建物を横切る。もう詩人のアパートはすぐ隣だ。チェコのパネル式マンションを彷彿とさせる構成主義的建築物に彼は住んでいる。近くの森には狐が住んでいるというが、雨の夕暮れ時にはなぜかその言葉が真実味を帯びる。階段をゆっくりと上がっていくと、三階で私たちは立ち止まり、ベルを鳴らした。

 開口一番、「アホイ(やあ)!」とにこやかな笑みを満面にたたえた詩人は、クサヴィエルと抱擁を交わす。そして私と握手。テレビのインタヴュー番組で見た印象よりもずっと小柄な詩人。けれども、その笑顔に私は一瞬にして魅了されてしまった。それまでクサヴィエルと交わしていたフランス語は一瞬にして、彼の地の言葉、チェコ語へとコード・スウィッチングをした。キッチンでクサヴィエル自身が焼いたというシュトゥルードゥル[アップルパイ]と、私が持参した赤ワインを詩人に渡した後、詩人の書斎兼寝室で対話が始まった。天井にまで積み上げられた書籍、書簡、画集。一九二三年生まれの詩人がコンピューターを使っているとは想像に及ばなかった。まずは私が詩人・コラージュ作家で、パリに在住していたイジー・コラーシュについて書こうとしていると告げると、コラーシュとは長年の友人である詩人の口から、「彼についての資料は未発表のものも、すべてこのコンピューターに入っているよ」と驚きを隠せない私にウインクをする。後日、あらためて訪れることで話がついた後、イジー・コラーシュのプロレタリアート出身の生い立ち、劇作家・現チェコ共和国大統領ヴァーツラフ・ハヴェルとの知られざる確執などが次々と語られた。コラーシュは翻訳もしていたが外国語をマスターしたことはなく、詩的な感性を頼りに翻訳していたという。

 話題が翻訳に及ぶと、クサヴィエルが十九世紀の詩人エルベンの翻訳をしており、ある花の訳語に苦労していると言うと、詩人は「あらゆる翻訳はひとつの解釈だよ」と友人をたしなめる。詩人はフランスの民俗学者ファン・ゲネップの著作をクサヴィエルに薦め、さらにエルベンの詩の解釈を続ける。詩集『花束』に収録されている詩はすべて異なる韻律、文体、テーマの構造になっていると、一つ一つ例をあげ、綿密に構造主義的な分析をする。構造主義との関連では戦前にプラハ言語学サークルの美学者ヤン・ムカジョフスキーに言及しながらも、詩人の生涯と作品を結局のところ分けて捉えることはできないと語る。亡命詩人である彼は、第一級の翻訳家であると同時に、第一級の詩の解釈者であることは間違いない。「書かれた言葉というのは私たちが生きている宇宙の一つで、多くの人は意識さえしないが、初めの一行を読んだ瞬間から私たちはその宇宙に沈みこむのです」。あるインタビューでこう語っていたが、詩を語るときの彼の眼差しは真剣かつ、深遠な光を放っているかのようだ。

 著作についての質問をすると、昔の恥ずかしい想い出のように少し照れながら、口を開いてくれた。エッセイ集『パリの記録帳 I』については、欧州自由放送のラジオ番組のために書かれたという。聴衆者の関心をつねにひくために同じことを繰り返し書かなければならなかったためエクリチュール作品としては散漫なものになっているという。さらにチェコの日本研究者ミロスラフ・ノヴァークと翻訳した芭蕉、次いで紫式部の『源氏物語』に話が及び「紫式部はプルーストだ。クンデラは小説はヨーロッパのものだと言っているが、日本にはすでにプルーストが存在していたではないか」と強い口調で語る彼の博識はとどまることを知らない。「チェコは非常にインテリな国だ、なぜならボイラーマンや管理人でさえ博士号を持っているから」とかつての状況を皮肉ったアネクドートがあるが、戦後、ボードレールなどの退廃的なフランス文学を鼓吹したとして、詩人は在籍していた大学から除籍され、大学に復学できたのはおよそ二十年後の「プラハの春」の頃である。その間、翻訳した書籍は、日本語、中国語を含む九つの言語から百冊を越えている。詩人としてテクストを丁寧に読み解く姿勢が、彼の世界の豊穣さにつながっているのであろう。

 気がつくと、二時間が過ぎていた。シュトゥルードゥルを食す時間はなかったが、セーヴルの詩人との対話は余韻を残し、次なる再開を待ち望むばかりだ。そう、詩人の名はヤン・ヴラジスラフ。ふとした折りに、パリの街角でプラハの息吹を感じることがある。もしかしたら、セーヌ川のふもとで、チェコの芸術家が時折放つヴルタヴァ川の匂いなのかもしれない。詩人との出逢いの後、なぜか、そう思った。


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