リレーエッセイ

第32回 - 2000.07.08

ロシア大統領の発言をめぐって

又来るベア――在札幌

 三ヶ月ほど前の朝日新聞に、ロシア大統領に就任する直前のプーチン氏の次のような発言が紹介されていた。

「ロシアは西欧文化の一部だ。ここに我々の価値がある。極東、南部など、ロシアのどこにいようと我々は欧州人なのだ」。

 このようなことを、大統領がいつ、どのような状況下で語ったのか、よくわからないのだが、言われていること自体はさほど驚くべきことではない。多くのロシア人がこう考えていることは疑いないからだ(少々限定をつけておいた方がよいかもしれない。つまり多くの「知識人」あるいは「政治・文化的指導者たち」ということになるかもしれない)。驚くべきなのは、このようなことを口に出して公言するということだ。というのも、ロシア人が自らを「ヨーロッパ人」と意識しているであろうことは、おそらく確かであるが(そんなことはない、とお考えの方もおられるかもしれないので、論証が必要であろうが、ここではたとえば、19世紀のスラヴ派――激しいヨーロッパ批判をしたかれら――ですら自らが「アジア人」とか「東洋人」とかは考えていなかった、かれらですらヨーロッパ的範疇でものを考えていた、ということを指摘しておきたい)、国の指導的立場にあるものがそれを公然と口に出して言うということは、明らかに多民族国家であるロシアにおいては、不必要な亀裂を国民の間に引き起こすことにならないかと思うからである。政治的、経済的にロシアが西を向くということには、おそらくロシア人の誰も反対しまい。いわゆる西側が政治・経済の中心であることは事実であるからだ。しかしそれと、上のように公言することとは別だと思う。

 それにしてもなぜ大統領はかつてこんなことを公言する必要があったのであろう。いろいろ想像することはできる。合衆国や西欧諸国との経済的結びつきを特に欲したのだとか、将来の欧州連合への加盟の布石をうったのだとかだが、それにしても別に自分が欧州人だと主張する必要はない。民族・宗教ともに非ヨーロッパ的であることが明らかなトルコですら(?)今や欧州連合の一員と認められようとしているのである。

 ひょっとすると大統領は、ロシアが実際には「ヨーロッパ」ではないと気づいているのではないだろうか。だからこそあのような形でそのヨーロッパ性を強調したのではないだろうか。

 ひるがえって考えてみると、近代ロシアの知識人は、不思議なほど自己のアイデンティティをヨーロッパにおいていたように思う。スラヴ派もロシアの独自性を強調したが、やはり自らがヨーロッパの一員であることは疑わなかったように思う。ロシアがその歴史始まって以来、ステップ諸民族と密接な関係をもち、戦うことも多かったが、同盟を組み、通婚し、交易を行うことも多かった(もっとも文字を書くことを覚えてからの、すなわちキリスト教化したロシア人、正確にはルーシ人ないし東スラヴ人は、そのことについては触れないようにしていたのだが――アメリカの研究者ハルペーリンのいわゆる「沈黙のイデオロギー」である)ことは忘れてしまったかのようである。ロシアの領土の過半がいわゆるアジアにあることについてはいうまでもない。が、シベリアはアジアかもしれないが、そこに住む土着の諸民族は数も多くはなく、文明度も低い。それはロシアの移住者たちによって開化され、結局は欧化されたのだ。だからロシアはヨーロッパだ、とロシア人は思ったし、ひょっとすると日本人(のロシア研究者の多く)も思っている。

 しかしこれはたかだかピョートル一世期以降の現象である。ピョートル以降ロシアは確かに西欧へ傾いた。だがロシアの歴史は少なくともそれより八〇〇年は遡る。それを無視して歴史は成り立つのであろうか。その国を理解することができるのであろうか。多くの歴史のテクストがピョートルから始められる。チャアダーエフがロシアには歴史がないといったのを真に受けて。不思議なことである。

 ロシアがルーシとよばれた時代、そこにはヨーロッパに対するコンプレックスはなかった。東方諸民族に対する蔑視もなかった。ルーシは二〇〇年以上のあいだ「モンゴル人」のキプチャク・カン国(ジョチ・ウルス)の支配をうけた。この支配がどのような性格のものであったか、いろいろ解釈はあるが、いまは触れない。私は反対しているのだが、この支配の後、ロシア(モスクワ国家)はモンゴルの継承国家となったと主張する人々もいる。一七世紀ロシアの貴族層の17%強がタタールその他の東方諸民族の出身とする計算もある(ちなみにルーシ系は23%弱)。

 これらの事実に目をむけた知識人は驚くほどに少なかった。帝制期にすでに盛んであったロシアの東洋研究の代表者らを除けば、おそらく初めてこのことのもつ重要性に目を向けたのは、革命ロシアを後にしたいわゆるユーラシア派のグループである。しかしかれらの主張はソヴィエトではいうまでもなく否定された。もちろんユーラシア派の考えには大ロシア民族主義的なところがある。しかしそれよりもかれらがヨーロッパとの絶縁を説いたことが反発をかった可能性がある。ソヴィエトの歴史研究者たちは(おそらく政治指導者たちも)ロシアの歴史をヨーロッパのそれと同質のものと考えたのである。その後グミリョフが、そのいささか理解を絶する理論に基づきつつも、あらたなユーラシア主義を標榜して、人気を博した。

 大統領は、ロシアはヨーロッパという「公認の」路線へのこのような反論が、実は相当の根拠をもつことに思い至ったのではないだろうか。それでは困ると考えてあのような発言をなしたのではなかろうか。

 もちろんこれはまったくの憶測である。発言の状況を確かめもせずにあれこれ憶測することは無意味である。だからこの文章は大統領の発言をきっかけに、ただ妄想をたくましくしただけのものである。


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