リレーエッセイ

第13回 - 1998.03.01
スロヴァキア史についての2冊の教科書

長與進

 最近ドゥシャン・ハナーク(1の新作ドキュメンタリー映画「ペーパーヘッズ」(2を見る機会があった。ハナークといえば、山間の僻村に生きる老人たちの、孤独だが剛直な姿を写しとった佳作「百年の夢」(3ですでにわが国でもおなじみの、現代スロヴァキアを代表する監督のひとりだ。

 映画の内容はハードだ。1945年の第二次大戦終了から現代までの、半世紀にわたるこの国の歴史を、記録フィルムと体験者や関係者たちの語り、それにイメージ画像もまじえて再現している。終戦直後のプラハの街頭での、ドイツ系住民(それともチェコ人の対独協力者なのだろうか?)にたいする集団リンチの実写シーン、1950年代初頭の不自然に明るくて屈託のないメーデー行進、それとは対照的に陰惨な雰囲気がただよう政治裁判の公判風景、映像はどれもじゅうぶんに衝撃的だ。1968年8月のソ連軍侵攻事件は、「反革命の挑発」と叫び立てる当時のソ連側のニュースフィルムを使っているところなど、ヒネリも効かせている。

 とくにぼくの印象に強く残ったのは、1988年3月25日にブラチスラヴァのフヴィエズドスラウ広場で行われた無言の抗議集会への、警察の野蛮な介入と鎮圧の場面だ。この集会はカトリック系の反体制グループ「秘密教会」が組織したもので、1980年代のスロヴァキアではじめての(そして最後の)社会主義体制にたいする公然とした「異議申し立て」の機会だった(4

 暮れかかる夕闇の雨のなかで、傘をさしてたたずむ市民たちの群れのなかに、パトカーがライトを点滅させながら突っ込んだり、放水車が水を浴びせかけたりといったシーンがかなり長いあいだ続く。集会に共鳴する側のビデオカメラによる隠し撮りなのだろうか、それとも公安警察が「証拠資料」として撮影したものだろうか。バックに流れるパトカー相互の通信も、現場の異様な緊迫感を伝えている。

 でも映画を見おわって、ある種の違和感がぼくのなかに残ったことも事実だ。なにかがこの映画の伝えるメッセージを、すなおに受け入れることを妨げている。気になったのは、社会主義体制下のスロヴァキアを、ひたすら暗くて「まったくいいところのない」時代として描き出している点だ。社会主義のプロパガンダ・フィルムは徹底的に戯画化され、パロディの対象になっている。そこには、1989年の社会主義体制崩壊後にステレオタイプ化した歴史イメージに寄りかかり、それを再生産している気配が感じられる。

 個人的な体験を思い返してみても(ぼくは1979年から1981年までブラチスラヴァに留学していたが)、ハナークの映画からイメージすると「飼い殺しの正常化体制」の最盛期だったあの頃だって、スロヴァキア人たちが年中重苦しく打ちひしがれて、しかめ面で暮らしていたわけじゃない。ようするに晴れた日もあれば雨の日もある、つきなみな日常生活が繰り返されていたにすぎなかったはずだ。もちろん街頭での反体制デモなんて想像もできなかった(だからこそ1988年の抗議集会が衝撃的だったのだ)。それが後年、当時を知らない若い世代の人びとから、「みじめな飼い殺しの時代」としてしかイメージされないとしたら、やはりなにかが違うと言いたくなってしまう。

 問題は、「歴史」がどんなかたちで人びとに「記憶」されていくのか、ということなんだろう。自分が直接に目撃したわけでもない出来事や、体験したわけでもない時代が、どんな仕組みを通して、一定のイメージを持って意識に組み込まれていくのか。この点で歴史の教科書がはたす役割は、なんといっても大きいと言わなくてはならない。

Dejiny Slovenska a Slovakov  最近スロヴァキアで注目すべき教科書があいついで2冊出版された。まず亡命系歴史家ミラン・S・ジュリツァの「スロヴァキアとスロヴァキア人の歴史」(5(写真右)。この本は1995年に東スロヴァキアのコシツェで出版されたが「3カ月たらずで売り切れてしまい」、翌1996年にブラチスラヴァで第2版が出た。昨年スロヴァキアへ行って、街頭の屋台の本屋をのぞいた人なら、けばけばしい装丁の通俗出版物にまじって、地味な表紙のこの本が置いてあったことを思い出すかもしれない。内容は、紀元後1-5世紀の端緒から1995年までのスロヴァキアの歴史を、年表形式でまとめたものだ。

 この本の特徴はなんといっても、ナショナリズムの旗幟が鮮明なことだ。まえがきの一節に「とくに注意を払ったのは、スロヴァキア民族のひじょうに古い民族的起源、すくなくとも紀元6世紀以後から現在にいたるまでのスロヴァキア領土におけるスロヴァキア民族の居住の連続性、とくにスロヴァキア民族の国家意識の深い歴史的根源を証明し裏付ける諸事実である」とあるが、わかりやすく言い換えれば、スロヴァキア人こそが土地の先住者で(ようするにハンガリー人が来るより前から住んでいたと言いたいのだ)、早くから国家を形成すべく努力していた(「歴史なき民」の国家コンプレックス!)とでもなるのだろう。

 そのためにマルクス主義史学によって「ナチスが擁立したカイライ国家」として継子扱いされていた1939年から1945年までのスロヴァキア共和国に、今世紀にスロヴァキア人がはじめて獲得した国家としてスポットライトがあてられ、全体の4分の1の分量にあたる70ページが費やされているのにたいして、1969年の正常化体制成立から1995年までの4半世紀の記述は、わずか15ページにまとめられている。

 ジュリツァの本によると、1988年3月25日の記述はこうだ。――「スロヴァキアのカトリック運動が、信仰の自由と人権尊重をもとめる請願を支援するために、公共のロウソク集会を組織した。集会はブラチスラヴァのフヴィエズドスラウ広場で午後6時から行われた。およそ1万人から1万5000人の市民の静かで平穏な集会だったにもかかわらず、コムニストの警察は(集まった)信者たちに対して乱暴に介入して、警棒や警察犬や放水車、さらには催涙ガスまで使って追い散らし、多くの人びとが「反社会主義分子」として逮捕された。(体制側は)聖職者たちを、「信者を政治的目的のために悪用した」と非難した」。

Dejepis 4, Slovenskov novom storoci  いっぽう大判でカラフルな表紙のほうは、3人のアカデミーの歴史家(ドゥシャン・コヴァーチ、イヴァン・カメニェツ、ヴィリアム・クラトフヴィール)が共同執筆した「今世紀のスロヴァキア」(6(写真右)という現代史の教科書だ。「基礎学校第8学年と8年制ギムナジウム第4学年用」と銘打ってあるので、わが国でいうと中学校2、3年生を対象としていることになる。見開き2ページがひとつの学習項目になっていて、左側のページに当該項目についての簡潔な記述、右のページにはそれに関連した史料が掲載されている。写真やカラー刷りの地図とポスターが多数取り入れられて、視覚的にも取っつきやすいような工夫がこらされている。いわば「コラージュ風」の教科書というべきか。

 この本の注目すべき点は、アプリオリに白黒を決めてしまうのではなく、物事を客観的に評価しようとする姿勢が示されていることだ。社会主義体制下の時代についても、対外的な面でのソ連への従属、対内的には政治裁判に象徴される反対勢力の粛清や一党独裁制度などが、批判的に記述されるいっぽうで(ここまではハナークの映画と同じトーンなのだが)、「(1960年代までに)スロヴァキア全土は電化された。スロヴァキアの産業化は、以前の時代に較べると住民の大多数の生活水準と文化水準の向上をもたらした」として、「共産主義独裁の二面性」を指摘している。バランスがとれた記述というべきだろう。

 私見によれば、スロヴァキア社会が近代化をとげたのは、善くも悪しくも社会主義体制のもとでのことだ。この点を見落とすと、現代スロヴァキアが直面するさまざまな問題を複合的に理解することが難しくなると思う。ハナークの「暗黒の50年」史観にも、「スロヴァック・イズ・ビューティフル」のナショナリズム史観にも欠けているのは、この常識的な是々非々主義ではないかとぼくは思っている。

 さてこのエッセイで扱ったテーマの情報源は、映画と本という「古典的なメディア」だったわけだが、今話題のインターネットを使ってみると、どの程度の情報を集めることができるだろうか。まずスロヴァキアの検索サイト(いくつかあるがぼくは zoznam〔リストという意味〕をよく使っている)で、2冊の教科書の筆者名(duricaとkovac)をキーワードにして検索してみたが、まったくヒットしなかった。ところが ALTAVISTA で同じことを試みたら、たちまちいくつかの関連したホームページに行き着くことができた。いずれもジュリツァの本を、「ファシズムの宣伝」と非難するスロヴァキアのリベラル派のホームページだった。

 ちなみにぼくは昨年春にプロバイダーに加入し、一時期はかなりネットサーフィンに熱中したが、現在はちょっと熱が冷めた感じの独学ユーザーなので、検索の仕方に問題があるのかもしれない。先達のご教示を乞う。


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