リレーエッセイ

第9回 - 1997.10.01
森と野のマンダラ

太田正一

     

 オプーシカというのは森の口のこと。秘数学やら天文学の知識やらを駆使してダンテが描いたモデル、つまりヨーロッパ式の《魂》の宇宙モデルというのとはまるで違って、わがロシアには、ただハンノキや白樺の森があるばかりだ。オーク、ヤマナラシ、リーパと続き、さらにずっと北にはエゾマツの鬱蒼とした原生林……そんなものがところどころに暗い口をあけていて、わたしにはなぜかオプーシカが、この世とあの世の境界か何かのように思えて仕方がない。ぐるりと視界360度。丁寧に、律義に、バリカンで刈り込んだような森、それがそのまま地平線になる。ここでは森はいわばひとつの曼陀羅、おそらく魂の永劫回帰する領域としか映らないのである。

 ところで、わたしは、ロシアの森が、あれほどヒトを寄せつけないところだとは、思ってもみなかった。小道がついたオプーシカからしか這入り込めないのだ。わたしが話しているのは、そこらの雑木林ではなく、ペレスラーヴリ=ザレースキイの見上げるようなエゾマツの、いわゆる「船材の森」のこと。樹々が寸分の隙なく密生していて、そう簡単に下枝を押し分けてもぐり込めるという代物ではない。

 《森(リェース)は悪鬼(ビェース)》などと、ミハイル・プリーシヴィンは言ったが、どうも駄洒落というのではないらしい。

 森に棲むというレーシイやバーバ・ヤガーは、ヒトの心が、いや心の皮がべろりとむくれて、その本性や直情が、恐怖や不安や喜怒哀楽がむきだしになったものではないのか。
 皮膚の下の暗い森と、
 明るい春の雑木林のような心と……

     

 延々、大地はただひたすら地平につらなろうとする。そんな風景を飽かず眺めながら、ロシア語の「ローヴノ(РОВНО)」も「ラヴノー(РАВНО)」も同じことだな、要するにこういう心象風景を言うのだな、などと、どうでもいいようなことを思っている。たしかに、ゆったりと波打ってはいる。でも、こんな単調な一本道を、何日も何日もガタガタ馬車に揺られたり、とぼとぼ歩いて行くしか手がなければ、そうしてそれに行き着く果てもなければ、《フショー・ラヴノー(ВСЁ РАВНО)》一一どうでもいい、という気になってくるだろう。ふと遠くに目をやると、地平に涌き立つ雲霞のごとき土煙。何だ、あれは? 遊牧の群れか? いや、匪賊の襲来だ!

 この夏、車でモスクワ州の西、モスクワ川の上流(プリーシヴィンのついの住処、ドゥーニノ村)へ、ウラヂーミル州のクリャーヂマ川、スーズダリのカーメンカ川、ヤロスラーヴリ州はペレスラーヴリ=ザレースキイの、あの美しいプレシチェーエヴェ湖へと、ほとんどカーヴを切らずに済むような一本道をひたすら走り続けて、今さらながらわたしは、ユーラシア平原の恐ろしいまでの「とりとめなさ」に圧倒された。うんざりもした。いや、やっぱり「とりとめのなさ」に気圧されたと言ったほうが正直だろう。なんだ、そんなモスクワのへりのへりを飛ばしたぐらいで大袈裟な、と言われそうだが、もっともだ。しかし、べつに反諭する気も起こらない。フショー・ラヴノー!。
 「あとは野となれ山となれ」というが、われわれが山と呼ぶほどの高低は、目路のかぎりを追っても見当たらず、あるのは森と野の果てしない繰り返しばかりである。だから、ここらの表現としては「あとは野となれ森となれ」が正しい。そんな野も森もモンゴル・タタール軍の勢いを止める障壁にはならず、人びとは逃げまどい、かくて村々は全滅した。
 なんと無防備な風景だ!
 なんと恐ろしい「とめどのなさ」だったろう!

 タタールのくびきがようやく外れたとき、そんな野や森が、今度はロシア人のためにその「とめどのなさ」を発揮した。全軍は東へ北へ南へ。かくして、平らであることの恐怖と希望とは、北極海や遥かな地の果てシベリアヘ、森と野とを越えに越えて、ついに大海の波打ちぎわにまで達したのである。



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