リレーエッセイ

第6回 - 1997.06.30
カレル・チャペックの哲学三部作を訳し終えて
――または横のものを縦にすることの悩み――

飯島周

 博識で勉強家の沼野充義氏の次の走者になりました。先行の5人のランナー各氏が持って走った(ロシア文学にふさわしい)バットのように重たいバトンを受け取った感じです。そこで勝手ながら、チェコ文学(または今回の走者の体力と知力)に見合うような、やや軽いものでお茶をにごすことにします。

 ご存知のように、石川達夫氏担当の『外典』と私の担当の『平凡な人生』が同時に刊行され、成文社の『チャペック小説選集』全6巻が無事に完成しました。成文社の努力に敬意を表します。これから読者の皆さんのご叱正を受ける段階ですが、チャペックのシリアスな小説をある程度まとめて紹介できたと思います。もちろん、この作家の多面的な活動については、まだまだ紹介の余地が多く残されています。

 私が担当した哲学三部作のそれぞれの内容説明については各紹介ページを見ていただくことにして、全体的に絵画にたとえてみると、『ホルドゥバル』はいわば写実的で素朴な人物画、『流れ星』はピカソ的で派手なキュビズムの画、そして『平凡な人生』は平衡感覚の取れた遠近法的な描き方だと言えるかもしれません。さらに印象的なのは、著者の人間観察の鋭さと表現の巧みさです。それは登場人物の性格描写に集約され、著者の感想はしばしばアフォリズムの形になって示されています。たとえば『平凡な人生』のなかの「青春とはとかく残酷なものだが、騎士道的である」など。このような文句を拾っていくのは、翻訳の楽しみの一つですが、ここで問題になるのは「横のものを縦にすること」の悩みです。

 横のものを縦にするには、理論的には90度回転させればよいわけですが、これがなかなかうまくいかない。75度だったり120度になったり、時には180度回転して逆戻りしてしまう。「翻訳者は裏切り者」というイタリア語が思い出され、自分は半分嘘つき(これは前走者の沼野氏の用いたのとは異なる意味)ではないか、という疑惑にとらわれます。

 しかしある時、「半分本当のことを言う方が半分嘘をつくよりましだ」という意味のチェコ語の迷句にぶつかりました。パヴェル・コホウトという一筋縄ではいかぬ作家の小説『聖女クラーラの霊感』(イスラエルで映画化され目下日本でも上映中)の最初の部分にあります。さまざまな言いわけに使えそうで、「私は半分本当のことを言ってるんだ」と主張するつもりですが、チャペックならはたして何と言うでしょうか。


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