リレーエッセイ

第3回 - 1997.04.01
ボクの場合

栗生沢猛夫

 若い友人のF君がロシアから戻ってきた。ロシア語に不安をもちながら、この日本史研究者は、必要があって四カ月ほどモスクワに行ってきたのだ。げっそりやせて帰ってきたかれは、開口一番、「いやあ、ボクはロシア研究者を尊敬しますよ」と言う。聞いてみると、食べ物はおろか、テレビは面白くない、娯楽はない、安全はない、将来の展望もない、ナイナイづくしのロシアに度々行って、おまけに研究までする人種が、不思議でならないということのようだ。

 たしかに、一体何の因果でボクらはこの国にかかずらわっているのだろう。

 もちろん、そこまで自虐的になることはないという意見もあろう。ロシア文学は面白いし、芸術だって超一流だし、それに世界で最初に社会主義を実験したし、悪いところばかりではないというわけだ。逆に、社会主義が失敗したことだって、スターリン主義が猛威をふるったことだって、つまり否定的現象こそが重要なのだという見方もあろう。

 ボクの場合はちょっと違う。ボクは社会主義や革命にそれほど興味をもったことはないし、文学は面白くないこともないけれど(正直言ってのめり込んだこともある)、あのどろどろした陰鬱な世界に一生つきあうことだけは、何とか避けなければとかたく誓ったのであった。

 結局ボクはフィーリングが合ったのかもしれない。なんとなく重くて、極端で、それなのに陽気なところが(だからウォットカが合うのだ)ピッタリだったのかもしれない。いやこれは正確ではない。ロシア研究者あまたおるなかで、どうみても重くも、極端ともいえない人たちが沢山いるではないか。すると正確なところは、ボクはロシアにフィーリングが合っていると思っている、というところでしかないようだ。


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